枯れ専令嬢の婚約破棄?事情

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枯れ専令嬢は、執事に嵌められ、婚約者に騙される。

 木漏れ日が差し込む東屋で、金髪碧眼の王子様が桃色の髪の少女と肩を寄せ合い、楽し気に逢瀬を重ねる。その東屋から遠く離れた渡り廊下で、独り狂喜乱舞する令嬢が居るとも知らずに――。


「こ、これは間違いなくう・わ・き! ですわね。と言う事は……晴れてわたくしは婚約を解消できると言う事ですわっ! オー、ホホホホ」


「エリーゼお嬢様、その笑い方は淑女としてはいかがかと。それから、婚約の解消は家同士の決め事であり、あの程度では解消できないものと思われます」


 落ち着いた声を出し、平身低頭な姿勢ながらもズバズバと物を言うセクルス。そんな彼を振り返ったエリーゼは、扇を勢いよく広げると何事も無かったかのように居住まいを正す。


「セクルス、結婚に関するこの国の法律を言ってみなさい」


「はい。アウリス王国、第七十二条、婚姻は男子十八歳以上、女子十六歳以上にて行うこと。第一項、婚姻における契約がなされた場合、教会へ――」


「そこじゃなくてよ!」


 真面目な顔のまま、セクルスは答える。が、主人であるエリーゼの声に遮られ途中で発言を止めた。エリーゼの求めるべき答えを探し、再び唇を動かす。


「第四項、婚姻は一夫一妻制とし、例え王族で在ろうともそれを侵すことはならない」


「そう、それよ! それを踏まえて、アレを御覧なさ――」


 セクルスの答えに満足したエリーゼは、凶器になり得そうな縦ロールを勢いよく振り回し、東屋の方へと向きなおる。が、既に時は遅く、二人の姿は無い。

 それどころかエリーゼの眼前には、今まさに話の渦中にいた金髪碧眼の王子様が赤くなった頬をおさえ立っていた。


「エリーゼ? こんな所で、何を?」


「あ、あら~。リカルド殿下、ご、ごきげんよぉ~」


 エリーゼは予期せぬ婚約者――リカルドの襲来を受け焦りの余り語尾が上がり、変な挨拶をしてしまう。


(まずいですわ。どうにかしてこの場を切り抜けなければ! 知恵をお貸しなさいセクル――って、居ない!!)


「ふふっ、エリーゼは相変わらず美しいね」


 キョドるエリーゼを他所に、リカルドは王子らしくエリーゼの手を取り掌へとキスを落とす。その仕草に、表情に男慣れしていないエリーゼの純情は、撃ち抜かれ頬どころか全身が真っ赤に染まった。


「り、りりりりりりか、リカルド殿下……そう、そう言う事はけ、けけけけけ、結婚してからにして下さいませ」


 どもりながらも必死に訴えるエリーゼの姿にリカルドは可愛い人だと、更に深く愛しさを覚えた。そんな二人の空気をぶち壊すかのように、桃色髪の少女――リリアンが甘ったるい声で「リカルドさまぁ~」と、リカルドを呼ぶ。

 ほんの束の間の逢瀬を邪魔されたリカルドは、深い層に眉根を僅かに寄せたかと思うと振り向き探らせない笑顔――エリーゼ曰く、氷結の微笑みを浮かべた。


「リカルドさまぁ、早くサロンへ行きましょう? 今日は、チョコレートのケーキを一緒に食べたいですぅ~」


 何とも形容しがたい声音を出すリリアンに腕を組まれたリカルドは、不快を隠すように笑みを深め、エリーゼはもっと攻めろとほくそ笑む。


 そんな相いれない二人が婚約したのは、今を遡ること三年前だ。

 王太子リカルド・フォン・アルトゥースの婚約者を決めるため、彼の実母である王妃主催のお茶会が開かれた。色とりどりのドレス色めく茶会は、殿下と誤差三歳までのご令嬢が集められ、それに伯爵家の令嬢エリーゼ・バウルムもまた参加していた。


 己を取り巻く令嬢たちへと挨拶をする最中、唯一自分に興味を示さないエリーゼへと興味を引かれた。目でエリーゼを追うたび、白金色の髪は美しく、透明感を際立だせる煌めく肌に、吸い付きたくなるような淡い桃色のぽってりとした唇に、リカルドは惚れこんだ。


