谷兄弟の凋落 ―弟の場合➀



 谷の死により七番隊隊長の座が空いてしまったため、これを機に隊を再編成することになった。

 勇はこの度新たに副長と各隊長の間に位置する立場として参謀という役職を設け、伊東を取り立てることに決めた。広島での働きぶりを高く評価していたのだ。伊東はこの人事を快諾し、隊内で異例の出世を遂げたのだった。人当たりの良い伊東は隊士にも人気があり、この人事に皆おおむね賛同している。

 ここ数か月いろいろあったけれど、今一度気持ちを新たに、新選組はきっといい方向に向かうだろう。

 

 ……という希望に満ちた明るい雰囲気は、屯所内だけのものだった。

「ったく、勝っちゃんはよ、なんだってあの青瓢箪をそんな位置につけたんだ」

 歳三が舌打ちした。

 ここは、さくらの妾宅である。女子姿のさくらはもちろん、さくらのとある報告を聞きにやってきた源三郎もいる。妾宅にさくら以外の人間が出入りすることにすっかり慣れた様子の菊は、三人にお茶を出すと「ほなごゆっくり」と言って買い出しに出かけていった。さくらは、ずずっと喉を潤す。

「別によいではないか。広島で伊東さんは頼りになったみたいだし。諜報も幕府のお偉いさんと難しい話をするのもお手のものだったと。ああいう頭のいい人が上にいれば、新選組も『まともな組織』に見えるだろう。それにほら、なんやかんや言っても伊東さんはもともと武家の出だというし。表に出すのにちょうどいい。最近は見廻組も一層幅をきかせていることだし、新選組だってただの荒くれ者の集まりじゃないってところを見せねばな」

「なんだよさくら。やけに伊東の肩を持つじゃねえか。……まさか、サンナンさんの次は伊東ってわけか……!? ったくお前はああいうのばっかり」

「な、何を言っているのだ! そんな言い草、ここにいるのが源兄ぃじゃなかったら、口封じに斬り捨ててるところだ」

 さくらは顔を赤くして左手で鯉口を切る真似をした。源三郎が「おー、怖」と茶化す。

「あのなあ。私は、勇と歳三がいがみ合ってぎくしゃくするなんてことになって欲しくないのだ……勇には勇の考えがあるのもわかるし、歳三には歳三の考えがあるのもわかる。私は、こんなところで、しかもこの三人で、勇の悪口など言いたくないのだ。……だが、ひとつだけ」

 さくらはフーと一呼吸置いた。

「なぜ山崎が六番隊の隊長なのだ。しかもまだ広島のあたりを探っているというのに」

 七番隊の隊長には左之助が収まることになったが、伊東が参謀として抜けたために空いてしまった六番隊の隊長は、山崎が務めることになった。もっとも、山崎はいまだ広島や長州周辺に潜伏して動きを探っており、もう何ヶ月も京にはいない。暫定措置として、当面は伊東の弟である三木三郎が六番隊の頭を務めることになっていた。

「なんだ、さくらも結局近藤先生の悪口じゃないか」

「源さん、山崎のことについては俺の采配だ」

「あーそうですか、それなら勇の悪口は言わなくて済むな。よかったよかった」

 さくらは嫌味たらしく歳三に冷ややかな視線を向けた。

「六番隊はもともと伊東の隊ということもあって、どうも論客ぶったやつらが多い。剣術の腕もイマイチ。山崎を上につけて、その論とやらを実際の戦場、諜報で使ってみろってわけだ。現場で活かせれば、やつらは案外化けるかもしれねえ」

「ふーん」

「わかってんだろ。別に六番隊より監察が下ってわけじゃねえぞ。監察組頭の島崎朔太郎は、間違いなく副長助勤、隊長たちと同格だ」

「そういうことを言っているわけではない」

「とにかく。長州征討にいつ呼ばれるかわかんねえんだ。今はこの新しい編成で隊の強化を図る」

「何偉そうにまとめているんだ。もともと、歳三が伊東さんへの不満を漏らしていたのではないか」

「不満があろうがなかろうが、この体制でやるしかねえだろ」

「ならば最初から不穏なことを言うな」

「それはお前だって」

「はい、その辺にしなさい」

 源三郎が手をパンパンと叩いた。さくらと歳三はぐっと口をつぐむと、すっかり冷めてしまったお茶を一気に飲んだ。


 サンナンさんの次は伊東ってわけか!?

 そんな話題が出ても、歳三と今まで通りの調子で口喧嘩をできたことに、さくらは安堵していた。

 ――これでいい。これがいい。

 歳三とは、いろいろと言い争って、でもだからといって仲たがいするわけではなくて。ずっと、そうだった。これからも、このままでいたい。いなければいけない。

 さくらは手持ち無沙汰に湯飲みを手に取ったが、お茶は先ほど飲み干してしまったのだと思い出した。

「で、例の件だが」

 さくらは半ば無理矢理本題に入った。歳三も源三郎も、そういえば、と言わんばかりに居ずまいを正してさくらを見た。

「どうなんだ、実際。近藤さんに知らせた方がいいか?」

「いや、まだ確実ではない。息子として使いに来ただけと言われてしまえばそれまでだ。もう少し踏み込めればいいのだが……」

「トシさん、私もそれとなく様子を見ますよ」

「そうだな。……それにしても、だな」

 三人は、暗い面持ちで溜息をついた。


 もう一軒の新選組幹部妾宅では、主の勇が拳をわなわなと震わせていた。

「どういうことだ。説明しなさい」

 目の前には、愛妾・雪。そしてその隣には、養子の周平。二人とも、しゅんとした様子で俯いている。雪の着物の衿は、少し乱れていた。


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