むすび/むすばれ

あやん

第1話

粉雪が降り注いでいた。


むすびと私がまだ小学生の頃、2人はよく一緒に遊んだ。顔をほころばせながら、天から降ってくる美しい白いろをつかもうと手を出して、むすびは私に真夏のような笑顔を向けた。

凍てつくような、凍える冬の朝、私たちは確かに親友だった。


むすびが笑わなくなってから、もう、5年が経つ。私たちは高校生になった。

中学に入ってから、小さくて可愛かったむすびの身長は急激に伸び、今や他校の女子からもイケメンと噂される美男子になっていた。

私はというと、昔のままで、特に美女になったわけでもなく、なんの面白みもない、ただの高校生になった。

むすびとは、いつのまにか住む世界が変わってしまったらしい。あんなに一緒に遊んだのに、むすびはもう、覚えてもいないだろう。


むすびが笑わなくなったのは、彼の両親が離婚してからだった。屈託なく笑う、無邪気なむすびは、いつのまにかじわじわとどこかへいってしまった。私が最後に記憶しているむすびの笑顔は、もうどこにもない。

クールでかっこよくて、モテるむすび。私が知っているむすびとひどくかけ離れた今のむすびの姿を見るたびに、私の胸に鈍痛が走る。彼に傷つけられたわけではないのに、勝手に傷ついている。


今、私の目に映るむすびの周りには粉雪がまとわりついている。真っ白な、溶けない雪。永遠が閉じ込められているような、張り詰めた美しさがそこにはある。




「だからさ、それって、初恋ってことでしょ?」


親友の聡子がコーラ片手に、何回目かのため息をついて眉を寄せた。

聡子は毎日私と行動をともにしている。だから私の視線の先にいるむすびの存在に気がつかないはずがない。

そういうわけで、このやりとりはもう何度か繰り返されている。


「むすびはそういうんじゃないよ、親友だったんだよ。聡子みたいなかんじ。なんていうか、なんでも分かり合えるっていうか、大好きなんだけど、そういう好きじゃないんだよね」


私は聡子がそれで納得しないのを知っているので、理解してもらえるなどとは思わず、なかば諦めモードで返答する。


「そんなに気になるんだったら、聞いちゃえばいいじゃない?それこそ、私みたいな親友だったっていうんなら尚更だよ。私がむすび君の立場なら、そうして欲しいけどなぁ」


聡子の言い分はもっともである。

私も幾度となく、そうしようと思った。


「でも、事がことじゃん。親が離婚とか、そんなの私にはわかんないことだし。なんか、どうすることもできなくて、ただみてるしかなくて。むすび、どんどんイケメンになってくるし、告白とかばんばんされてるみたいだし、声かけづらくなっちゃって、そのまま」


私はたぶん、ずっと逃げてきただけなのだ。むすびに拒絶されるのが、こわい。



ある日から笑顔を見せなくなったむすび。親が離婚したらしい、と母から聞いた時は驚いた。むすびの周りからは、常にあたたかい気配しか感じなかったからだ。だからこそ私は戸惑い、「離婚」という、ドラマの中でしかみたことがない深刻な問題に対して、かける言葉を持ち合わせていなかったのだ。

私が知っていると思っていたむすびは、本当のむすびではなかったのかもしれないと思うと恐ろしくて、私はついに確かめることができなくて、立ち尽くしてしまったのだった。そうして今でも私は同じ場所に立って、むすびを見つめつづけている。



放課後のファミレスは、私たちのような学生のグループや、大学生らしき人、パソコンを広げたスーツの人などでうまっている。みんなそれぞれに、やりたいことをして、それぞれの世界に浸り込んでいる。

窓の外を見ると、マフラーを巻いた女の子が体を小さくして歩いてる。

今年も雪が降るだろうか。あれから冬が巡る度に、あの時のむすびの姿が亡霊のように蘇る。

初恋と言われても仕方がないほど、あの笑顔が私の脳裏に焼き付いて離れない。


聡子との会話に終わりが見えそうにないのを感じ、私はそれとなく話題を変えるために、ドリンクバーのジュースを取りに行こうと視線をあげた。

ちょうどその時、聡子がばん、と机を叩いて立ち上がった。


「私が一緒にいってあげる。だから、今聞きに行こう」


そういうなり、聡子は私の腕を掴んで、2人分の会計を済ませて、私を外に連れ出した。


風が冷たかった。びゅうびゅう音が鳴る風を感じながら、もう学校にいないと思うよ、とか、今更何を、とかなんとか言いながら、私は聡子の力強い足取りに身を任せていた。

実際、強引にでも誰かに連れ出してほしかったのかもしれない。口では無理な理由を並べ立ててはいたが、私は本気で抵抗しなかった。


学校に戻ってくると、吹奏楽の音が聞こえた。

単調な、音楽ともつかない旋律が混じり合って私の心をざわつかせる。グラウンドではこの寒空の下、走っている野球部の生徒たちが、なぜか苦しそうに見えて慌てて目を逸らす。


聡子はむすびの居場所を知っていた。私も知っている。下駄箱を通り過ぎて、突き当たりの階段を登った先の美術室に彼はいる。むすびは絵がうまくて有名で、色んな賞をもらっているし、学校のガラスケースの中にもむすびの描いた真っ赤な花の絵が飾られている。


「ここからは、ひとりでいってきなよ。私はまってるから」


聡子が親指をあげて、にかっと笑う。


「なんかちょっと恥ずかしい。青春ごっこみたい」


私は、馬鹿みたいなありふれた展開に冷静につっこみを入れつつも、その場の空気にのめり込んでいた。この安っぽい青春ドラマみたいな流れにのれば、むすびに問いかけることができるかもしれない。5年もできなかったのに、今、私はこの空気にのせられている。あえてのっているというべきか。


空から今にも粉雪が降りそうな寒空、曇天である。



むすびは私にもう一度、あの日のような笑顔を見せてくれるだろうか。

ましてや私はむすびに何か話しかけることができるだろうか。

むすびは私と親友だったことを覚えているだろうか。

むすびは、何を思って今、ここにいるのだろう。


期待、不安、恐れ、情熱、全て、青春のような甘酸っぱさを含んだ高揚感をともなって、背後に親友の気配を感じ、前方にむすびの存在をありありと感じ、私は今、美術室の扉をあける。

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