 結婚するなら彼女が良い、とその日の内に両親へすぐさま彼女の名を告げたのだった。

 それから十日、両家は慎重に慎重を重ね話し合い婚約が決まった。

 全ての処理が済み、婚約者が決まったことを両親から告げられた。リカルドは、その吉報に軽く拳を作り喜び。エリーゼは、完全に呆然自失状態となり数日寝込んだのだった。


「さぁ、こうしてはいられないわね。セクルス家へ帰るわよ! お父様にこのことを話して、すぐさま婚約の解消の打診をしていただかなければ」


 意気揚々とエリーゼは踵を返すと馬車乗り場へと向かう。危機回避がすんだとばかりに姿を現わしたセクルスを連れて――。







 屋敷にたどり着くなり馬車を飛び――見た目は優雅に――降りたエリーゼは、真っすぐと自室へ向う。


「お嬢様、旦那――オシウス様のところじゃないのですか?」


「馬鹿ね、セクルス。まずは何をおいても、崇高なるジークハルト様の元へ向かうのが筋でしょう! あのお姿、佇まいを拝まずして、わたくしがお父様の部屋になど行くはずがないでしょう?」


 階段を登る足を止め、凶悪ドリルと共に振り返ったエリーゼはまるで神を盲信する信者の如き眼でセクルスを咎める。そんなエリーゼに対し、セクルスは呆れた溜息を隠しもせず吐き出した。


「あー。またでございますか……。いい加減、初恋の君である先王陛下を崇めるのはお止めになってはいかがですか?」


「何を馬鹿な事を言っているのかしら、いい、良くお聞きなさい?」


 腰に手を当て人差し指を吐き出したエリーゼが、その美しい顔を寄せセクルスにその思いを語る。


 まずはじめにエリーゼの心を奪って離さない男――先王ジークハルト・フォン・アルトゥースについて、知っておくべきことをここに記しておく。

 御年五十八になるジークハルトは、第二十六代国王として長年勤めをはたした。若き頃の二つ名は、静かなる獅子。沈黙のまま事の成り行きを傍観する裏で、悪事を働く悪党に対し逃げられない証拠などを掴むことからこの名が着いた。

 ジークハルト自身は、竹を割ったような性格をしている。彼は、文武両道の精神の元、武にも勉学にも優れていた。

 それだけではなく、ジークハルトは先の王妃である妻を溺愛し、年を経た今でも仲睦まじい様子が見られている。二人の間に出来た子供は、全部で七人。

 王位を退位したのは、今から十八年前。当時王太子だった現王ユベルトに第一子リカルドが生まれたと同時だった。


「いい? ジークハルト様はね。不埒者に攫われそうになったわたくしを、馬車を飛び降り助けて下さったのよ! あの飛び降りる瞬間のジークハルト様は、本当に素敵で……はぁ、もう一度あのお姿を拝見したいわぁ~」


「それは、それは、見事なお姿でしたでしょうね? ですが、エリーゼお嬢様……ジークハルト様は御年五十八になるご高齢でございますれば、今一度それを実行されますと間違いなく、身体を壊すことになりかねませんよ?」


「…………そ、そんなことわかっているわよ」


 エリーゼの返答にセクルスはこれは何も考えていなかったな、と思い至る。


「それにですね? 婚約を解消したところで、ジークハルト様とお嬢様が結ばれる可能性は微塵もありません。なら、どうすればいいか、よく考えてみましょう。王太子でありジークハルト様の可愛い孫である王太子殿下とこのままご結婚された方が、よりジークハルト様のお側にいられるのではないのですか? あまつさえ、嫁だからと可愛がっていただけるのではありませんか? その為には! まず、王太子殿下を骨抜きにして、お嬢様が、王太子を乗りこなせばいいのです!」


 セクルスは、熱く語る。その姿、声にエリーゼは「確かに」と頷いた。

 王太子との結婚に向け気持ちが傾きつつあるエリーゼの様子に、セクルスはあと一押しであると口角を上げる。

 エリーゼと言う人間は思いついたら即行動であり、事後について考えない性格だ。

 ここで一つ最大の餌を与え矯正――以前から、餌で釣れと旦那さまから言われていたので仕方なく(昇給のため)――する。


「いいですか? このままお嬢様が婚約解消すれば、それは逃げと取られてしまうのですよ? あんな桃色髪の良くわからないツルペタに敗北していいのですか!?」


 ハッした表情でセクルスを見たエリーゼは、暫しその場で固まりそして――。


「…………確かに、お前の言う通りだわ。あんな絶壁にわたくしが負けるなんてありえませんわ! それに、婚約者と言えどリカルド殿下に逃げた、なんて思われるのは言語道断ですわ! セクルス、すぐに作戦を練るわよ」


