第95話文化祭の準備開始
「今日行くのはランダムシロップの採取だ。予習はしてきたか?」
「はい」
目的のゲートは宮野達の通う冒険者学校から電車で四時間弱程度の距離にあるものだ。
そのゲートの管理所の中にある一画に集まり、俺たちは顔を見合わせて話をしていた。話、というか打ち合わせか。
「なら安倍。今日行くダンジョンの名前とメインの敵についてわかってることは?」
「ダンジョンの名前は『蜜の庭園』。モンスターは植物系の『ハニーガードナー』。蔦での攻撃が基本。たまに魔法を使ってくる個体がいるけど、どの属性かは実際に使われるまではわからない」
いつも通り抑揚の小さな声で俺の問いに答えてダンジョンの説明をした。
その説明は間違っておらず、まさに教科書通りと言える答えだった。
「じゃあ……北原。ランダムシロップの由来はなんだ?」
「うっ。は、はい。えっと、味も香りも、ものによって全く別物になるから、ですか?」
「ああ。あってるから自信を持て」
そしてこちらもいつも通りあまり自信のなさげな声で答えた。
そのことに言いたいことがないでもないが、まあ今は良い。無理して言う必要もないからな。
「このダンジョンの蜂蜜は水溜りのように点在してるが、それは中央のハニーガードナーの樹液だ。だから樹液を出してるモンスターが倒さてからしばらくすると地面の蜜は枯れるし、モンスターを倒した後に蜜を採取しようとすると死んだ後の毒素が混ざって味が変わる」
俺が話すことなんてこいつらは調べてるだろうけど、認識の共有ってか確認だな。
宮野達もそれをわかっているのだろう、声には出さないが頷いている。
「だからここで気をつけることは、モンスターを殺さないことだな。モンスターを殺さないように気を引きつつ、できるだけ多くの蜜を掬わないといけない」
このダンジョンの元々の階級は二級だ。モンスターを倒すだけなら、やり方さえ知ってればそう難しいもんでもないからな。
だが、モンスターを倒さないで、となると危険度が格段に増すんためその難度は一級相当になる。
まあ、それでもこいつらなら問題ない。だって全員一級以上だし、慢心はしてないだろうからな。
「ただまあ、大変なのはそっちじゃなくて、目的のものを探し当てるまでの方だと思うけどな」
さっき北原が言っていたが、ランダムシロップの味は、名前の通りランダムだ。
回収する蜜によって——正確には蜜を生み出している樹によって味も匂いも色も、何もかもがランダムで変わる。
赤い色でりんごの匂いをしてるのにみかんの味がする、なんてことも普通にある。
「今回は最高品質を手に入れようとしたら時間がかかる。金が欲しかったら妥協しないで探せよ」
だから使うものに適した蜜を探すのに時間がかかる。
運良く見つけることができたとして……一日で見つけることができれば運がいい方だな。
「よっし! それじゃあしゅっぱ——」
「ああ、浅田。お前はその武器置いてけ」
威勢よく拳を振り上げて宣言しようとした浅田の出鼻を挫いて、俺は武器を置いていくように告げる。
「——は?」
浅田はそんな俺の言葉に眉を寄せてわけわからなそうにこっちを見ているが、まあ当然だな。
ダンジョンに行くってのに武器を置いていけ、なんて、普通に考えれば自殺行為なんだから不思議に思って当然だ。
「武器置いてけって、ダンジョンに潜るってのに置いてってどうすんのよ」
だが、今回に限ってはこいつの武器は邪魔になる。何せ自身の身長ほどの大きさがある大槌だ。
「邪魔だからだな。代わりに——これを背負ってけ」
それは壁の端に寄せるように置かれていたでかい箱。
箱って言っても段ボール箱のようなものではなく、サイズ的に言うと冷蔵庫のような感じだ。
「……なにこれ?」
「保存容器だな」
これから俺たちは蜜を回収するわけだが、そのためには専用の容器が必要になる。
専用というか、普通の瓶や入れ物でも回収はできるんだが、それだと万が一の場合に衝撃を受けると壊れたりする。
だから硬化のかかってる容器を使うのが普通だ。
「こんな大きいの?」
「これは業務用だ。普通はこんなでかいの持ってかないが、お前は力だけなら特級に迫るからな。持てるだろ?」
まあ、保存容器を使うって言っても、こんなに大きなものを使うやつはあまりいない。
だが浅田は筋力という一点においてのみは特級に迫る力の持ち主だ。
たとえこれだけ大きなものを背負っていたとしても、逃げたりするくらいなら問題なく動くことができるだろう。
……これは本来なら先に伝えておかなくちゃならないことなんだが、俺がミスって伝え忘れた。
正確には、伝えたんだが言葉が足りなかったというべきか。
俺は「保存容器はこっちで用意するから、運搬と回収はお前らに任せる」と言っておいたんだが、その大きさを伝え忘れたのだ。
そのせいで、こいつらはこの業務用のものを持っていくとは思っていなかった。普通はリュック程度の大きさだからな。
「持てるけどさぁ、なんでこんなおっきいの持ってかないといけないのよ」
