空読みのラスタラート

空飛ぶ魚

1.廃棄処分の夜

 ラスタラートは夜道を走っていた。

 星明かりはわずかで手元もろくに見えない。大きな石や木の枝にか細い足を取られては、転びかける事もたびたびだった。時折吹きつける強風も、ラスタラートの小さな体にとっては強敵で、お気に入りの朝焼け色チュニックがあおられるたび、そのまま空へ舞い上がってしまいそうになる。

 それでも彼女は走り続けて、一心不乱に目的地を目指していた。


 ラスタラートは、闇夜に白く輝いている一帯にたどり着いた。

 森の中で、灰色の木々が白い火を上げて燃えている。周辺の木々は緑で、明らかに種類の違う灰色の木の群れだけが燃え盛っていた。

 燃える木々の間や周囲には、まるで防壁のように色々な物が積まれている。ほとんどはゴミで、煙の匂いの合間に悪臭が漂ってくる。ガラス瓶の破片が散らばっていて、ラスタラートは靴底にちくちくした感触を覚える。

 ここは、火の木のゴミ処理場。定期的に燃えて灰になる事で住みかを移す『火の木』が、何でも燃やしてしまうことを利用して、都合の良いゴミ処理場とした場所だった。辺りに人の気配はしない。火の木が群れで燃えている危険な時に、わざわざ近づく者はいないはずだった。

 ぱちぱちと爆ぜる火の粉を浴びないよう、ラスタラートはゴミの山と、真っ暗な森の中間を歩いていく。小柄なラスタラートの影は大きく長く伸びて、揺れながら彼女の後をついていく。

 そんな時、ゴミの防壁の中に、人の形をした影が揺れた。

 ひっ、とラスタラートは声を上げて立ち止まる。

 誰かがいる。

 人の形をした何者かが、まだ火のついていない木箱に寄りかかって座り込んでいた。

 ラスタラートは距離を置いたまま、積まれた木箱に座り込むその者に、目をこらした。

 その者の頭部は、ガラスのような透明な球体だった。白い火を反射するガラス玉の内部には、白い結晶が沈んでいて、雪原のよう。

 いわゆる「ストームグラス」だ。その者は人間の体に、ストームグラスの頭を持っていた。

 頭部以外は人間の形で、くたびれた白いシャツと黒色のパンツという、この辺りの町人としては珍しくない服装だった。投げ出されたような手足は、火に包まれるのを待っているかのように、身動き一つしない。

 ラスタラートは奇妙な人物を見つめて、深呼吸する。そして思い切って声をかける。


「大丈夫ですか?」


 ストームグラスの頭がわずかに動く。顔が無いので、どこを見ているか、そもそも見えているのかもわからない。

 すると、青年のような声が、その人物の方から聞こえた。


「近づくと危険です。離れてください」


 ラスタラートは驚いて軽く跳ねた。その人物の声には抑揚が少なく、まるで本に書かれた台詞を読み上げているだけのように聞こえる。


「でも、あなたこそ危ないよ。火がもう近くまで来てる。立てないんですか?」

「構わないでください。わたしは故障して捨てられたものです。燃えるためにここにいるだけです。さあ、危ないですから、早くどこかへ行ってください」

「燃えるためなんて……そんなの、おかしいよ。せっかく生きてるのに」


 ラスタラートはまた一歩二歩と、ガラスの破片を踏みしめて歩み寄る。

 その時、ストームグラスが、ほんの一瞬だけ強く輝いた。


「わっ!」


 黄金色の光がラスタラートを照らし、思わず彼女は顔を手で覆う。

光の後には、何も起きない。火の爆ぜる音が響いている。ラスタラートはそっと目を開けて、自分の身にも辺りにも何も変化がないことに気づく。

 彼がつぶやいた。


「『空読み』のラスタラート」


 ラスタラートは、何も言えずに息をのんだ。


「あなたは、故郷の町で『空読み』の仕事をしていました。空を見て未来を予言する仕事ですね。しかし、逃げ出してきました。空読みの力で、今晩が逃げるのに最適の日だと予言したのでしょう。その途中でここを通ったのですね」

「何でわかるの? 今の何?」


 彼は、ラスタラートの事を的確に言い当てていた。

 彼女は『空読み』の力――未来を予知する能力を使い、今日が『空読み』の仕事から逃亡するのに最適の夜だと知って、住んでいた町から一人でこっそり逃げ出してきたのだった。


