戦場の屋台
常畑 優次郎
噂の荷車
戦場を渡り歩く傭兵の間には有名な話がある。
それは激しい戦いの中で現れる不思議な荷車の話だ。
その荷車が現れた戦場では必ず戦いが中断する。それほどに不可思議な出来事が起こるというのだ。
曰く、荷車には大量の兵器が積んであり、荷車に認められた方の軍がその兵器を使って勝利する。
曰く、荷車から無限の兵が現れて両軍を壊滅させる。
曰く 荷車は神の使いで両軍の戦意を喪失させて戦いを終わらせる。
などなど、その噂は数多くあり、ほとんどが起こるはずもない突飛なものばかり。
そんな事が起こるのであれば傭兵にとってありがたい事この上無い話だろう。命を削って戦い続ける俺達にとって、金さえもらえるのであれば戦いなど早く終わるに越したことはないのだから。
「行くぞぉぉぉぉっ!」
魔法や矢が飛び交う戦場で、剣一本を握り締める俺達の役割は一番死に近い。十人程度の小隊の隊長の号令で意識が戻ってくる。俺は頭を降って意識を切り替えた。噂でしか聞いたことの無い話を考えて、矢でもくらうなぞ笑い話にもならない。
この戦場は両軍合わせて数千人程度、比較的規模が小さい小競り合いのようなものだが、それでも何百人もの人間が命を落とす。その死者の中に入らないようにするには、相手を殺さなくてはならないのだ。
「っ」
「くそっ!」
隣で走っていた仲間の眉間に矢が生える。衝撃で口から出た舌打ちのような音が俺の脳裏にこびり付く。明日は我が身などとは言うが、運が悪ければ数秒後には同じ運命をたどることだろう。
「怯むなっ! 進めぇぇっ!」
この隊長は突撃しかできないのだろうか?
戦いが始まってもう二日だが、あの口から進めという言葉以外出ていない気がする。どこぞの貴族の次男だと言っていたが、あまり興味が無かったので覚えていない。
それでも被害が少ないのは実力がるのか、ただ運が良いだけなのか……。
飛び来る矢の雨を掻い潜りながら足を動かしていると、急に辺りに霧が立ち込めてきた。今いる場所は山岳地帯なのだから多少天候が変わりやすいとして、あまりにも急すぎる。
霧の発生と同時に降り注ぐ矢も、周囲から聞こえていた魔法の爆発音も聞こえなくなっていた。
「なんだこれは、おいっ! だれかっ!」
小隊の全員が足を止め、隊長は声を荒げて状況を確認しているが、答える事の出来る人間はいない。
不意に音が辺りに鳴り響く。
それは聞いた事の無い音で、笛の音によく似ていた。
「いらっしゃいませ」
辺りを警戒していると、低い男の声が耳に届いた。いらっしゃい? この場に会わない台詞に小隊の全員が困惑していると、霧の中から大きな荷車のようなものが見えてくる。
荷車にはそれを引くべき馬もいないのにも関わらず、ゆっくりと進んで俺達の前に止まった。
「きっ。貴様は誰だっ!」
「私はこの店の店主です」
隊長が怒鳴りながら詰問すると、荷車から下りてきた見たことの無い服装の男は丁寧に挨拶をしてくる。全身を白い衣で覆い、頭にも白い帽子をかぶり、戦場には似つかわしくないその姿に、俺は先程の噂を思い出して、目の前の男が本当に人間なのかと懐疑の眼を向けた。
「ようこそお客様。よろしければ一杯食べて行って下さい」
「食べる……だと。戦場で貴様は何を言っているのだっ! 敵の作戦かっ!」
冷静な態度を崩さない男に、隊長は鼻息を荒くして剣を突きつける。それでも眼前の男は焦る様子もなく、俺達を見据えていた。
「戦場だからこそです。貴方方に必要なものは、きっと美味い飯ですからね」
そう言いながら男は荷車へと戻っていく。あっけにとられた小隊の面々は言葉を発する事無く隊長の顔を覗き見し、その指示を待つことしか出来ない。
霧が立ち込めてからは敵の姿は無い。それどころか俺がいる小隊以外の味方さえ見えなくなっている。
困惑していると男が荷車から器のような物を手に持ってきた。
「食べてみてください。美味しいですよ」
「ふざけるなっ! そんな怪しい物口に出来るわけないだろうっ!」
隊長の言は至極もっともだ。戦場のど真ん中で、得体のしれない荷車の男が振る舞う飯を誰が食べるというのか。
だが。
しかし。
これは、なんとも芳しい香りではないか……。
「ごくりっ」
思わず唾を飲み込んでしまう程の濃厚な匂い。屋外だというのに。俺の位置から男の器迄数mは離れているのに。なんだこの距離をものともしない程に食欲を掻き出してくるような獰猛な香りは……。
今日は飯を食べれていないということもある。頭ではダメだと理解してはいるが、この匂いに勝てない。一歩足を前に進めると歩みは止まらず、警戒している隊長の横を通り過ぎ男の前に立つ。
「おいっ。お前っ! 勝手な行動をするなっ!」
「すみません隊長。俺は、俺は、止められませんっ!」
「どうぞ……」
見たことの無い服装の男はにこやかに笑うと、器とフォークを渡してくる。なぜ止められないのか? そんな風に思うが手を止める事が出来ない。
器に目を落とすと黄金色に輝くスープがそこにあった。煌びやかに輝く黄金の液体は、波打つ度に芳醇な香りを立て、俺の鼻腔をくすぐる、いやくすぐるどころではないのだ。
身体全体がこの匂いに支配されてしまっていると言ってもいいほどに、すぐに呑みほしてしまいたい欲求に駆られている。
「……っつ!?」
器から直接スープを飲む。
なんだこれはっ!?
