雫の轟音革命計画
カピバラ番長
第1小節 隙間風の吹いた日
世界とは不思議なモノで。
[二度とない]を二度も経験させてくれる。
それが誰かにとっては大した事の無いーーもしかしたら嫌いな事かもしれない。
でも、私にとってそれは、自分の一生を捧げてもいいと思えるほどに強烈で、鮮烈で。
「すげぇ……」
何よりも、死んでも手放したくないモノだった。
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春。
日向は柔らかな毛布で包まれたように暖かく、視界を彩る桜の並木道広がる季節。ただの花に華を見て、咲くかどうかに誰もが一喜一憂する季節。
夏。
照り刺す陽射しに顔を歪めて空に悪態を吐く季節。留まる事を知らず流れる汗を[水]という絶対の自然の摂理で洗い流し、誰もがつかの間の心地よさを得る季節。
秋。
外は肌寒くも、鮮やかな景色に心奪われ時が過ぎるのを忘れてしまう季節。心に景色を留める事を[狩り]と言い放ち、誰もが枕元で耽る季節。
冬。
吐息すら凍る寒さに耐え忍び、身を寄せ合う季節。澄んだ空気が降り注ぐ陽光によって輝き、その美しさに誰もが息を呑む季節。
春夏秋冬、四季折々。
この世界は、人間が生きるのに飽きないよう創られている。
それ故に芸術が成り立ち、それ故に人は幻想を想い描いてきた。
……だけど、私はその[誰もが]の枠には入れない。
独りなわけじゃない。
こうやって学校には来ていて、人と会話もできる。
薄布一枚隔てた口で、絶対に見られないように。
だから会話は必要最低限。
熱中して、マスクがずれたら最後。私はここでも居場所を失ってしまう。
まるで無口な私は、みんなになんて思われているのだろう。
根暗?人見知り?感じの悪い奴?
分からないけど、どうせろくでもないんだと思う。
……違う。
私はそんな奴じゃない。
話すのが好きだし、歌うのはもっと好きだ。
リズムに乗せられる人の想いと心情を表す音。紡がれるメロディには季節だって見える。
それを聞くのが大好きで、自分で歌を歌う時は何もかもを知ってる気分になれるのがこの上なく嬉しい。
歌の中はいつも誰かが必ずいるから。
孤独な歌でさえ、孤独になる前に一緒に居た人が、世界が見えるから。
だけど私は歌えない。
人前では決して歌えない。
だからこうして誰もいない、絶対に来る人がいない放課後に、衝動のまま一人で口ずさむ。
本当は誰かと共有したい気持ちを隠して一人で口ずさむ。
いつも来ない。誰も来ない。そういう時を狙って。
…………なのに。
「すげぇ……」
初めて、見られてしまった。
私の歌う姿を。
ひた隠しにしていたこの歯を。
「すげぇすげぇすげぇ、すげぇよ!!!」
締めていたはずの廊下へ続く扉が開かれ、そこから私を見ていた一人の少女が興奮を隠す様子もなく駆け寄ってくる。
怖くもなんとも思ってないのは、そこからじゃちゃんと見えなかったからだと思う。
だから隠そうとした。何かを見られるよりも早く、歌うのをやめてマスクで鼻まで隠して。
「なんで辞めちゃうんだよ!もっと聞かせてくれ!!」
でも、彼女が来るのはそれよりも早かった。
今の私は、[見られたのが恥ずかしくて歌うのをやめた、ちゃんとマスクの掛けられない人]になっている。
「大丈夫、リズムも音程も完璧だった!テレビだってラジオだって、どこに出ても恥ずかしくなんてない!」
戸惑う私になんて気が付いた素振りも無く、グイと彼女は身体を寄せてくる。
この人は、確かライネ。轟 雷音。
この学校に三人いる、出来るだけ関わっちゃいけない人の一人。
「だからさ、頼む!もう一回だけでもいいから聞かせてくれ!!」
男子と同じくらい背が高くて、色もセットもまるでライオンの鬣のような髪の彼女に、私は言い寄られる。
どうしてそんなに求められるのかはわからない。
でも、これだけははっきりわかる。
私の学校生活は今日で終わりだって事。
悪童と名高いうちの一人に目をつけられた時点で、私の学校生活は終わりだろう。
噂は瞬く間に広まって、私の歌っている事は周知の事実になる。そうなればもう終わり。
こんな、誰もいなくて広い場所で歌う機会なんてなくなる。
……だったら。
「……いいよ」
「ホント!?」
だったら、もうどうだっていい。
さっさと歌を聞かせて終わりにしよう。
そもそもが浅はかだったんだ。
自宅とは違う、カラオケとも違う、開放感のあるところで歌いたかったなんて考えるのが間違いだったんだ。
だからさっさと歌って、この歯を見せて、帰ろう。
私の元の場所に帰ろう。
「単独悠々な海底散歩、最終便の箱舟は行ってしまった」
歌うのは、少女の歌。
周りの人間に孤独を押し付けられた哀れな少女の歌。
願った通りに水没した世界で本当の孤独を知った彼女は、その中で自分以外の人間が消えた雑踏を、電車を、独りで進む。
