87.最悪のタイミングでやられた

 ワルツが終わった後、勢いに任せて2曲も踊った。複雑なステップも単調な曲も、微笑みあったまま踊りきる。拍手を受けて戻るトリシャの頬は紅潮し、濃い紅色の瞳は少し潤んでいた。


「今度こそ休憩しよう」


「エリクは疲れたの?」


 いつもより砕けた口調のトリシャは、まだ踊れるわと笑う。本来の君はこんな一面を持っていたんだね。芯が強いだけじゃなくて、負けず嫌いで僕をリードする。不思議と心地よかった。だから負けてあげるよ。


「降参、一緒にシャンパンを飲んでよ」


「いいわ」


 くすくす笑うトリシャを長椅子に座らせ、僕も隣に腰を下ろす。玉座を空にしたまま、少し離れた長椅子で見つめ合った。結い上げた髪が一房落ちてるね。指で触れ、目を閉じた彼女とキスをする。自然な流れで離れた後、トリシャは照れたように取り繕った。


「髪が……直してきます」


「うん。極上のシャンパンを用意して待ってるから」


 早く戻って。そう告げる僕に頷き、化粧室の方へ歩き出した。目配せで合図した僕に、護衛騎士が一礼して応じた。近衛に女性はいないので、大急ぎで集めた。こういった場面で、僕が女性の化粧に付き添うわけにいかない。ソフィも公爵として動けない時もあるだろう。


 彼女は鳥籠の小鳥だ。普段の心配はいらないが、鳥籠から出した時は細心の注意が必要だった。愛らしく囀る小鳥を奪おうとする者、獲物を狙う害獣、嫉みで小鳥を襲う者……キリがないな。護衛の女性騎士が2人付き添うのを確認し、僕はひとつ息を吐いて身を起こした。


「陛下」


「嫌な感じだ。仕掛けられるぞ」


 自ら動くのですか? と問いを滲ませたアレスの声に返し、僕は長椅子から立ち上がった。慌てて礼をしたり目を逸らす貴族達を無視して外へ出る。廊下に出て、彼女が向かったであろう左へ足を踏み出す。トリシャが1人になるタイミング、ソフィが隣にいないのに……。


「きゃああああ!」


「何をするっ!!」


 女騎士の叱咤する声が、トリシャの悲鳴に重なる。やっぱりやらかしたか。舌打ちして駆け出す。アレスが並んで剣の柄に手をかけた。


「許可する」


 抜いて処理しても構わない。言い切った僕に頷き、アレスは剣を抜いた。刃をこちらに向けないよう腕を後ろに回す。そのまま駆け込んだ廊下を曲がり、あまりの惨状に眉を顰めた。


 びしょ濡れのトリシャと、花瓶を手にした女。間で剣に手をかけた護衛騎士……すでに床に叩き伏せられた女と、押さえつける騎士。状況は大まかに理解できた。


「トリシャ、こちらへ」


 伸ばした手で彼女を引き寄せる。すっかり冷えた肩は震えており、目の前で起きた事件に怯えていた。上着を脱いで彼女の肩に被せる。青ざめたトリシャを上着の上から抱き締めた。


「ソフィを呼ぶから着替えよう。大丈夫だよ」


 僕はトリシャを引き寄せて、涙を滲ませる彼女を控え室へ伴った。その後ろから聞こえた嘆願と言い訳に耳を塞いで。

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