 言い終えるなり足早に階段をのぼり、自室へと向かうエリーゼの背中を追いながら、セクルスはかかったとほくそ笑む。





 王家の紋章を付けた一台の馬車が、玄関先へと到着する。御者が扉を開き、朝日を受けたキラキラの王子様が馬車から舞い降りた。

 伏せられた瞳がゆっくりと持ち上げられ、流れるように周囲を一周見回したかと思えばエリーゼの元へと引き戻される。それまでの無表情が嘘のように口角が上がり、キラキラ度合いが数段跳ねあがった。


「エリーゼ、朝から君に会えるなんて思わなかったよ。この幸福をどう言い表せばいいか」


 この世の幸福を全て集めたかのように輝くリカルド。そんなリカルドを前に、朝一番からエリーゼは軽く顔を引きつらせる。


(な、なな何この輝きは!! 目がっ、目が開けていられないわっ!!)


 余りの眩しさに瞼をきつく閉じ、手で覆い隠したいのを必死に堪えエリーゼは眩しさに抗いながら挨拶を交わす。


「……リカルド殿下、おはようございます。殿下と朝一番でお会いで――」


「あぁ、エリーゼ、おはよう。私の美しき花」


 朝からエリーゼに会えた幸福に自然と笑顔になるリカルドは、己の心を示すためエリーゼの掌へと口づけを落とす。

 一方で、ドクドクと耳に聞こえる心音を感じながらエリーゼは、ゆでだこのように赤くなった顔を、ぷるぷると震える手で押さえる。


「り、りりりりかるどで、でんか……」と、純情に服を着せたようなエリーゼは名前を呼ぶのが精一杯だった。


リカルドは「薔薇のように色付いた君も可愛いよ」と、エリーゼの耳元で囁く。


(む、むむむむむ無理ですわ。心臓が持ちません。セクルス、なんとかして――って、またですの、また役立たずがいませんわーーー!!)


 朝一番の勝負は、リカルドの圧倒的勝利で幕を下ろした。

 その日、エリーゼは色々な事――例えば、昼食、食後の散歩、図書館での勉強などなど――でリカルドに(勝手に)勝負を挑む。が、それら全てにリカルドは勝利していた。




 王宮で催された王妃主催のお茶会が始まって既に一時間と少し、王太子の婚約者として王妃の隣に座ていた。

 流れるように挨拶を交わすエリーゼは、これまで見たリカルドの行動や言動に疑問を持つようになっていた。


(殿下の事がわからないわ。何故、ここまでわたくしを好きだと言う雰囲気を出せるのかしら? 殿下の好きな方はリリアン様よね? 殿下とわたくしは政略のはずでしょう?)


 まさかリカルドが自分に惚れているとは露とも考えないエリーゼは、チラチラと横目で今も挨拶にきた男性に対し笑顔で会話しているリカルドを観察する。


「ほう、それは大層素晴らしいですな」


「そうでしょう? 私の婚約者にしておくには、勿体ないです。けれど、私はエリーゼを離してやれない。彼女の美しさと聡明さに、日々惚れ直していますから」


 恥ずかしげもなく言い切ったリカルドが、その秀麗な顔を緩ませた。すると話をしていた男性が「これは参りましたな……ハハハハ」と笑う。


 ひとしきり会話を終えると男性が去り、王妃が所用で退席した隙をつきリリアンがリカルドの側へと駆け寄った。


「リカルドさま」


 いつも以上に甘ったるい声音でリカルドを呼ぶリリアンの声に、一瞬だけリカルドの表情に険しさが現れ消える。リカルドの表情の変化を目ざとく見ていたエリーゼは、こんがらがった頭を更に悩ませた。


「あのぅ~リカルドさまぁ、その、相談があるんですぅ~。二人でお話しできませんかぁ?」


「あぁ……。だが、今日はエリーゼを――」


 上目使いにチラチラとリカルドを見るリリアンに、目を向けたままリカルドは言い淀む。彼ら二人のやり取りを盗み見ていたエリーゼは、自分が邪魔なのだろうと思い至り「わたくし、少し所用を済ませて参りますわ」と言い置き席を立った。


