第拾陸話 その少年、探偵につき。

 日を跨ぎ、また朝を迎える。


 時刻いつも和州が起床する頃の時間となり自然と意識が浮上してくる。


 眠さを訴えてくる体を叱咤して眠い目を擦りながらベッドから這い出す。依頼を達成してから遅くに侑たち3人が帰るまで騒いでいた影響が大きいのか昨日の疲れがまだ残っているようだ。


 1度ベッドから出てしまうと頭は一気に冴え渡り、いつものように朝食を作り始める。といっても今日は昨夜の夕食の余りものを温め直すだけなのだが。


 こういう朝には作り置きのものがあると大助かりだ。なんてことを考えているとまるで学生ではなく主婦をしているみたいで苦笑が漏れてくる。


 手を動かしながら待っていると電子レンジが温めが完了したことを告げてくる。そして温めていた唐揚げを取り出し、続けざまにコンロの火を止め茶碗に盛り付けを始める。


 全てが手際良く進められ、動きに一糸の乱れもない。途切れなく動き続けるものだから見る人によってはフロアに立つダンサーのようにも見えなくはない。


 そうしてテーブルに並べられたのは、大皿に乗ったまま温め直された唐揚げと白米,みそ汁そしてボールに盛り付けられたサラダ。取り分けるための小皿も一緒に置くことも忘れずに箸を添えてしまえば完成だ。


