135.鳥籠の扉を開けないで(SIDEベアトリス)

*****SIDE ベアトリス




 廊下の騒がしさに気づいて、ソフィに確認をお願いした。この離宮はいつも静寂に包まれているから、こんな騒ぎは記憶にないわ。部屋の外へ出て確認したいけれど、きっとエリクは嫌がる。


 この離宮はエリクが用意した鳥籠なの。私は囀る小鳥で、飼い主であるエリクが大切に保護してくれている。外へ出て蛇に呑まれたり、猫に噛まれてはいけない。エリクが悲しむもの。いつか飽きて扉を開けっ放しにする日が来ても、私はこの鳥籠から逃げないでしょう。


「姫様、落ち着いて聞いてください。皇帝陛下が重体です」


「……いま、なんて?」


 目の前が暗くなり、手にした本が落ちた。膝にあたり、足元に転がる。くらりと眩暈がして、両手で顔を覆った。ひとつ深呼吸する。落ち着いて、そうよ。今は俯いて泣く時間じゃないわ。


「エリクのところへ行きます。ニルスに許可をもらって」


「許可はいただいてきました」


 気が利くと思った直後、まさかと嫌な予感が走る。エリクの容体が悪すぎて、最後に会わせてくれるのでは? もう手の打ちようがなくて、エリクはこのまま儚くなるかも知れない。ごくりと喉が音を立てた。緊張しすぎて、手足が痺れる感覚に襲われる。自分の心臓の音がやけに煩かった。


「大丈夫、エリクは強いもの。絶対に大丈夫よ」


 自分に言い聞かせながら、ソフィに手を引かれて足を踏み出す。踏んだ床の感触も、前に体を進める感覚もなかった。現実感のない恐怖を踏み締めて、リビングを抜けて扉が開かれるのを待つ。ソフィの呼びかけに開いた扉、ベッドの上に寝かされたエリク――青ざめた彼の顔色を見た途端、急に感覚が戻ってきた。


 ベッドの左側には医者がいて、私は空いている右側へ膝を突く。シーツの上に投げ出された手を握ると、ひどく熱かった。苦しそうな呼吸と肌の表面に出た湿疹……この症状、知ってるわ。落ち着いて、どこで見たか思い出すのよ。


「何らかの病の可能性がありますが、皇帝陛下の御身は毒にも強く、薬が効きません」


 服毒の危険から身を守るため、常に毒に身を慣らしてきた。それは強すぎる毒への耐性を持つと同時に、ほとんどの薬の効果を無効にする。薬の効果は毒より低く、打ち消されてしまうのだ。医者の説明に、私の唇が震えながら言葉を紡いだ。


「それを何とかするのが!」


 医者だろうと叫ぶニルスの叫びに、私は同じ言葉を重ねた。怪訝そうな顔をするニルスが振り返る。


「そこを何とかするのが医者でしょう……だったかしら。そう、言われていたわ。その言葉を聞いて確か……」


 頭の中で本を捲る。あの日の記憶は幼い私の数少ない宝物だ。医師らしき男性は白衣を着ていた。もう少し先よ、思い出して。自分に言い聞かせながら次のページを捲った。


「水……いえ、何かを入れていたわ」


 大量に汗を出させて、体から病の毒素を吐き出させる。体に浸透させるから、と言って。何かを溶かしていた。白い粉?


「水に溶かすのは何? 白い粉よ、体に水分を吸収させるの」


 粉の正体が分からず、ぶつぶつと口の中で繰り返し、記憶を探る。そんな私に、斜め後ろからソフィが小声で囁いた。


「病気の時に汗をかかせるため、果汁の入った水に塩を……入れて飲むことがあります」


 指示するより早く、ソフィが動いた。部屋の外に待機する騎士にお願いして、果汁水と塩を持ってくるよう頼む。


「絶対に助ける……だから戻ってきて」


 こんな形で鳥籠の扉が開くなんて嫌よ。

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