「口ずさむ音は届かないという、鯨もどうやら孤独じゃないようだ」
魚が眼前で泳ぐ世界で少女が知ったのは、誰もいない孤独も悪くは無いと言う事。
鬱陶しさなんてなく、煩わしさとは程遠い世界。
「紡ぐ言葉が何処にでも届くという、我らはどうして孤独なようだ」
けれど彼女が本当の意味で孤独を知ったのはこの時。
この喜びを、気付きを語り合える相手がいないんだから、やっぱり独りなんてロクでもない。
そんな、歌。
「…………どう、満足した?」
「あぁ……」
何処か恍惚とした表情で頷く轟さん。
それ程私の歌が良かったのか、それとも普段喋らない私の歌う姿を見て笑いをこらえているのか。
どっちにしても、私にはあんまり嬉しくない事だ。
「……この歌は、本当の孤独を知った少女が、独りだと思い込もうとしていた事に気が付き、もう一度あの頃のに戻りたくて心の叫びを願う曲だ。
だから歌う人間と演奏する人間が客に届けようとするのは[もっとよく、いろんな角度から世界を見て見ろ]って事」
「……まぁ、うん」
知ってるよ、そんなの。
だからこの歌が好きなんだ。
だから私はこの歌を歌うんだ。
自分に、似ているから。
「……ただ」
そう言って、彼女は私の両肩に手を置く。
その顔はまるで沸き上がる欲求を抑える子供のようで。
「ぜんっぜんなっちゃねぇ!!アンタのそれは自分を投影して悦に浸ってるに過ぎねぇ!!
こい!アタシが本当の叫び方を教えてやる!!」
「は、はぁ!?」
有無も言わせてもらえず、教室から連れていかれた。
目まぐるしく変わる景色を抜け、引っ張られるまま着いた先は一つの部室。
私が入学してくるまでは空き部屋だった、校舎から少し離れた場所にある一室。
少し前に聞いた噂だと、妙に五月蠅い音が聞こえる場所で。
「おおおおい!!新入部員連れて来たぞーーーー!!!」
開けられた扉の先で、噂の正体を知った。
「うるせぇよ、ライネ。今チューニング中」
「あっははは!ごめんごめん」
部室の中にいたのは二人。
一人は私も知ってる女の子、球磨本 杏子(くまもと あんず)。
学校一背の大きい子で、何かと怖い噂のある人だ。
話だと校庭端にある校長の胸像の腕部分を折ったとか。
やる気のない目とは裏腹に、過激な人らしくて、轟さんと同じ三人の悪童の一人。
「……で、忘れ物は?」
「んーーー、忘れた!!」
もう一人は見た事ない……けど、この二人といるって事は、多分悪童の最後の一人だ。
球磨本さんみたいな分かりやすい噂はない。……だからこそ、不穏な噂が流れてる。
曰く、闇でしか生きられない。とか。
流石にそんなわけないだろうけど、活動範囲が夜だっていうなら納得できる。
噂が無いから噂が立つ。……って言う凄く、嫌な話。
「何やってんの……」
「諦めろレイレイ。コイツはそういう奴だ」
「あはははは!
で、それよりも!!」
「ひっ!?」
三人だけで仲良く話してればいいのに轟さんは私の事を二人の目に入るよう前へ引っ張り出す。
「この子、今日から部員だから!!仲良くしてね!」
部員の二人……?に、何の了解も取らず、告げる轟さん。
ギターとかドラムとかがあるのを見るところバンドっぽいけれど、そういうのってこう、新しい仲間に厳しい気がするんだけど……
「「はーい」」
「んんん!?!?」
何でか分からないけど、二つ返事で入部させられてしまった。
「はーーいけってー。今日からよろしくね!……えっと?」
「名前も知らないのに連れてきたのかよ」
「……強引」
私に集まるみんなの視線。
「古波鮫 雫(こはざめ しずく)……です」
三人とも目つきが悪いせいで睨まれてるんじゃないかと錯覚してしまったからか、答えるつもりはなかったのに名乗ってしまった。
「そっか!じゃあしずく!!ボーカルは頼んだ!」
「……ライネがそう言うなら、まぁ、良いか」
「うん」
「え、ちょ、ちょっと!?」
名乗ってしまったが最後。
三人は私の事なんて無視して話しを進め始める。
「私、部活になんて入る気ないから!!だって、ほら!!!」
言いながら歯をむき出しにして三人に見せつける。
「ね!!分かったでしょ!?だから私は部活には入らないし、歌わない!」
ここまですれば分かるはずだ。
見てないふりもできない。
私が幼い頃に人を遠ざけたこれを、みんな見るはずだ。
……はずなのに。
「だから、それがどうしたの?」
轟さんは心底不思議そうな顔をして首を傾げた。
「それが……って!」
ーーバカにしてるんだ。
そう思った。
「この歯を見てよ!」
見せつけた。
ここにいるのが悪童と名高い三人組だというのも忘れて見せつけた。
「ギザギザの、まるで悪魔みたいなこの歯を!!」
歯が生えてから今日まで、私を苦しめ続けたこのギザ歯。