 サラダが食卓に彩りを与えてくれて実に美味しそうに映えている。白米とみそ汁からはホカホカとした湯気が立ち、洋室のリビングに日本の昔ながらな空気を与えてくれる。


 小鳥の囀りが聞こえるだけの静かな空間に朝日が差し込むこの食卓は風情を感じないでもない。なんだか心が休まる光景だ。


 朝から唐揚げなのが雰囲気ぶち壊しな感じもするが、それが現代人の趣を出している。これはこれで悪くはない。


 朝の食欲が湧かない気分の時でも食べたくなってしまいたくなる、そう思わせるような力がその光景にはあった。


 和州のお腹も空腹を訴え始めている。


 「よし……あとは歩矢さんか」


 だが、食べ始める前にまだ起きてこない歩矢を起こさねばならない。和州でさえ起きる時は辛かったのだから歩矢は起きてこないだろうが一応声だけはかけておく。


 身に付けられたエプロンが衣擦れを起こしながら後ろ手に外しされ、階段が規則的な音を立て始める。その音が歩矢の自室まで続いたかと思うとピタリと止んだ。


 「歩矢さーん。朝ですよー」


 歩矢がまだ寝ているであろう自室へと向けられて静寂を壊すように和州の声が響き渡る。


 それに返される返事はなく、今度はドンドンとドアを強めにノックして声を掛ける。だがそれでも反応はない。


 やはりというか歩矢は起きてこないらしい。


 「朝も少しは変わって欲しいんだけどな……」


 とはいえ家事の1つもせずに完全に和州任せだった歩矢が手伝うようになっただけでもましだろうと最近は減りつつあったため息を漏らす。


 背を向けて再び歩き出すその背中からは1人ボッチの朝の時間も少しは変わるかもしれないという期待が外れた哀愁が漂っている。


 トボトボと突き進み階段に足を掛けた所で和州の後方でガチャッとドアノブを回す音が鳴り、続いてドアが開けられていく音が物静かな廊下に鳴り響いた。


 和州は思わぬ音にビクッとして即座に振り向くとそこには寝巻であられもない姿のままの歩矢が居た。


 「おはよう、和州」

 「お、おはよう……」


 和州は予想外の出来事に固まっている。挨拶の返しもたどたどしい。


 「なんじゃい。鳩が豆鉄砲食らったような顔をしよって」


 言いながら歩矢はペタペタと素足で和州の元に歩み寄ってくる。


 「いや、今日も起きてこないんだなって思ってたから。声かけても何の反応もなかったし……」

 「あぁ、それの。実はお主の声は聞こえておらんかった。じゃが、なんとなく呼ばれたような気がしての。それで目が覚めたのじゃ」

 「それで実際は気のせいじゃなかったと……でも、昨日の依頼で疲れてるはずなのに起きれるなんて思わなかった。何もなくても起きれないのに」

 「今日こそは早く起きようと思いながら寝た賜物かの」

 「じゃあ、これからは毎日そうして欲しいかな」

 「うっ……あまり期待はせんでくれ」


 歩矢は向けられる期待の眼差しに顔を顰める。


 事実、歩矢は疲れと眠さで結構きつい。もう一度布団に潜り込んで昼までとは言わず午後まで寝ていたい気分だ。


 だが、和州に変わっていくと宣言した手前そうもいかず今にもくっつきそうな瞼を何とか開いている状態だった。


 だから、今日だけならともかくこれからもこれを続けていけるかと言われれば自信がない。


 「それよりも、歩矢さん。着替えて」

 「まだ誰も来んのじゃからこれでも差支えは無かろうに……」

 「目に毒だから、着替えて」

 「仕方ないのう……和州にはちと刺激が強すぎたかの?」

 「そういう訳じゃないから。僕は万が一来客があった時のことを思って言っているだけで……」

 「そうかそうか。お主も男子高校生じゃからの。全く、可愛い奴よのう」

 「だから違うってば」


 歩矢は目元をにやつかせ自室へと戻っていく。不満そうにする和州には隠れているがしたり顔だ。


 「あ、歩矢さん」


 だが、入ろうとしたところで和州に呼びかけられ振り向く。


 「二度寝はダメですよ?」

 「そんなの分かっておるわい」

 「どうだか」


 からかわれたことへの意趣返しとばかりに口元に笑みを浮かべる和州。やり返そうとしてくる子供っぽい所がどうしようもない程に可愛く思えてしまう。


 そんなどこか楽し気な顔を見ながら今度こそはドアを閉め、ベットにダイブすることなく着替えを始めた。


 和州はリビングで椅子に座って待っていると歩矢が下りてきた。


 白いワイシャツの裾を黒のフレアスカートに入れ込んだ出で立ちで、下した髪も整えられている。普段のだらしない歩矢はどこへやら。


 「おっ!今日も美味そうじゃの。早く食べようぞ!」


 昨晩のような賑やかな雰囲気と今のような穏やかな朝では目の移り方が違うのか歩矢はキラキラとした目で言う。


 「今日もって言っても昨日の余りものなんだけどね」

 「ということは儂も一緒に作ったものか。流石儂じゃ」

 「朝から唐揚げなんて作りたくないしね……じゃあ」

 「「いただきます」」


 ほとんど例を見ない和州と歩矢の2人で朝食は直ぐに終わり、和州が家を出なければならない時間になる。


 「じゃ、行ってくる」


 着替えを終え、リュックを背負って食後の珈琲を楽しむ歩矢に声を掛ける。


 「今週も頑張るんじゃぞ」

 「行ってきます」

 「気を付けての」


 家を出ると真っ直ぐに学校へと向かって行く。


 探偵の弟子をしている元泥棒だからといって何かしらのトラブルに巻き込まれるような治安の悪さもなく、学校に到着する。


 教室に近づいていくと何やら騒がしかった。


 「あ、おはよう、和州君!聞いたよ、探偵してるんだって?凄いね!」


 教室に入るなりクラスの上位カーストに位置する女子に声を掛けられた。


 話す口実を見つけて声を掛けに来たのだろうが、和州はバレないように行動していたはずだ。バレるとすればこのことを知ってる3人位からだろか。


 いずれ分かるだろうしゴキブリ並みにしつこい好奇心を持つ彼女ら相手では話を広げるも危険なため、無為に聞くことはせず無難な対応をして話を切り上げる。


 泥棒がどうとかと和州には聞き捨てならないことを聞きに来る生徒は他にも多かったが全員に塩対応で治めた。


 そうして席に向かっていくと数人のクラスメイトに囲まれたこの元凶が隣の席で立ち話に興じていた。


 「随分とモテモテですなぁ、和州君や」


 やけに芝居がかった喋り方をするのは彩羽侑。自分の席が目の前にあるのにあえて立って話しているのが女子っぽさがある。女子っぽいというか侑はれっきとした女子なのだけれども。