「考えてみろ。学園祭で使うってことはだ、それなりに量がいるんだぞ? 小瓶に詰めて持って帰ってって……そんなの何回往復するつもりだよ? しかも、お前らが離れてる間にモンスターが枯らされるかも知れないんだぞ? そうなったらまた別の場所を探し出さないといけなくなる」
蜜を回収するわけだが、文化祭で使う——言うなれば店の商品として扱うんだ。瓶に何本分〜、なんてやってりゃあ何十往復しても足りない。
なので、ここだけの話ではないが素材を回収するためにはそれなりに大きさのある回収用の保存容器を使う。
「どっかの店みたいに定期的に回収するためにダンジョンないに縄張りを作るんだったら構わないが、お前らは違うだろ。だからできる限り少ない回数で量を回収しなくちゃならん」
この場所で取れる蜜を商品として使う店は、定期的に必要になるので自分たちで選んだ樹の周りに陣を敷いて他のやつが取れないように、樹を倒さないように場所を守っている。
だが、俺たちは店をやるって言っても一時的なものだ。一回だけ必要な量を集めてしまえば、あとは陣を敷いてまで回収する必要はない。
「むー……じゃあこれ持ってけばいいんでしょ」
「ああ。……伝えミスって悪いが、頼む」
自分の武器を持っていけないとなって少し不貞腐れた様子の浅田だったが、これに関しては俺が悪いのでいつものように揶揄ったりするわけにはいかない。
そんな何も言わない俺の様子を見たからか、浅田は軽く息を吐き出すと仕方ないと言わんばかりに首を振って宮野へと視線を向けた。
「瑞樹、あたし戦えなくなるけど、大丈夫?」
「ええ。今日やることは等級でいったら一級だけど、元々のダンジョン自体は二級だから平気だと思うわ」
「そう? 柚子と晴華も平気?」
浅田の問いかけに浅田が答え、他の二人も頷いている。
「そっか。じゃあ敵はお願いね。それじゃあ今度こそしゅっぱ——」
「ちょっと待て」
そうして浅田がいざ出発とばかりにもう一度意気込んだところで、再びその出鼻を挫いた。
「……今度はなんなの?」
また止められた事に気を悪くしたのか、不貞腐れたように唇を尖らせて俺を睨んできた。
だが、悪いけど止めたのにはちゃんと理由があるんだよ。
「人を呼んだんだよ。お前ならその馬鹿見たいにデカいやつを運べるけど、それだと戦力が落ちるのは間違いないし、運べる人手は多い方がいいだろ?」
「人って……誰よ。あたし達の知ってる人?」
「もしかしてニーナ?」
「あいつを呼べたら楽だったんだろうけどなぁ。残念ながら違う」
あいつの暴走は収まってきたとはいえ、だからといって『上』は安心しない。
今までは一度も外出をしなかったのに、ちょっと前に短期間で二回の外出をしたため、今回は認められなかった。
とはいえ、今回申請したところで学園祭に必要な材料全部集めるまで参加させることなんてできなかったし、断られるのはわかりきってたけどな。
……まあ、呼べたら良いなとは思っていたのも事実だけど。
「呼んだのはヒロ達だよ」
「ヒロさん? 引退したんじゃなかったんですか?」
「したよ。ただ、冒険者登録は消してなかったから、まあ言っちまえば『引退しました』って口で言ってただけだな」
チームを解消してその後どこにも属さなければ、組合からの登録は冒険者活動停止として記録されるし、組合に申請をすれば活動停止にして何かあっても呼び出しがないようにすることはできる。
だが、活動停止って言っても免許取り消しになったわけじゃないので、復帰しようと思えばいつでもできる。
だから今回みたいに協力してもらうことも不可能ではないのだ。
とはいえ、歳を理由に引退した者が再び戦いの場に戻るというのは稀だし、また活動停止状態に戻すには三ヶ月ほど時間をおかないといけないので、その間に何かあると呼び出しを喰らうけど。
「それっていつ来んのよ」
「約束の時間はもう過ぎてるはずなんだけど……」
今日は朝の七時にこのゲートに集合だったはずだ。
だってのに、管理所の中にはまだ姿が見えない。
「電話してみる——ああいや、あれか?」
そう思いながら窓の外を見ると、そこには駐車場の方から歩いてくる三人の男の姿があった。
向こうも俺が見ていることに気づいたのか、先頭を歩いていたヒロがこっちに向かって手をあげてきた。
そのことを宮野達にも伝え、少し待っていると管理所の扉が開いてヒロ達が入ってきた。
「悪りぃ悪りぃ。久しぶりだから道具どこしまったか忘れちまって時間食ったわ」
こいつらが引退してからもうすぐ一年経つから、装備をどこにしまったのかわからない、なんてのは理解できなくもないが、それくらい前日に用意しておけよ。
あ……でも、もしかしたら用意しておいたがそれをどこにおいたのか忘れたのかもしれない。
歳をとるとそういうことがよくあるからな。
まあ、多少時間に遅れはしたが、それでも許容範囲ないというべきだろう。
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