第60話 ハラルドは上級悪魔と交戦する
『サテサテ。誰カト思えバ、アノ時逃げた子供カ』
邪悪がこの世に形を成したような存在は、パウルの背後でカタカタと骨を鳴らし合わせながら嗤った。
それが顕現した途端に場の空気は重々しく変わり果てた。
蝋燭の炎の色が、すべて紫色に変貌していた。
パウルの体を包むように黒い邪悪なオーラが放たれている。
魔力は下級悪魔がうっすら纏っていたものと同じだが、それとは比べ物にならないほど濃密だ。
「計画の前に呼び出して悪かったな」
パウルは背後に現れた存在に友人のように話しかけた。
場に存在しているだけで背筋が凍りつき、全身が動かなくなる。俺にとって悪魔はそんな最悪の存在だったので、パウルの気安い態度が信じられなかった。
『我ヲ呼び出すニ足る理由はハ、分かっテイルトモ』
邪悪な骨の異形は、相棒であるパウルからナタリーに視線を移した。
ひっ、と。
隣から息がこぼれたのを間近で聞き取った。
『アノ亜人、強大な魔力ヲ感じル』
「一族の裏切り者は確実に殺す必要がある。だが、そのためにもあの女の存在が面倒だ」
『……ナルホド、イイだろウ』
パウルに取り憑いた悪魔は、真っ白な骨の指先を俺たちに向けてくる。
一体何のつもりか――
「ハラルドさんっ!」
「ッ!?」
刹那。
俺たちに悪寒が襲いかかってくる。
ナタリーの言葉で、かろうじて反射的に動くことができた。
「『ライト・シールド』ッッ!!!」
直後、激突した。
反射的に振った杖が作り出した壁。
そこに、ドス黒い炎がへばりつくように燃えている。
音を立てて着弾した魔法は、光の壁ですんでのところで静止していた。
これがなければ、俺たちは死んでいた。
(何だ、今の魔法は……っ)
突然の死の予感に、冷や汗が止まらない。
手が震える。
パウルや他の魔法使いの『悪魔の魔法』は何度か目にしたことがある。
今のはそれと全く同じ攻撃だ。
だが、別次元だ。
「ッ!!」
「あわわっ!?」
気を抜いている余裕はなかった。
正面に作り出した壁を避けるように、炎の槍が側面から突き出してくる。
俺はとっさの判断で背後に飛んだ。
パウルの真紅の炎の塊は、はためいたローブを若干焦がして柱に激突した。
「おっと、あたらなかったか」
光の壁が消える。黒い炎も、真紅の炎槍も消えた。
俺は冷静になれと自分に言い聞かせながら、怯えを隠して杖を構え直した。
「あれを防ぐとはあるなあ。反射神経が良くなったんじゃあねえのか?」
「パウル、お前っ……!」
背後で必死にしがみついてくるナタリーの存在を感じながら、絶縁した兄と、それに取り憑く恐ろしい上級悪魔を睨みつけた。
『次はハ、本気デ、イクゾ』
「くそっ……」
俺は杖を構えた。
今のでも全く本気でないことは分かっていた。
俺が相手にしているのは、蝙蝠の悪魔のような有象無象とは違う。
正真正銘の上級悪魔は、人間では決して敵わない存在だと教えられた。
奴らの信仰する種族が生物を超越した上位存在だと、俺はこの身で理解し始めていた。
(ここからでも感じる魔力でもやばいッ。あいつを倒す手なんてあるのか)
幼い頃はよく分からなかったが、長い経験を経た今は感じ取れる。
黒霧が渦を巻いている。
立っているだけで吐きそうになる。
軽い一撃であれなら、真っ向から打ち合っても勝てる気がしない。
「ククッ、分かっただろう。お前の力じゃあ悪魔には勝てない」
「っ……」
強者を味方につけ、いやらしい笑みを浮かべたパウルは杖を弄っていた。
これだけ有利な状況に立っていれば当然の余裕だろう。
「最悪の目に遭わせて殺そうと思ったが、それじゃああまりに可哀想だ」
「……くっ」
「ハラルド。俺様がてめえに最後のチャンスをくれてやろうじゃねえか」
「何だと……!?」
圧倒的に有利な状況で、急に寛大な態度をとりはじめた。
どういう腹積りか分からずに思考が止まった。
「どういうつもりだ、パウル……!」
「今なら許してやると言っているんだぜ。物わかりが悪いなあ、丸出し野郎」
「…………」
「その女を差し出せ。そうすれば、俺様に逆らった件は許してやろうじゃねえか」
そんな要求を出してきた。
すでにパウルは要求を受け入れるのが当然であるかのような態度だ。
俺は、力強く杖を握りしめる。
「ナタリーを差し出せ……だって?」
自分でも驚くほどの重々しい声が出た。
圧倒的な存在を味方につけたパウルは、俺が屈辱的な選択を下すのを楽しみに待っているようだった。
「ハラルド、さん」
翡翠のような透き通った瞳が俺を見た。
小さく俺の名前を読びながら、小さな体ですがりついてくる。
しかし最初のように怖がって震えている様子はない。
俺も強大な敵に殺されかけたが、まったく震えてはいなかった。
俺は頷いた。
それで、ナタリーも覚悟を決めてくれたようだ。
「力を貸してくれるか」
「全て、ハラルドさんに捧げます」
一言で全てが伝わった。
怯えの感情が浮かんでこないのは、お互いの存在を感じているからだ。
俺は、ナタリーがいてくれれば何だってできると思った。
ナタリーも、俺をすっかり信じてくれている。
俺は、いや。俺たちは。
二人で両手を重ねて、真っ直ぐに悪魔に杖を向けた。
「ああん?」
杖を向けられたパウルは、後ろ手で頭を掻きながら気の抜けた声を出した。
奴にすれば、俺たちがどちらを選んでも関係なかったのだろう。
受け取った魔力を、一点に注いでいく。
永劫の刻を森で生きたエルフ族が俺を認めてくれている。
生まれ持った魔力を、裸体を通じて俺の体を通じて流し込んでくれる。
「そんな誘いは――」
「悪いことをする人は――」
杖先に膨大な魔力を注ぎ込んで、眩い白の輝きを宿した。
二人の力が、他の誰も持たない悪魔族に対抗する勝算だった。
「断るッ!!」
「嫌いですッ!!」
一緒に杖を握り締めた俺たちは叫ぶ。
邪悪な誘いを拒んだうえで、徹底交戦の意思を言い渡したのだった。
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