 何食わぬ顔をして王宮の方へ向かうエリーゼは、人が一人隠れられそうな柱を見け影に入る。隠れていると言っても広がるドレスを着ているのですぐにばれてしまうのだが、エリーゼは気付かない。そっと顔だけを出し、顔を寄せ合う二人にエリーゼはもやもやとした何とも言えない感情を抱いた。

 

(相談とリリアン様が言っていたから、あの二人が思い合っているのは当然よね。けれど、一体どんな相談をしているのかしら? あぁ、もどかしいわね。どうしてわたくしは側を離れてしまったのかしら?)


 ドレスが隠せていないエリーゼを柱の陰に見つけたリカルドは、その秀麗な顔をニヤニヤと歪める。


「殿下……その顔気持ち悪いです。と言うよりも、エリーゼ様との進展はありましたか? いい加減、恋敵役するのだるいんですよね~」


「……リリアン、黙れ。それなりに給料は払っているだろう? だったら、最後までやり通せ」


「えー、協力者にその態度は、あり得なくないです?」


 先ほどまでの甘い雰囲気を失くしたリリアンが、呆れを含ませた声でリカルドを貶す。リリアンの言葉に不機嫌さを隠しもしないリカルドは、リリアンを睨みつけ大きく息を吐き出した。


 暫し顎に手を当て考えていたリカルドの口から「決め手に欠けている気がする」と零される。その言葉に、リリアンも納得しつつ何かないかと思考を巡らせた。


「決め手ですかー。そうですね~。あ! 良い事思いつきました。これやってダメなら諦めてわたしと結婚して下さいね?」


「結婚はしないが、話は聞こう」


 二人でコソコソと話し、ある程度の内容をリカルドが把握するとリリアンは「じゃ、後はのちほど~」と言い置きその場を離れる。

 リリアンが離れ、エリーゼが戻るとリカルドは今までと変わらぬ王子様然とした態度でその後のお茶会を過ごした。




 三月後、エリーゼはそれまで幾度となくリカルドに挑み、敗北を喫した。その戦いの中で、エリーゼのリカルドに対する気持ちが少しずつ変わっている事にエリーゼは未だ気付いていなかった。否、気づかないフリをしていた。なぜなら、その間リカルドとリリアンが急接近していたから。

 

 そんなある日、エリーゼはリカルドに呼び出された。場所は、例の東屋だ。

 重い足取りで歩き二人の元へと向かったエリーゼは、難しい表情をしたリカルドに一瞬だけ怯む。


「エリーゼ・バウルム。私とあなたの婚約を今日限り、破棄する」


 抑揚のない声でエリーゼに告げたリカルドは、己の右腕に絡みつくリリアンと愛おしそうに見つめ合う。そんな二人の様子に、エリーゼの心臓が一度大きく鳴った。


(これは一体どういう事なの? 訳がわかりませんわ。どうして、どうして突然婚約破棄などと言われなければならないのですか?)


 どうして? と言う疑問だけが、エリーゼの頭を支配する。


「リカルド殿下……突然……。いえ、理由を教えて下さいませ」


 何かを言いかけ止めたエリーゼが唇を噛み、リカルドに理由を問う。


「見て、わかるだろう? 王族と言えど、愛する者と結婚するのがこの国での習わしだ。私はこれまで、幾度となくエリーゼ嬢に愛を乞うてきた。だが、貴方は私の思いに一度として、答えてはくれなかった」


 辛そうに顔を歪めるリカルドの腕を、リリアンが優しく撫でる。信頼し合った二人の行動に、エリーゼの胸がギシギシときしむ音を立て痛む。


「そんな傷付いた私の心を、このリリアンが癒してくれたんだ」


「リカルドさまぁ~。大丈夫ですよ。わたしが、貴方を守りますからね~」


 これまで幾度となく自分に向けられたはずのリカルドの視線が、今ではリリアン以外捕えていない。その上、リカルドはエリーゼに見せつけるようリリアンの腰を抱きなおす。


(あぁ、なんだ。やはり、そうなのですね。何故わたくしは気付かなかったのでしょう? どうして、今更気付いてしまったのでしょう? わたくしは、戦いを挑む中で殿下と言う個人を好いてしまったのですね。なのに、それを知った途端、フラれるとはなんと情けないのでしょうか……)