 「何で今日はこんな早いんだ?いつもはもうちょいゆっくり来てるだろ」

 「おっ!流石探偵。そこに気付きますか」


 周りに居るクラスメイト達も流石だの凄いだのと和州を褒め囃す。


 「別に。こんなん普通だろ。探偵も何も関係ないと思うけど?てか、いつまでその話し方を続けるつもりだよ」


 和州は席につきクラスメイト達を気にせず話を続ける。


 「まー、そんな謙遜しないでさ!で私が来るのが早かった理由は分かるかな、探偵さん?」

 「僕は探偵ってよりも弟子みたいなもんなんだけどね……」


 和州はニマニマしながらにじり寄ってくる侑は意に介さず考える。


 侑が分かるか?と問うならばここに来るまでにどこかで気付けることなのだろうととりあえず教室を見ま渡す。


 ぱっと見た所、壁やロッカーには特に異変は感じない。次に前の黒板に目を向けても特に気になるものは無かったが目の端に留まるものがあった。


 そちらへ目を向けると『日直:彩羽侑』と右端に日付と共に書いてある。


 日直は日誌を職員室に取りに行き、黒板を綺麗にしておかないといけないためそういうことだと一発で分かる。


 「流石、直ぐに気づいたみたいだね」

 「いや、こんなん誰でも分かるだろ」

 「それでも気づくのには早いじゃん!流石に観察力は凄いねってこと」

 「うん、まぁ……それはね……」


 ここで下手なことは言わずにぼかすだけにする。事実侑の言う通りなのだろうが、こう普段よりも注目の的になっている状態でかっこつけた発言をするのは和州の精神衛生上よろしくない。


 と、ふとまだ気になることを聞いてなかったことに気付く。


 「そういや、探偵のことが知れ渡ってるのって彩羽が原因か?口軽そうだよな」

 「実際そなんだから何も言えないんだけど、口軽そうって。ちょっと、酷くない?」

 「何も言えないって言いながら酷いとかいってんじゃねえか」

 「探偵だからって揚げ足とるようなことを言わないでよ!ねぇ、華鳴?」

 「んー?それは良いけど、お前ら、そろそろ静かにしたらどうだー」

 「「え?」」


 そう言われて周囲を確認すると担任の若い女教師が教壇に立ち、近くに居たはずのクラスメイトも着席し全員が自分の席から静かに2人を見ていた。


 「もう、皆言ってよ!何で誰も声かけてくれないの!」

 「彩羽さん?私、何回か言いましたよ?」


 担任の立花たちばながにっこり笑っている。


 彼女は普段、おっとりとして生徒に親しまれているのだが怒るときは怒鳴ることはせず、今のようにただ微笑むだけなのが恐ろしい。生徒の間でも立花だけは怒らせたくないとの評判だ。


 「た、立花先生……すみません。……てか、和州はいつの間に知らん顔して座ってんのよ!」

 「和州君は最初から座ってましたよ?立って話してたのはあなただけです」

 「いや、そうだけれども。ていうか、何で先生は和州の見方をしてるのよ。和州だって一緒に話してたんだから私と同罪でしょ?」

 「味方をしてる訳じゃありませんよ?私だって教師なんですからそんなことをする訳ないじゃないですか。ただ言葉に過ちがあったので指摘をしただけですよ。それよりも早く着席して下さい」

 「はぁい」

 