親には気を遣わせ、親戚には悪魔祓いを勧められ、他の人には気味悪がられたギザギザの歯。
「だから、嫌」
言いながらマスクをつける。
これだけ見せつければ分かるはずだ。
もう知らんぷりだって通用しない。
「……帰る」
だから用も終わり。
轟さんが本気で入れたがってたのか知らないけど、私は断った。
だったらもういい。
そうだ、家に帰ったら今日の事を忘れる為に歌を聞こう、本を読もう。
大好きな事を、好きな事をすれば、こんな嫌な思いは直ぐに忘れられるはずだ。
「待って」
「……嫌」
だからその手を放して。
私の肩を掴まないで。
「……何があったのかは知らないけど、そんなに嫌な思いを持ってるなら、このまま帰るのはもったいない」
「知らない、そんなの」
人の話も聞かず、轟さんは振り返っていた私を向き直し、近くにあったパイプ椅子に座るように促す。
「くまもん、レイレイ」
「わーった」
「……いいよ」
座る気なんてさらさらない。なのに、二人は何か準備を始める。
「そういや、しずくにはアタシらが何やってるか言ってなかったね」
そう言って、準備が終わったらしい二人のもとへ轟さんが向かって行く。
ーー逃げるなら今だ。
頭の中でそんな言葉が木霊する。
……でも。
「本当の叫び方、しずくに見せてやる」
轟さんの目を見たら、もう少しだけいてもいいかもって、思ってしまった。
「二人とも。アレ、いけるよね」
「当たり前だろ」
「勿論」
左右にギターを持ったくまもんさん……?と、レイレイ?さんが立ち、中央の少し奥側にドラムを演奏する轟さんがいる。
ーー演奏、するのかな。
漠然とそんな風に思った。
ギターにドラムにってあるんだから、それ以外するわけないのに。
けど、違った。
「……!」
なんの掛け声も無く叩かれる鼓膜。
それがドラムの音だって分かった時、緩んだギターの弦が響いた。
重なるドラム。間髪入れず続く緩んだ低い弦の音。そして。
「上げてくよ!」
一瞬鳴り止んだドラムの音が、シンバルを連れて帰って来た。
瞬間。
あらゆる音が一気に口を開きだした。
ーー叫びだ。
まるで人の心が、抑圧された感情が、ダムを破壊して辺り一帯に広がって行く感覚。
「いいよ、レイレイ!次、くまもん!」
「任せろ!」
後に続く緩んだ低い弦の音は、怒りを侍る虐げられていた民の足音に聞こえる。
「まだッ!」
奮起する民の間に訪れる一瞬の沈黙。
それはまるで我慢のように聞こえ。
彼らは、火蓋を想起させるドラムの音で駆け出した。
ーー戦ってる。
何とかは分からない。
きっと、今まで自分たちを圧してきた権力か何かなんだろう。
槍を、剣を……ううん、民なら多分農具とか木の棒とかだ。
そうやって戦って、けれど、やがて雨が降り出した。
それは鎮魂の為に振る雨のような、静かにけれど燻る音。
「もう一発行くよ!!」
「おう!」
「うん」
ギターが響く。
倒れ、傷ついた仲間を後押しする声が響く。
そうしてもう一度、火蓋が切って落とされた。
再び駆け出す民。
そこに退路の文字はなく、掲げているのは【勝利】の御旗だけ。
燻っていた感情を解き放ち、敵味方関係なく死体が降り注ぐ中を駆け続けていく。
「……っし!おっけい!!」
そんな、演奏だった。
「さっすがくまもんとレイレイ!今週持ってきた楽譜もう覚えたんだ!」
「そりゃそうだろ。ライネに『渾身の一作』って言われたらなぁ?」
「寝る気にもならなかった」
「っはは!そりゃ嬉しい!」
時間にして大体一分半。
歌の考え方としては一番の演奏が終わり、満足げに語り合っていた三人。
「っと、そうそう。しずく!」
けど、直ぐに轟さんは思い出して私の方に寄ってくる。
「どうだった?スカッとするだろ、ロックはさ!」
「……はい」
「えへへ。だろ!」
その顔は、本当に満足気だった。
「これ、どんな曲なんですか?」
ーーやりたい。
「んーー。まだ歌詞は決めてないけど、アタシらの胸の内にあるムカつきを乗せた曲、かな」
ーー私も、叫んでみたい。
「ん?何か言った?」
「はい」
彼女達が悪童と呼ばれているのに、誰一人として本当に悪い事をしていない理由が初めて分かった。
「私も、ここでみんなと一緒に叫びたいです」
彼女達は平気なんだ。
私みたいにうじうじやらずにこうやって叫んでたんだ。
「一回断ってるけど、いいかな、轟さん」
「……おう!当たり前だ!!」
そうして、決まってしまった。
「二人とも!改めてしずくだ!仲良くね!!」
「よろしくお願いします!!」
聞いた事しかない、バンドに入る事が決まってしまった。
けど後悔なんてあるはずもない。
私は叫ぶんだ。
今までの、ムカついてきた事を、全部……!!
to be next story.
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