 自分の愚かしさにエリーゼが瞼を降ろす。それと同時に彼女の頬に、つぅーと一筋の煌きが落ち伝う。

 まさかエリーゼが涙を流すと思っていなかったリカルドは、焦りの余りエリーゼの元へと足を踏み出す。それをリリアンが必死に止め、無言のまま二人は視線だけで会話を交わす。


『殿下、今動いたら何にもならないじゃないですか! 何のために、わたしが悪役やってると思ってるんですか! この数か月を無駄にしないで下さい!』


『っ! だが、エリーゼが泣いている。私はエリーゼを泣かせたくない』


『だからって、今動いたら何にもならないでしょうが!! 馬鹿ですか? アフォですか、いい加減にして下さいよ!』


『じゃぁ、どうしろと言うんだ。黙って見てろとでもいうのか? ふざけるな!』


 瞼を降ろした状態のエリーゼがいつ目を開けるかハラハラしならが、会話を交わしていた二人の前で、彼女は決意を新たに瞼を開いた。


「殿下、リリアン様。わたくし、決意致しましたわ」

 

 何をだ、とリカルドが聞くよりも早く、エリーゼは懐から短剣を取り出す。それに慄いたリリアンによってホールドされたリカルドが止める間もなく、エリーゼは煌めく銀髪をばっさりと短く切った。


「なっ、なんてことを!!」


「ちょっと、何やってるんですか! あぁ、勿体ない!!」


 叫ぶリカルド。あぁ、やらかしたーと言わんばかりのリリアンを無視して、切った髪をそこら辺に投げ捨てたエリーゼはスッキリとした表情を見せる。


「ふぅ~、スッキリしましたわ。さて、リカルド殿下。申し訳ありませんが、わたくしの話を聞いてくださいますか?」


 何の前触れもなくリカルドに向き直るエリーゼの声に、リカルドの背筋が伸びた。


「あぁ、聞こう」


「わたくし、つい先ほど気付いたのです。リカルド殿下をお慕いしていたと。ですが、殿下とリリアン様が思いあっていらっしゃいますのは、この数か月ずっと見てわかっておりますの。ですから、殿下のご要望通り婚約破棄を受け入れま――」


 最後の一言を言う直前、リカルドがリリアンを振り切りエリーゼを強く抱き寄せた。ふわりと香るリカルドの香水が、エリーゼの決意を鈍らせる。それでも、好きになった人のためだと、エリーゼは腕に力を入れてリカルドの身体を押した。

 が、男であるリカルドの力に勝てる訳もなく。「エリーゼ、すまない」不意に耳元で囁かれた謝罪の言葉にエリーゼの押す力が弱まった。


「それは、何に対する謝罪ですか?」


「リリアンを愛していると言うのは嘘だ。エリーゼと婚約破棄するつもりはない。私が愛してやまないのは、エリーゼだけだ」


(一体何が起こったのかしら? わたくし、フラれるために告白をしたのだけれど? どうして殿下は、謝っているの? ここ数か月の殿下とリリアン様は本当に恋人同士のようだったわよね? なのに、それが全部嘘とはどういう事かしら?)


 リカルドの言葉を受け、エリーゼは思考の渦に嵌る。グルグルとこれまでの事を思い出しては、二人の仲睦まじい様子を目の当たりにしたと否定を繰り返す。


「えっと……リカルド殿下は、リリアン様ではなく、わたくしが好き?」


「あぁ、そうだ。私はエリーゼを心の底から、愛している」


 息がかかりそうなほど顔を寄せたリカルドの熱っぽい返事に、なるほどぉ~とエリーゼは頷く。顔を上げ、赤く染まったリカルドの顔をマジマジとみて、そうなのか、好きなのか、と夢の中にでもいる感覚のまま考える。


「………………え、愛してる? は? リカルド殿下がわたくしを愛している!?」


 リカルドの言葉を何度も繰り返し呟いたかと思えば、エリーゼの全身が急激に赤く染まった。目を見開いた彼女は何かを言いたげにパクパクと魚のように口を動かすも、最終的には諦め俯く。


「相変わらず、エリーゼは可愛いね」


 抗議しようと顔を上げたエリーゼの唇に、むにゅっとした何かが当たり離れる。キスをされたのだ、とリカルドの行動を見て察したエリーゼの思考は、そこで完全に停止した。それどころか、身体の力すら抜け、気絶した――。




