50.向けられる信頼に応える主であれ

 体の大きなニルスが庇う以上、僕が動いてはいけない。勝手に抜け出ることは、彼の献身を否定するのと同意語だった。もう間違えるわけにいかないのだ。すべてをひとつの間違いもなく嵌めなければならないパズルのように、望む結論のためにじっと耐えた。


「陛下、ニルス殿……もう問題ございません」


「対応が遅れたこと、お詫び申し上げます」


 マルスとアレスの言葉に、甲高い悲鳴が重なった。あの煩い王女だ。甲高い響きはひどくカンに障った。


「あの煩いのを遠ざけて。それからニルスの治療を」


「はっ」


 アレスが指示を出したらしく、王女が喚きながら遠ざかっていく。ニルスを抱き起したマルスが「お見事です」と称えた。そうじゃない。僕が愚かだっただけだ。


 べっとりと血の付いた姿で身を起こし、手早くアレスがケガの有無を確認する。こういった場で自己申告は当てにならないとされてきた。興奮状態で痛みを感じていない場合があるのだ。側近の手で確認が終わるまで、僕は勝手に動けない。


「陛下の……御身は……」


「ご無事です」


 アレスの断言に、僕は大急ぎでニルスに駆け寄った。近衛達がぐるりと周囲を取り囲み、背を向けて警戒している。危険はないし、ニルスも叱らないだろう。ニルスの傷は肩を掠めた剣傷だった。切り裂かれたため、傷口が大きく広範囲が赤く濡れている。


「っ、ニルス。助かった、それと悪かった」


「……いえ」


 お分かりいただけると思っておりました。そう呟く唇が青ざめている。出血量が多いのだ。急ぎ止血するよう命じ、医師の手配を急がせた。彼を失うわけにいかない。最優先事項だと命じて、上着を脱いで彼の腕にある傷を縛った。


「……っ、へい、か」


「僕の命令だ。傷を治すことだけ考えろ」


 深呼吸し、立ち上がる。動揺を敵側に悟らせることは出来なかった。普段通りに振舞わなくては……そう考える側から、思考が溶けていく。何をすればいい、何をしてはいけないか? 混乱して額を血の付いた手で押さえた。


 うつむいた僕の目に、ニルスの笑みが映った。あれだけの傷を負い、痛みに声を震わせる状況で、僕を信じていると告げる彼の目に気持ちが落ち着く。向けられた信頼の眼差しと笑みを裏切ることは出来なかった。落ち着け、僕は答えを知っているのだから。


「アレス、敵の割り出しだ。倒した刺客の裏を調べさせろ。マルス、医師はまだか?」


「医師が着きました」


 さっと囲む輪が開いて、大柄な騎士の間から小柄な老医師が入ってくる。僕は淡々と彼に命じた。


「必ず助けろ、生かせ。後遺症など許さん」


 頷いた医師は傷を確認し、ほっとした様子で口元を綻ばせる。その表情は言葉より雄弁だった。そして望んだ通りの答えが返る。


「鍛えておいでのようですな、出血量が多いわりに傷が浅い。若いし治りは早いでしょう」


 医師が連れてきた者達がニルスを担架に乗せて運ぶ。それを見送り、護衛に近衛を3人付けた。駆け付けた侍従が後ろから濡らしたタオルを差し出す。腕には予備のジャケットも持っていた。この子はもともと孤児で、ニルスが拾い上げて育てたんだったか。


 信頼できる侍従が必要だと、ニルスは何人もの孤児を独自に訓練して手元で育てた。すべてが僕のためだ。その気持ちに応えるのが、僕の仕事であり役目であり……恩返しだった。恋に溺れても忘れてはいけない。


 ひとつ深呼吸しタオルで血を拭う。渡された上着を羽織り、離宮へと足を進めた。

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