85.沈黙こそが正解だったのに

「ユリウス殿下、非礼な発言は控えてください」


 ここでニルスが入ると、彼らは増長する。分かってるよ、そのためにニルスが口を開いたんだからね。ユリウス殿下と呼ぶのは、敬称としておかしいことに気づかない。だが気づかない辺りが、弟の愚かさを示していた。本来なら「ユリウス皇弟殿下」になるんだ。皇弟を故意に抜いたのは、僕の弟としての価値を認めていないと宣言する行為だった。


 宮廷の言葉遊びについて来られない愚者が、僕の唯一の血縁者だなんて悲しいね。まあ、ついて来れる奴は全員首を切ったけど。


「誤魔化す気ですか? 彼女を育てた家族に報いることなく話を進めるなら」


 こちらにも考えがある、それとも非情だと罵るか。どっちにしてもお粗末な脚本を書いたものだ。


「報いる、ね。いいよ、だったら……」


 思わせぶりに言葉を切ると、元公爵家の3人は顔を輝かせた。ああ、なんて愚かなんだろうね。僕が何も知らない愚帝とでも思ってるのかな? 首を切るだけじゃ済まなくなってきたよ。


「まず部屋を与えようか。日が当たらない地下牢が相応しいね。水は1日コップ1杯、食べ物はカビたパンだったっけ?」


 首を傾げて問う僕の言葉に、ニルスが付け加えた。


「陛下、毎日の鞭打ちが抜けております。跡が残らぬよう、なめし皮を使用した上で服に隠れる場所を選ばなくてはいけません。それから歴史書の暗記もありましたか。衣服は使用人の着古しを用意させます」


「ああ、そうだった」


 にっこり笑って肯定してやる。思い当たる節がある彼らの顔が青ざめた。お前達がした行為をそっくり返してやろう。もちろん最後に首を落とすのは確実だけど、それまで苦しみ抜け。


 突き付けた話に心当たりがないのは、弟のみ。宰相は引き攣った顔で後ずさった。今は逃してやろう。追いかけっこは得意なんだ。すぐに猟犬を放つから、逃げ延びたら大したもんだね。さりげなく人々の間に紛れる宰相を見て、マルスが合図を送った。


 捕らえるのに数時間? いや、もっと早いかな。腕の中のトリシャの震えが収まってきた。彼女の境遇を口にした時だけ、縮こまっていたけど。今は体の緊張が和らいでいるようだ。


「もう少し待っててね。片付けちゃうから」


 小さく頷くトリシャから怯えの色が消えていく。それからトリシャの耳を両手で覆った。きょとんとした顔のトリシャに微笑んで頷く。彼女は心得たように、僕の胸に寄り掛かる。その信頼が嬉しかった。


 ここから先はトリシャに聞かせたくない。


「いや、あの……それは……嘘です」


 公爵だった男が叫んだ言葉に、慌てたのは弟だった。僕にとっては名を呼ぶ価値もない弟だ。母が産んだから弟と呼ぶけれど、それは固有名詞ではない。他人と同じ、それ以下だった。


「あ、兄上。何も知らなくて」


「五月蝿いな、お前が連れてきた罪人と話してるんだよ」


 黙れと言外に匂わせる。


「嘘だと断定するのか? 自慢の諜報員が調べた結果だよ。それからなんだっけ、父親を冤罪で殺して、母親を自殺に追い込まないとね」


 やれと命じる必要はない。即座に動いた近衛兵は、騎士の指示に従い元公爵一家を拘束した。引きずられて喚く彼らを見送り、残された弟に向き直る。慌てて隣にいるはずの宰相を振り返り、誰もいないことに愕然としていた。


 僕と同じ血を引くとは思えないな。悪虐と言われる血生臭い一族の頂点に立つ兄に逆らわず、沈黙していればあと数年は長生きできただろうに。

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