93.願いは叶えるためにある

 流したステンマルクのテーブルに着く男の顔を見て、トリシャが願いを口にした理由に気づいた。辺境伯として、国境を守った歴戦の将軍……彼は偏見や差別がない。王宮でトリシャにキツく当たらなかった、数少ない貴族だ。報告書に記された過去を思い出しながら、僕は目を細めた。


 王宮に詰める貴族は、王族や上位貴族の意向を敏感に察して従う。だが辺境伯はそんな常識に囚われなかった。トリシャの豊富な知識を認め、王太子妃候補の公爵令嬢として扱う。普段、王宮と距離を置いていたことに加え、彼自身が差別される側だったことも影響してるね。


 辺境伯は本来、国防の要だった。どの国でも内側にいる近衛は礼儀作法に通じた飾りが多く、実際に戦場で強さを発揮するのは辺境の軍だ。その意味で、辺境伯は将軍職を預かる強者なのだ。他国にその強さを知らしめ、攻め込まれる恐怖と背合わせで暮らしている。


 王宮に顔を出せば「田舎者よ」「無作法者」と罵る高慢な貴族に差別されることも多かった。実際、支配した王国の半数がその状態だ。帝国では近衛であっても、他国との戦に赴く義務があった。礼儀作法は後から身につけられるが、強さは騎士の絶対条件だ。


「君、ステンマルクの辺境伯だよね」


「はい」


 短く答える無骨な感じも好ましい。彼を王族にしてみるか? いや、それより王家の監視をさせた方が、うまく回るかもしれないね。ニルスも判断を仰ぐように視線を合わせてくる。人間性に問題はなさそうだ。


「王家は今や王女2人を残すのみ、しっかり支えてあげてよ。僕が君の後見をするから、皇妃の願い通りに立て直して欲しい」


 皇帝が後見すると言い切れば、どの国も手出しできない。にっこり笑った僕の破格の申し出に、辺境伯は喉を震わせて礼を口にした。少し白髪が多い頭を下げる彼に、お礼ならトリシャにね、と肩を竦める。


「ベアトリス姫様、この度のお力添えに感謝申し上げます。ご婚約おめでとうございます」


「ラキス辺境伯、ステンマルクを頼みますね」


 穏やかなやり取りを終えたところで、トリシャを誘ってホールの中央へ出る。合図は必要なかった。心得たように楽団が、ワルツを奏で始める。楽しかったダンスのやり直しだった。


 くるりと回転するトリシャを支えて踊る僕の周囲を、各国の王族やニルス達が舞う。華やかなドレスの裾を揺らした淑女の中で、トリシャの銀髪が輝いていた。惚れた欲目を引いても、銀髪にシャンデリアの光が当たって、虹色に輝く様は素晴らしい。


「素敵な髪色……」


 思わず漏れた属国の王妃の声に、トリシャが恥ずかしそうに頬を染める。会釈した彼女は、僕の手を強く握った。それを握り返し、微笑み合う。


 嫌な記憶の塗り替えは、ぎりぎり及第点かな? 僕にしては不手際が多かったけど、赤く染まった頬にキスをして広間をでた。


 邪魔者は見極めて排除したし、もうトリシャとの結婚式の準備を進められるね。

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