82.舞台の幕が開く

 惜しみなく金を使った。こういう時でもないと、僕が主催する舞踏会は開かれない。予算は取り放題だったし、逆に余ったくらいだ。


 謁見にも使われる大広間は、壇上以外は自由に王侯貴族が歩き回れる形だった。ほぼ正方形に近い広間は、天井がドーム型になっている。分散して天井の重さを支えることで、柱を無くした特殊構造だった。中央に大きなシャンデリアがひとつ。それ以外は周囲の間接照明と、テーブルの上の燭台だけ。


 シャンデリアの下はダンス用に開放され、僕らがくぐった皇族用の扉はそのまま壇上の玉座へ続いていた。足元に敷かれた絨毯は深赤、テーブルクロスは柔らかなオフホワイト、18ある丸テーブルはすべて属国の地域色豊かな料理を用意させている。


「ナーリスヴァーラ大公殿下、シュルストレーム女公爵閣下でいらっしゃいます」


 通常、大公の敬称は閣下が多い。殿下は皇族や王族に使われる敬称だった。僕がニルスに大公位を授けた時に反対した貴族へ「彼は父の隠し子で、僕と血の繋がった兄弟だけどね」と作り話をしたところから、いまだに殿下と称されている。僕としては、実際兄弟と同じ感覚なので問題はなかった。訂正しようとするニルスを黙らせたのも、その方が都合がいいからだ。今回のように、ね。


 帝国の舞踏会では爵位が低い者から入場し、僕達が最後になる。美しいトリシャの指背を、レース越しに手で触れた。僕も必要とされる絹の手袋を嵌めながら、トリシャの頬にキスを贈る。


「っ……エリク」


「緊張しないおまじないだよ。後で踊ろうね」


「はい」


 嬉しそうに頬を染めるトリシャの手を引いて、このまま寝室へ引き返したい気分だった。もちろん、我慢するけど。思うくらいは僕の自由だ。


「皇帝陛下並びに皇妃殿下のご入場です」


 数歩先にニルスとソフィの背中が見えた。彼らが玉座の脇に立ち、振り返るのを待って足を踏み出す。ゆっくり歩く僕の速度に合わせ、トリシャはステップを踏むように続いた。あちこちで聞こえる感嘆の声に気を良くしながら、玉座の前に立つ。


「僕の婚約者を紹介する。大賢者カルネウス卿のご令嬢ベアトリス嬢だ」


 ローゼンタール公爵家の名も、ステンマルク国の名も使わせない。平民であっても文句は言わせない僕の覚悟を秘めた言葉を、勘違いする馬鹿が散見した。隙なく視線を向けて確認していくニルスに任せ、僕は話を続けた。


「僕の妻は彼女一人。結婚式は半年後とする。以上だ。お披露目の会を楽しんでくれ」


 最低限の要件だけ口にして、僕はさっさと玉座に腰掛けた。これが合図で、国歌の演奏がはいる。手を引いて、トリシャを僕の膝の上に横抱きにした。


「エリク……あの」


「恥ずかしい? ごめんね、婚約者だから皇妃の席よりこっちのがいいと思って」


 誤解を招く言い方をした。トリシャは「皇妃になってないから当然ね」と頷く。だが周囲は違う。まだ皇妃変更の可能性があると勘違いする者がいた。僕の妻は一人と断言したばかりなのに、都合の悪い言葉は難聴になるみたいだ。


「皇帝陛下にご挨拶を。お披露目の場にお呼びいただき、感謝を申し上げます。こちらは我が娘にして国一番の美女です。よろしければ……」


「ご苦労、下がっていいよ」


 最後まで言い切る前に切り捨てた。僕の顔には笑みが貼り付いている。頷くと近衛騎士が割って入り、スヴェント国王と王女を窓際まで引き離した。きょとんとした顔のトリシャに囁く。


「ねえ、安定しないから首に手を回しててくれる?」


 支えやすいと理由をつけて、僕はトリシャの細い腰に手を回した。

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