第211話作戦前・瑞樹

 

 浅田と話したあとは、ニーナの部屋での話を切り上げて今度は宮野を探しに歩き出した。

 と言っても、部屋に行くだけなんだがな。


 たどり着いた宮野の部屋の前で深呼吸をすると、ドアの横についていたボタンを押して中にいる宮野に呼びかける。


「はい」

「俺だ。今いいか?」

「伊上さん? ……はい、散らかってますけど、どうぞ」


 あまり部屋にはこない俺が今日に限ってきたことに疑問を感じただろうが、それでも宮野は部屋へと受け入れた。


「明日の準備か」

「というよりも、部屋にある荷物の確認ですかね。装備や道具自体はもう揃ってるので」

「そうか。相変わらずしっかりしてるな」

「これでもリーダーですからね」


 部屋の中に入ると、それなりに女の子らしい感じのするものが置かれていたが、それ以上に床や机の上に広げられていた装備や道具の類が目についた。


「それで、ご用件はなんでしょう? 明日に向けての激励ですか?」

「まあ、そんなもんだな。お前のことだから、不安はあるか、なんて聞いてもはっきりとは答えないだろうけど、それでも話くらいはしておきたくてな」

「ふふ、そうでもないですよ。今まで散々頼れって言われてきましたし、もう今更ですから」


 宮野は笑いながら何かを思い出すようにして言ったが、まあそうだな。頼れとか気負うなってのは結構言ってきた気がする。


「正直なところを言えば不安は……ないわけじゃ、ないです。でも、やる気は満ちてます。絶対に負けませんよ」


 しかし、そう言った宮野の手は震えている。

 それに、今の「絶対に負けない」というのは、そう思っているから言っているんじゃなくて、自分に言い聞かせるために言ったんじゃないだろうか?


 やっぱりこいつはまだ誰かを頼るってことができない……というよりも、俺を気遣ってるのか?


『自分のところにきたのなら他の仲間達のところにも行ってもおかしくない。そんな中でさらに迷惑をかけてはいけない』


 きっと宮野はそんなふうに考えたんだろう。それで自分の優先度を下げているんじゃないだろうか。こいつは〝責任感が強い〟からな。


 何度言っても変わらないそれは、きっとこいつの過去に関係しているんだろう。多分、誰かに何かを背負わせたり自分のせいで誰かが苦しむことが〝あってはならない〟とでも思い込んでいるんだと思う。


 どうしようもないことだが……どうしたものかな。


「伊上さん、これ飲みますか?」


 なんて考えていると、宮野がカバンを漁って何かを取り出して俺に差し出してきた。


「何だそれ? 補充薬、じゃないよな?」

「若返りの薬ですよ。若返れば今よりも動きが良くなるんじゃないでしょうか?」


 そういやあ前に買ったって言ってたっけか。

 でも、それを俺が飲めと?


 だが……


「だめだな」

「どうしてですか? 今回は今までで一番大変な状況になるはずです。いくら伊上さんが強いと言っても、少しでも生き残る確率を上げるというのであれば、飲んだほうがいいんじゃないかと思うんですけど」


 確かに飲んで若返れば動きはよくなると思う。二十歳とまでは言わないが、十年……いや五年でも若返れば今よりは確実に生き残る確率は高くなるだろう。


 しかし、問題がある。


 若返りって言っても、すぐに若返るわけじゃない。まあ当然だな。

 宮野の持っている薬は若返るのではなく、厳密には最盛期まで戻すらしいが、今の俺の状態から最盛期……まあ二十まで戻すとなると、骨や筋肉を丸ごと作り替えるようなもんだ。

 それは痛みが伴うだろうし、そんなのが一気に起こったら痛みに慣れていない常人なら死ぬかもしれない。


 だから、若返るにはゆっくりと時間をかけて戻っていくことになる。らしい。前にちょっと調べただけだからわからないが、間違いではないだろう。


「ゆっくりと体を作り替えていくわけだが、それをするには一ヶ月かかるらしい。一週間以内に事が起こるってんなら、間に合わない。戦闘中にどんどん体が作り変わっていくのはむしろ邪魔でしかない」


 戦闘中にどんどん若返っていくなんてことになったら、感覚がずれまくってまともに戦うことはできない。


「それに、最盛期まで戻ったとしてもそれに慣らすための時間もない」

「そう、ですか……」


 宮野は俺の答えにがっかりした様子を見せた。


 宮野がこんなことを言い出したのはおそらく、不安に感じているからだろう。

 不安に感じているからこそ、こんな対策とは呼べないようなわけわからないことを言い出した。

 多分そこには、俺に生きてほしいって思いもあるんだろう。若返った姿を見れば、『死』から離れて見えるだろうからな。


 ……もしかしたら、俺は思い違いをしていたかもしれない。

 宮野は、頼らないんじゃなくて、頼り方を知らなかったんじゃないだろうか?


