第二話05 空耳流し <言槻千咲 編>
▼雨文
「ばさっ、すぅー」
フードを取った目線の先には鏡に映るの群集。
無料大数の影と子供が崩したような積木を親が再び戻そうとしている。
そんな風景が垣間見えた。それを
衝動。
「ざぁー、ざぁー、ざぁーん」
唄ってみても思っていたのとどこか違ったので
喉が詰まった。
その代わりに出てきたのは赤いものだった。
今更、そんなものに驚いている場合ではない。
今更、この光景に感動を浸っている場合ではない。
今更、こんな世界の中に。
希望も。
絶望も。
非望も。
金望も。
野望も。
願望も。
信望も。
声望も。
期待するわけにはいかない。
もう私には『私』という居場所が無いのだから。
また空から何かが墜ちてきた。雨女はフードを被り直した。
「ぽっつ、ぽっ、ぴちゃん」
――――――――――――――――――
▼自宅
脚がなにかを蹴った刺激で眼が覚める。
眼を開けても一向に光は見えなかった。
何故だろう。
向きを替えてみる。
窓から月が輝いているのが見えた。
どうやら僕は枕を脚に乗せて真逆になって俯せの状態で眠りに堕ちていたらしい。
久し振りだ、こんな目覚めは。
ピンッ!と静電気のように重力に逆らった髪を直しながら階段を降りる。
リビングではキツちゃんがテレビを真剣に観ていた。
ドキュメンタリー番組。
いじめや虐待などの特集がされている。
この場合、そんなものをこの子に見せていいのか。
リモコンでチャンネルを切り替えるのが『親』の役目。
なんだろうけど………。
僕は保護者モドキなので替えるべきなのか、
そのままにしておくべきなのか分からなかった。
そのうちキツちゃんが僕の存在に気付き小難しそうな顔をこちらに向けてきた。
えーと、どう反応すべきか。
僕はアイデンティティと意志決定と行動選択とが合致しないときがある。
頭が鈍いのか判断が甘いのか行動が遅いのか。
そういう時にはまず相手の反応から見るのが一つの策としている。
「おはようございます。といっても夜ですけどね」
「あ、うん。そうだね。あのさ、大丈夫?」
「何がですか?それよりまだ寝ぼけているのでしょうけど鏡をみればそんなの吹き飛びますよ、ぷふふ」
どうやらさっきまでの後ろめたさは常態に戻ったらしく一安心。
そして寝癖を見て何かを思い出したらしい。
僕のスマホを指差す。
「そういえばお姉様から伝言というかダイニングメッセージを頂きました」
「ダ、ダイニングメッセージだって!?」
「いえ、間違えました。留守番電話メッセージです、デッドさん」
「はぁぁぁ・・・って僕まで死なせないで」
びっくりした。
あの人はそんな簡単に逝かない。
自分が死ぬくらいなら誰かを道連れにしそう。
そこに居るのがたとえ僕だとしてもお構い無しだろう。
キツちゃんはどうやって知ったのか僕のスマホを勝手にいじってメッセージを再生した。
パスワードを変えなきゃ。
日時が最初に発されてピーと音がする。雑音に紛れながら『溜息殺し』の声が聞こえてくる。
『例のガキがお前んとこの学生らしい。だから明日にでも行ってこい。詳細はキツに』
最後は「プーップーップーッ」とか「ブチッ」ともいわずに中途半端に切れた。僕はライオン並みの髪のままその詳細をキツちゃんに訊いた。
「どゆこと?」
「要するに私がネッシーさんの通っている学校に行ってその人をここまで連れて来て説得をするらしいです」
「あそこはそんなに見つかりにくいところにはないよ」
たしかに山の方ではあるけど秘境のような場所なんかには建っていない。
地元民に名前を出せば「あそこね」って分かるくらいには有名。そんな場所に女子高生だけ送り込むというのはどうなんだろう。
相手はカツアゲをしていた加害者だ。キツちゃんが被害者になり得るかもしれない。
『常識』外のあの人が言うことだからなぁ。
「それから私はオメカシをしろと」
オメカシ?
お化粧かな。
早いといえば早いのかもしれないけどそれくらいなら良いかもしれない。
僕は過保護じゃないんだ。ある程度、この子の自由にさせてあげたい。
「オメカシって化粧?」
「オメカシというのはお化粧のことではなく髪型とか服装とかのことです」
「そっちね。まぁ良いんじゃないかな」
君の親御さんみたいにはしないから。とまで言えれば良かったんだけどそんな勇気がなかった。やっぱり保護者モドキだ。
「ありがとうございます。では少し着替えてきますので」
「え?今から行くの?」
「いえ、単なるお試しです」
ゆっくりと扉を締めた。
まぁアフロとか変な模様を象ったやつじゃなければいいんだけど。
期待なんてしている場合じゃないか。その学生をどう説得するか考えなくちゃ。
寝ぼけたままのライオン頭でネジを捻っているとくもった声がした。
「どうですかー?」
ゆっくりと扉を開けた先には―――
草原の少女がいた。
頭に麦藁帽子。
水色のワンピースには花柄が
上から下に掛けて数が多くなっている。
袖のカフスにはオレンジ色のボタンが付けられていた。
枝毛はなくなって、ピンと張った長い髪をゆらゆらと揺らしていた。
初めて会ったときもこんなことをしてきたような。
ここが海岸か草原だったら違和感がない。
だけどキツちゃんの立っている部屋は畳のある和室だ。
場違い感が半端ない。
いつの間に買ってきたんだ。
それともあの人があげたのかもしれない。良いセンスしているのは『溜息殺し』の方だった。
「なんか草原で風を涼しんでいる女の子みたい。それはそれいいんだけど。もっとこうスタンダードな…」
「そういう単純なのじゃダメですよ。現実は厳しいんです。甘く見ないでください。
「どこで覚えてきたのそんな難しい言葉。僕的は制服とかのラフな格好で髪にはリボンかバレッタでも付けたら良いと思うんだけど」
正論ぶってみてはいたけどどうもそれはこの子を否定しているような気もして嫌になるなぁ。こういうときは素直にかわいいとだけ言っておくべきだったのを、しゅんとしたもの悲しそうな顔見て思った。
後悔すでに遅し。
「そうですよね…。少し調子に乗りすぎました」
「あっ、いや・・・。それも可愛いんだけど制服姿のキツちゃんの方がかわい…」
スッッー
ドンッ!