「わたしには、過去を読み取る機能があります。今の光で、あなたの過去を読ませていただきました。あなたは急いで逃げる途中なのでしょう、わたしに関わっている時間がもったいない」


 彼は淡々と言葉を続けた。

 火の木から、銀色の灰がもうもうと立ち上り、真っ黒の空へと吸い込まれていく。灰は風に乗ってはるか遠くまで旅をして、新しい土地に降りて再び木に成長する。

 ラスタラートは、驚いた顔のままで少しの間かたまっていた。そして緑の目をちらりと夜空へ向けて、


「あの予言、そういう意味だったんだ……」


 そうつぶやくと、ストームグラスの人物へと一気に駆け寄った。


「だから危ないと……」

「大丈夫! 私もあなたも絶対に燃えないから!」


 彼の白手袋をはめた手を取って、強引に引っ張る。引っ張られるがままに彼はしぶしぶといった様子で立ち上がる。

 背後にあった木箱に火がついた。ラスタラートはそのまま彼の手を引いて、火から距離を置く。吹き付ける熱風が肌に痛い。

 ストームグラスの人物はラスタラートよりずいぶんと背が高かった。彼はラスタラートを見下ろすように頭を傾けた。


「大丈夫ですか? 熱かったのでは?」

「平気よ。あなたは?」

「わたしは頑丈なので」

「良かった。ねえ、私と一緒に来てくれない?」


 ストームグラスに、ラスタラートの期待に満ちた表情が映り込む。


「これから『薬屋』に会いに行くんだ。何でも願いを叶えてくれるっていう薬屋に。あなたも一緒に行こうよ!」

「……どうして、そこまでわたしに構うのですか。わたしにはわかりません。わたしはただの、捨てられた故障品です」


 彼の声は自信がないかのように少し弱弱しい。


「私が予言で読んだのは、逃げ出すのに都合の良い日だけじゃない」


 ラスタラートが、人差し指で空を示した。その先を追うようにストームグラスが夜空を仰ぐ。空には星の川が光っている。


「『白い火の燃える場所で、捨てられた輝きが、空読みの行く手を照らすだろう』」


 ラスタラートは落ち着いた声で、そう言った。


「そういう予言が出てたの。空の予言っていつも曖昧だから、『捨てられた輝き』って具体的に何の事かまではわからなかったけど……あなたの光を見てやっとわかった。あなたの事を空は予言してたのよ。だから、あなたはここで燃えるより、私と一緒に来るべきなのよ」


 ストームグラスの中で、こぽり、と泡が浮き上がった。沈んでいた白い結晶の粒が舞い上がる。


「どうして『薬屋』に? 何をしに行くのです?」

「空読みじゃなくする薬を作ってもらう」

「空読みでなくなるために、わざわざ家から逃げてきたのですか?」

「うん。だって、空読みは短命だから」


 ラスタラートが言った。ストームグラスに、二つ三つと泡が舞い上がった。


「空読みは普通の人よりずっと早く死ぬ。でも私は死にたくない。町に閉じ込められて、一生空読みをして終わるなんて絶対に嫌。私はもっと生きていたい。色んな世界も見てみたい」


 ラスタラートはそう言って、ストームグラスを見上げる。


「そういえば、名前を聞いてもいい?」

「……『投影機』といいます。投影する機械という意味です。わたしを作った、オリアン博士が名付けました」

「面白い名前ね! 投影機……さん?」

「呼び捨てで構いません」

「じゃあ、投影機。一緒に来てくれると本当に嬉しいのだけど。嫌ならせめて、この森を抜けるまで。森の先に町があるから、次にどうするかはそこで決めればいいよ」


 ストームグラス頭の人物――投影機は、黙って話を聞いていたが、火とは反対の森の方に体を向けた。森の細い道は闇に沈んでいる。先がどうなっているかはもちろん見えない。

 ストームグラスの頭から細い光の帯が放たれて、ラスタラートの足元を照らした。


「これはただの光です。空読みでも、夜道は見通せないでしょう」


 驚いた顔のラスタラートは、ありがと、と言って笑った。


「あなたの光、朝焼けみたいな金色できれいね。私、青色は見飽きたから嫌いなんだけど、この色は好きなのよ」


 ラスタラートと投影機は、暗い森の道を歩き出す。


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