こんなにも濃厚なスープは飲んだことが無い。全身が痺れる程に歓喜の声を上げているのがわかる。しばらくまともな食事をとっていなかった身体に、栄養と言う名の刺激が落ち込み、舌を通じて脳に、脳から全身へと伝わっていく行程がつぶさに理解出来る程だった。
「お、おいっ! お前……平気なのか……」
「……」
隊長が声をかけてくるが、すでに俺は目の前の器を空にする事だけしか考えれなくなっている。
当然、声を無視して器を傾けた。
と。
視界に映るスープの中に、なにやら具材が見える。ただのスープでは無かったという事か……。
渡されていたフォークでそれをすくうと、どうやら麺のようだ。だが普段目にするものとは色も質感も違う。何で出来ているのか? 本当に食べて平気なのだろうか?
いや、考えるのを止めよう。どうせもう引き返せないのだから。
フォークに絡めた麺をとろみのあるスープと共に口の中へと入れ。
一噛み……。
「っっつ……っ!!!!!!?」
先ほどのスープの破壊力も凄まじかったが、なんだこの麺は、噛めば噛むほどに口内が支配されていくではないか。
美味すぎる。
次の瞬間には器の中が空になっていた。どうやら、ほんの一瞬で食べ終えてしまったと勘違いする程に一気にかけ込んで食べてしまったようだ。
「ふぅ……」
「お、おい。どうなんだ……」
「……俺は今、世界を味わった……」
不思議な事にこの感想が妥当だと本当に思ったのだ。
もっと食べたい。
毎日毎食腹が裂ける程に食したい。
それほどに美味いはずなのだが、なぜか俺の欲は満たされていたのだ。満足だと、頭も心も胃袋も完全に満たされたいる。
「ごくっ……」
小隊の仲間の誰かから唾を飲み込む音が漏れ出ていた。
「俺はもう我慢できないっ!」
「俺もだっ!」
「俺にもっ!」
一人切り出すと、雪崩のごとく全隊員が隊長を押しのけて男へと殺到する。
「落ち着いてください。全員分ありますから。今、持ってまいります」
岩の上に腰を降ろした俺は、騒ぐ隊員にも冷静に対処していく男を見ながら、この男は神の使いなのだろうと思ったのだ。
あのような至高の料理が存在するのは、きっと天上の神の国だけだろう。
「美味すぎるっ!」
「もう死んでもいいっ!」
「ここが天国かっつ?!」
仲間達の歓喜の叫びを聞き、隊長へと目を向ける。じっと耐えるように地面を見つめているが、そろそろ限界だろう。目の前で最高の料理を食べている部下を見て、耐えられるはずがない。
「俺もだっ。俺にもくれっ!」
「はい。用意してありますよ」
……結局全員が食べる事になったが、本当に平気なのだろうか? 後になってから死んでいましたでは……いや、死んだとしても後悔はない。
「美味いぞーーーっ!!」
隊長が食べ終わるころには霧が晴れ、戦場の景色が戻ってきた。どういう理由であの料理を食べさせたのかはわからないが、殺す気だったわけでは無いようだった。
「停戦せよっ! 両軍停戦せよっ! 剣を振るってはならんっ! 停戦するのだっ!」
不意に辺りに声が響く。その声は両軍の陣営から魔法で拡散されているものだったが、その内容は両軍とも同じで戦いを止めろというものだ。
「どうなってんだ……」
呟く俺の周りには小隊以外の人はおらず、少し離れたところに友軍の影が見える。荷車の姿は無く。白い衣の男の姿も無い。
夢でも見ていたのではないかと思うが、口の中に広がっている先ほどの料理の残り香が、現実だったのだと教えてくれていた。
結局戦いは終わり。戦争をしていた両国は停戦協定を結ぶことになった。
俺の予想では、戦場に出てきていた国の幹部にもあの料理が振る舞われ、上層部に戦争をする気力がなくなったのだろう。争い事が馬鹿らしくなる程の味だったのだ。
あの荷車が何だったのかはわからないが、もしかしたら本当に神の使いで人間の愚かな戦争を止めて回っているのかもしれない……。
かくいう俺もあの時の戦争以降傭兵を引退して、実は料理の道に進んでいる。美味な料理というものは人の欲望を一時的にだがかき消す。あの時食べたあの味が少しでも再現出来ればと努力しているのだ。
戦場の屋台 常畑 優次郎 @yu-jiro
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