今度は勢い良く扉は閉められた。
また怒らせてしまった。こんな調子で良いのかな。
『溜息殺し』に渡してしまおうか。馬鹿にされるかもしれない。少なくとも同情はされないだろう。あの性格からしては。
色々なことが頭を過ぎって溜息が止まらない。誰かこの溜息を殺してくれ。
扉が開く。
注文通りの格好。
制服に後ろ髪にはリボン。
「これで良いですか?ゴーリキーさん」
「うん、それくらいで良いと思う。ところでキツちゃんは筋肉質の男の人がタイプなの?」
「もうっ、いいです!!」
お決まりの感嘆符の怒鳴り。
「おやすみなさい」とだけ吐いてドカドカと2階に上がっていく。
これで明日行ける、そう楽観的に捉える自分が居る反面、もうあの人に任せてしまおうか、と悲観的な自分が存在する。
『どちらを選んでもそれは自業自得であり因果応報だ。迷う必要はない』
そう、『溜息殺し』は言いそうだなと思った。
テレビのスイッチを切った。
――――――――――――――――――
▼雨文
「ぽっつ、ぽっ、ぴちゃん」
墜ちてきたそれは段々と
びちょり。
撥ね音が耳障る。
アンモニアと二酸化炭素を足して2で割った感じの異臭が鼻腔を掠める。
鳥肌立ちしそうな風が身体中に
その所為でフードが取れそうになる。
そんなものには身も止めず立ち上がる。
フードから雫が影へとポタポタ。
まるで砂時計のように墜ちてゆく。
なにかの影絵になっていたら嬉しいな。
そう、期待するも眼前にある風景が唄で消えなかったその事実に安心する。
もし本当に消してしまったらどうしようかと想った。
本当に―――。
もし本当に――――。
世界が消えてしまったらどうなるのだろう。
私自身も消えて
よかった、消えなくて。
私は
だけど消えたくはない。
そう、鏡張りの世界に対して空耳で流せないほどの冷淡で黒白で
「ざーん、ざーん、じゃーん」
――――――――――――――――――
▼自宅 翌朝
がぉぉー。
鏡に映った自分の髪がまたライオンのタテガミになっている。
シャワーでも浴びるかと半透明な浴室扉を見た。
キツちゃんが入っているかどうか確認するため。開けてみると誰も居ない。湿気の臭いが充満している。
それから階段を上がる。
キツちゃんの部屋にノックをして入る。ご丁寧にカーテンを締めて布団も一切崩れていない。枕を踏むようなことはしていない。
天井を向いて寝るという一般的な寝相。
この前のカラオケ店での寝相はなんだったのか。
自分とはまったく違ったその姿に落胆する。
どうしてここまでの差違が生じるのか。
まぁ血は繋がってないから当然だろうけど。
扉を締める間に可愛らしい寝言は空耳に流すとしよう。
シャワーを浴びて髪も元通りに戻った後、時計を見ると朝8時はとっくに過ぎていた。キツちゃんは学校には行かなくて良いのかと再び部屋の扉に手を掛けて中に入る。
寝相は一切変わっていない。まるで死んでいるように。
それを確かめるため肩を揺らした。
「学校は?」
大きな
「きょうはにちようびですから」
それだけ呟いて、再び夢の中へと飛んでいった。
そういえば、あの人がスクワットをしたら元気になれるとかなれないとか。
まぁ元気になれるなら、いいけど。
スクワットを通常3セット中のところを2回やる。
ほんのちょっと疲れた気分でコーヒーを淹れてリビングの椅子に座る。
さて、草原の少女がお目覚めになるのを待つか。
外を眺める。
人間たまには空ぐらい見たくなる。
なんてキザな言訳を思いついた。
マグカップを傾ける。
何故、雲の速度はこうも遅いのか、
空から雲が消えたらどれだけ地球破壊に繋がるとか、
いっそ地球全体を城壁で覆ってこれ以上オゾンホールが開いても意味を無くせば良いのではとか。
もっと考えるべきことがあるのにこんな事ばかり考えている自分に呆れを通り越した感情を抱く。
こんなふうになったのはいつからだ。
もう自分が何も出来ないと分かっていながら。
『何かをしたところで何も変わらないかもしれないし何もしない方が何かが変わるかもしれない』
そんなことを『溜息殺し』は言ってたかな。
いつの間にかキツちゃんがキッチンに居た。
なにを作ってくれているんだろう。
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