 立花がこんなやり取りを出来るのは生徒との距離が近い故のことだろう。


 もしそうでなかったら贔屓をしたとかで問題になってしまう。が、そうはならないのは皆、これが立花なりの冗談だと分かっているからだ。


 それを表すかのようにそこかしこで笑っている生徒が散見される。


 そして号令のために再び立ち上がった日直の侑の合図で朝のホームルームが始まった。






 「起立。礼」


 終業のチャイムを聞き遂げると侑が号令をかけて4限目が終わり、昼休みとなる。


 和州は真っ先にトイレへと駆け込み、話すのに丁度良い口実を見つけた女子たちからの追撃を回避する。


 「おう、和州。相変わらずの人気ぶりだな」

 「けど、探偵をしてたなんてなぁ……俺も知らなかった」


 鏡の前で喧騒から逃れぼんやりと息をついていると割と仲の良いクラスメイト2人が絡みにきた。


 「なんだ、お前たちか」

 「なんだとは随分なご挨拶だな」

 「いや、大内。そういう訳じゃなくてさ……疲れて過敏になってるだけだから」

 「分かってるって。冗談だよ」


 和州に大内と呼ばれた刈り上げの男がやけに楽しそうに笑っている。


 「でもよ、何で教えてくれなかったんだ?」

 「そうそう。峰岸の言う通りだ。別に教えてくれても良いだろうに」

 「いや、もの珍しさに家に来られそうだなって思って……ほら、前に言っただろ?父さんと母さんは……」

 「あー言ってたな。それで保護者代わりの人は親の知り合いなんだっけ」

 「そうだよ」


 成り行きで両親が事故死したことを和州から聞いていた峰岸も和州とは勝手知ったる仲で特には気にもせずに家庭事情に踏み込んだ話をする。


 和州が侑たちと同様にそれに足る信頼関係を築いたのがこの男子2人だ。


 「んーじゃあ、気になってたけど行かない方が良いか……」

 「そうなるのか。言ってみたかったけどな……ダメか?和州」


 この2人も和州が探偵をしていることには好奇心を覗かせながらしょんぼりとした様子を見せる。


 和州が家に寄せたくないという気持ちは巡り合わせが良くない歩矢にあまり知られたくないからというのが最大の理由だった。だが、今になってはそれは取り払われている。だから積極的に拒む理由がない。


 拒むよりかはむしろ今は歩矢とのこれまでの溝を埋めるためにも侑たちのような学校での友人を紹介するのも良いのかもしれないと考えていたりしていた。


 「知られたものはしょうがないな……来たければ特別に良いぞ」

 「おっ!マジか!」

 「じゃあ、早速今日の放課後にでも!」

 「先に言っとくが面白いものなんて何もないぞ?」

 「良いって。和州の家も気になるしな」

 「それでもアガたんだっけ?がどんななのかも気になるじゃん?」

 「そっか……」


 朝に声を掛けてきたクラスメイトように裏に欲を感じることもなく、和州には侑たちと居る時のような心地よさがある。これが気の置けない友人というものだろうか。


 そんな疲れた心を少し忘れさせてくれた目の前の友人の発言にはて?と思う。


 「今『アガたん』って言ったか?」

 「言ったな。朝、お前が来る前に彩羽が教室で語っててな。探偵事務所の名前なんだろ?」

 「あれは中々に面白かったな」

 「そうやって話広めてたのか……ちょっと詳しく」


 曰く、侑は大切にしてるものを盗まれた。それを探偵に相談をしに行った所、和州が探偵をしていることを知ることに。


 結果として和州は傷を負いながらも泥棒から大切なものを取返し、入院することになってしまった。


 ざっくりとしたあらすじとしてはそんな所だった。


 これを面白可笑しく、まるで和州がヒーローかのように教室の前で語って聞かせたと言う。


 泥棒の話のような自分たちに都合の悪い部分は誤魔化しが入り、和州の入院についても土妻が合っていた。和州が探偵のこと以外のことで質問攻めに合わなかったことに得心がいった様子だ。


 「けど、凄いよな。こういう凶悪な犯罪には慣れてるのか?」

 「漫画とかだとそんな感じだよな」

 「そんな訳ないだろ。凶悪な依頼なんてそうそうないよ。現実とフィクションじゃ全然違う。あのレベルで犯罪が起きるほど日本の治安が悪い訳ないだろ。実際の所は家出の子供を探したり浮気調査をしたりとかがほとんどだよ。今回みたいなのは稀だ」


 これから昼食を摂らなければならないため、そんな話を暫し続けた所で話を切り上げ廊下に出ていった。


 これだけの間姿を消していればクラスメイトからの注意も完全に逸れているであろうし。あとは場所を移動して昼食を摂れば彼女らを躱すのは容易なことだ。


 ゆっくり休めるななんて考えていた和州にかかる声があった。


 「や、和州。少し話があるんだけど……付き合ってくれる?」


 だが、期待とは裏腹に廊下に出て気を休める間もなく和州を待ち構えていた侑に空き教室へと連れて行かれた。

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