 前の修学旅行の時にはドラゴンを倒すのに浅田達を頼ったらしいがそれは緊急事態……目の前に危険が迫っている状態だからであって、こうして前もって話をしている状況ではなんと言って頼ればいいのかわからないのかもしれない。


 それほどまでにこいつは誰かを頼ることがなく育ってきた。……いや、頼ることが〝できずに〟か。


 前にこいつから話されたことがあったが、宮野は小さい頃から〝特級覚醒者〟として期待され……そして忌避され続けてきた。そして今は〝勇者〟として期待されている。そんな状態であれば、誰かを頼ることはできなくても仕方がないだろう。

 あとは俺が年上だってこともあるのかもな。俺が教導官という教える立場にいて頼る相手なんだとしても、同年代に比べると気軽に頼ることはなかなかしづらいだろう。


 だから今のは、自分からはっきりと不安を口にして人を頼ることのできない宮野なりの不安の表し方で、頼り方だったんだろう。


「安心しろ。そんなの使わなくたって俺たちは死にゃあしねえよ」

「……本当に?」


 だから、俺は宮野の頭に手を置いてはっきりと言ってやった。この頼ることができない子供から、少しでも不安を取り除いてやりたいと思ったから。


 そしてやはり不安に思っているという考えはあっていたようで、宮野は不安気に俺を見つめてきた。


「ああ。……どうした。随分と弱気だな、勇者様」

「……そう、ですね。……でも、弱気にもなりますよ。こんな状況を作り出した敵の拠点に攻め込むんですよ? 色々と、考えるに決まってるじゃないですか」


 あまり重くなりすぎないようにと俺は冗談めかして話しかけると、宮野は最初は少し迷ったようにしていたがついには自身の感じていた不安を吐き出した。


「まあそうだろうなぁ。でも、死ぬつもりはないんだろ?」

「当然です」


 だが、不安に思っている気持ちは消えないものの、それでも諦めるつもりはないようで、そのことについてははっきりと否定した。


「なら、まだ来てない明日の心配なんてしてんなよ。どうせ俺たちは全員生きて帰ってくるんだ。だったらそんなことよりも、全部終わった後のことでも考えとけ」

「全員生きてって……でも、終わった後か……」


 生きて返ってくるのは決定事項だ。危険地帯に突っ込んでいくんだから確実に帰れるなんてそんな確証はないが、だとしても必ず生かして帰してやる。


 そんなある意味無責任とも言える俺の言葉に宮野は呆れたように呟いたが、すぐにその後の言葉に意識を向けた。


「ああそうだ。あれをしたい、これをしたい。だからそのために頑張ろう。明日の出来事なんて、生き死にをかけた決戦じゃなくて、明後日にたどり着くための踏み台でしかないんだって、そう思っとけ」