 数日後、屋敷で療養中のエリーゼの元に、リカルドと共犯者であるリリアンが訪ねてきた。エリーゼの部屋に入るなり申し訳ないと謝る二人に、エリーゼは苦笑いを浮かべ椅子を進める。

 セクルスが良い笑顔で紅茶を配り下がるのを見計らい、エリーゼは気になっていたことを二人へ問うた。


「どうして……あんな、嘘を?」


「エリーゼの気を引きたかった。いや違うかな……。その情けない話だが、私がただ、エリーゼに愛されたかっただけだと思う」


 恥ずかしそうに俯くリカルドの様子から、嘘じゃないと思ったエリーゼは次の質問へと移る。


「その、ずっと気になっていたのですが、わたくしと殿下の婚約は政略ではないのですか?」


「それは無い。エリーゼも知っての通り、この国では王族も一夫一妻制が順守される。それ故に、愛する者を妻に迎えるのが慣例だ」


「では、わたくしがリカルド殿下の婚約者となったのは……」


 言葉を濁しリカルドへ視線を投げるエリーゼに、リカルドはひとつ頷き「そうだ。私が、エリーゼに一目惚れしたからだ」とあっさり認めた。エリーゼは、赤くなりながらも頷き理解を示す。


「リリアン様とは、どうして……その、そう言う関係に?」


「あー、それについては、何と言うか……」


「わたしは、ジークハルト様付きの執事アリアンの娘です。リカルド殿下が、エリーゼ様との仲を中々進められないと知ったジークハルト様の命で、恋敵役をしておりました」


「はっ? じ、ジークハルト様が今回の件にご関係あるのですか?」


 思いもしないところで、憧れのジークハルトの名を聞いたエリーゼが素っ頓狂な声を出す。それに頷きリカルドとリリアンは今回の事の顛末をエリーゼに語った。


 事の始まりは、学園の入学を控えた半月前。エリーゼとの仲が中々進展しないリカルドは、祖父ジークハルトにどうしやらいいのか相談する。かわいい孫が、好きな女性を射止められていないと知ったジークハルトは、自分が妻を落とした時の作戦――恋敵が居れば、相手の気がこちらに向くと――をリカルドに教えた。

 恋敵が居ないと焦るリカルドのため、ジークハルトは恋敵役にと自身が最も信頼する家令一族の末娘を推薦。それがリリアンだった。

 満を持して学園に入った二人は、エリーゼを振り向かせるため赤の他人のフリをしながら色恋を演じる。だが、一向にエリーゼは振り向かない。

 これはいよいよ万策尽きたかと思われた王妃主催の茶会で、漸くエリーゼが何か違うと気付いたリリアンは、最後の賭けに出るべきだと進言する。


「私は反対したんだ。だが……どこかで私たちの計画を知ったお爺様が、やれと仰って……」と言いながら、リカルドは申し訳なさそうに再び「すまなかった」と謝る。


「まぁ、わたしが言うのもどうかと思いますが、大御所様ならそうおっしゃるかと……あの方、酸いも甘いも大好きですから」


「はぁ……、では今回の件はジークハルト様もご存じと言う訳ですね?」


「あぁ、どちらかと言うと主動はお爺様だ」


(何という事でしょう。わたくしが、うじうじとしていたばかりに、ジークハルト様にまでご心配をかけするとは……この件については、後でご神体――ただの姿絵――にキッチリ謝罪しなくては……それよりも、まずは……)


 八の字に眉尻をさげ未だ浮かぬ表情を見せるリカルドの手にそっと手を添えたエリーゼは、その可愛らしい顔に笑みを浮かべる。


「事情は分かりましたから、もうその様な顔をなさらないで下さいませ。わたくしを想う故だったのでしょう? なら、もう全て解決ですね?」


「エリーゼ!!」


 勢いよく顔を上げたリカルドが、「きゃっ」と可愛らしい悲鳴をあげるエリーゼを腕の中へ閉じ込める。瞬間何が起こったのか理解していなかったエリーゼの耳元で「エリーゼ、愛してる」リカルドの声が囁く。

 純情なエリーゼが、羞恥の余り気を失うまで十秒だった――。

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枯れ専令嬢の婚約破棄?事情 ao @yuupakku11511

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