「したいこと……いっぱいありますね。やりたいことも、行きたい場所も、いっぱいあります」


 考え込むかのように俯いた宮野。

 俺はそのそばで何を言うでもなくただ待っていることにした。


「……死ぬかもしれない、なんて考えるのは、馬鹿馬鹿しいですね」

「だろ?」


 しばらく待っていると宮野は顔を上げて、俺を見た。

 その表情はこいつの満面の笑みに比べれば随分と劣るものだが、それでも先ほどよりは晴れやかなものになっていた。


「ちったあ楽になったか?」

「そうですね。こうして話すだけでも変わるものですね」

「いつも言ってるが、お前は勇者だからって抱え込みすぎだ。最近はそうでもなくなったがそれでも気負ってるだろ?」

「……そうですね。もう少し、いえ、もう一つだけ聞いてもらえますか?」

「おう。一つと言わずに幾つでも言うといいぞ」

「いえ、一つだけで構いません」

「ん?」


 笑顔ではあるのだが、その笑みはどことなく覚悟を決めたもののように感じた。


「——あなたが好きです」


 そして、笑顔から一転。宮野は真剣な表情となり、決意の籠められた瞳で真正面から俺を見据えてはっきりとそう口にした。


「こうして言葉にして気持ちを伝えるのは初めてですけど……私はあなたのことが好きです」


 そしてもう一度改めて同じことが伝えられれば、どうあっても聞き間違えるはずもない。


 しかし、突然の宮野の言葉……告白に何を言っていいのか分からず、俺は思考も体の動きもただ無様に固まることしかできなかった。


「私の気持ち、分かってたでしょ?」


 確かに、こいつの言う通りわかってはいた。わかってはいたが……。


「最初はただの数合わせだった。けど、あなたはいやいや言いながらも私たちを支えてくれた。私が泣いてた時だって、支えてくれた」


 俺が固まっている間にも宮野は俺の反応など関係ないと言わんばかりに話を続けていく。


「あなたは壁を作っていたし、何か心に問題があるのも分かってた。だから言えずにいて、それで佳奈の気持ちにも気づいたからそれに気遣って余計に言えなくなっちゃったけど……」


 まるで何か大切なものを握りしめるかのように胸の前で両手を重ねて目を瞑った。


 胸の前で重ねられていた手にぎゅっと力が込められると、宮野は目を開けて再び俺を見つめてきた。


「私のやりたいことの一つに、結婚ってあるの。これでも女の子だもの。そういうのに憧れだってあるわ」


 そう言った宮野の表情はさっき告白してきた時の真剣なものとは違い、真剣ではあるのだが女の子らしさの混じる笑顔で微笑んでいる。


「私はあなたが好き。それが私の嘘偽りない想いよ」


 俺のことを見つめる宮野。俺はそんな目の前にいる少女に思わず手を伸ばしそうになるが、それも一瞬のことで、グッと手に力を込めて引き戻した。


「返事はできれば今欲しいけど……だめ?」


 それを見ていたのだろう。宮野は少し悲し気な表情をして、そう問いかけてきた。


「俺は……」


 口を開いたはいいものの、それ以上は言葉にならない。


 断るつもりだった。そのはずだ。

 実際、浅田のことは断ったし、今日もしこんな話になったら断ろうと、この部屋に来る前にそう考えていた。


 だが、だと言うのにもかかわらず、今の俺は嫌になるくらい口の中が乾いたように感じられ、声がでない。


 確かに俺はこいつら……こいつを助けてきたし、それなりに支えてきたと思う。


 だが、俺みたいなやつと付き合ったとして、それはこいつらの幸せになるのか?


 ……馬鹿な。なるわけがない。


 愛だ恋だってのは年齢じゃないかもしれないが、それでも前の恋人のことをいまだに引きずっているようなやつと一緒になったところで、こいつの幸せになるはずがない。


 だがそれがわかっているはずなのに俺はなんでさっき手を伸ばしかけた? 


 宮野だけではない。浅田のこともある。


 今手を伸ばしかけた時、宮野には悲しい顔をしてほしくないと思った。

 ここにくる前に浅田と話していた時、俺はあいつと話していることに安らぎを感じていた。


 俺はどう思ってる? どうしたい? どうなりたい? 俺は……


「ごめんなさい。そんなに困って欲しいわけじゃないの」


 そんな俺の思考を遮るように、宮野は俺の手に自分の手を伸ばしてそう言った。


「返事はやっぱり今じゃなくてもいいわ。適当に考えて断られるのも、頷かれるのも嫌だもの」


 ハッと我に返った俺に宮野は、やっぱりどこか寂し気な表情で笑いかけてきた。


「だから、明日が終わって、明後日になってから真剣に考えて頂戴」


 俺は、なんと答えるべきなんだろう? ……何もわからない。


「それと、これを」


 そう言うや否や、宮野はごそごそと近くにあったポーチの中を漁り、その中から取り出した丈夫そうな容器を俺の手に握らせてきた。先ほど見せられた若返りの薬だ。


「……おい、それはいらねえって——」

「あげるわけじゃないわ。ただ、ちょっと預かってて欲しいだけよ」


 そう言うと宮野は俺から手を離してもう一度笑った。


「それ、結構高いのよ? だから、それが壊れるようなことはしないで、明日が終わったら返してちょうだい。約束よ」


 励ましに来たはずなのに、いつの間にかこっちがやり込められることになったな。


 今度こそはっきりと自分の気持ちに整理をつけて答えを出さなくちゃいけないわけだが……。


 女子高生相手に気持ちに整理とか……おっさん歳考えろって感じだよな。二十歳も離れてんだし、見た目からしても犯罪臭が漂う。


 ……でもまあ、なんにしても、全部は明日この騒ぎの決着をつけてからだな。

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