第12話 勝気なカノジョと初詣に行った
コンビニの店員の仕事は思っていたよりずーっとハードだった。
最初は戸惑ってばかりだったが、日を追うごとに慣れていき、終わり頃には何とかこなせるようになっていた。
「大学生になっても続けないか?」
叔父さんがそう言ってくれたが、大学生になったらやりたいバイトがある。
「ありがとうございます。ほとんど役に立たなくてすみません」
本当に叔父さんには迷惑をかけっぱなしだった。
「じゃあ、これアルバイト代ね。少なくてごめんね。お陰でお正月の準備ができて、助かったわ」
最後の日に叔母さんが1万円の約束だったのに1万5000円のバイト代をくれた。
「こんなにもらっていいんですか? こちらこそありがとうございました」
「また、何かあった時は、お願いするわ」
叔母さんが優しく微笑んでくれた。
僕はもらったお金を持って、すぐに樹里のプレゼントを買いにデパートに向かった。
買うものはピアスと決まっているが、デパートの中にはたくさんアクセサリーを売っている店があって、どこでどんなピアスを買えばいいか僕には分からない。
一番優しそうに見える女の店員さんの店で、ガラスケースの中にあるピアスを見たが、たくさんの種類があり、どれにすればいいか迷ってしまう。
店員さんは親切で、数種類のピアスを付けてくれて、付けた時の雰囲気を見せてくれた。
さんざん悩んだあげく、樹里に一番似合いそうなチェーンの先に月型のものが付いピアスを選んだ。
大晦日は朝から、家の掃除や買い物など母さんと約束したとおり家の手伝いをする。
夕方になって掃除も終わり、母さんから言い付けられた用事も全部済ましたのと、玄関のチャイムが鳴るのと同時だった。
母さんが玄関に出て、花柄のフレアースカート、黒のニットのタートルネックの上にグレーのコートを着た樹里を連れて入ってきた。
「いらっしゃい」
僕も玄関に出て迎えた。樹里はやっぱり美人だ。何を着ても似合う。
「来たわよ」
樹里はエラそうな口調で僕を見る。なんでエラそうなんだ。
母さんが樹里をダイニングに連れて行く。
「おじさん、こんばんは。また、ご馳走になります」
もう食卓についている父さんに挨拶して、樹里が僕の横の椅子に座る。
「樹里ちゃん、いらっしゃい。お兄さんは元気?」
父さんは自分と同じ妹LOⅤEの樹里のお兄さんを気に入っているようだ。
「無駄に元気みたいです」
樹里の素っ気ない答えに父さんは苦笑する。
「樹里ちゃん、堅くならなくていいからね。家だと思ってちょうだい。私も樹里ちゃんを娘だと思うから。そんな改まった言葉を使わなくていいのよ。これ、前に言ってた唐揚げのレシピ」
「ありがとうございます。わたし、言葉遣い悪いですけど、いいですか?」
「いいわよ」
母さんが樹里の前に年越しそばを置く。樹里の言葉遣い本当に汚いけど大丈夫かな。
「うわあー、すごい具沢山」
樹里が感嘆の声を上げる。
うちの年越しそばは具沢山だ。うす揚げや蒲鉾、ネギのほかに半分に切ったゆで卵や鶏肉を入れ、焼いた餅まで入れる。
「蕎麦の風味が口に広がって、この蕎麦美味しい」
樹里が目を大きく見開く。
「信州の親戚から送ってもらったものだよ」
父さんが自慢げに言う。父さんの信州に住んでいる親戚が毎年この時期になると、老舗のお蕎麦屋さんで買ったものを送ってくれる。
「そう。すごく美味しいよ」
「樹里ちゃんが来てくれて、すごく嬉しいわ。うちは子どもは隆司だけでしょう。男の子は小さい時は可愛いけど、大きくなったらねえ。樹里ちゃんみたいな女の子がずっと欲しかったの。今から頑張る?」
母さんが父さんに流し目をする。
悪かったね、可愛くなくて。樹里の前でそんなこと言うのやめてくれるかな。父さんが困っているじゃないか。
「アハハハハハ。おばさん、それ面白い。隆司に妹ができるんだ」
樹里には大ウケしているけど。
「樹里ちゃんは明日も来てくれるんでしょう。お雑煮作るから食べに来て」
母さんが期待した目で樹里を見る。
「そのつもりだけど」
「樹里ちゃんは、振袖を着るのかな?」
どうやら父さんは樹里の晴れ着姿が見たいようだ。僕も見たい。
「ええ。美容室に予約して着付けをしてもらえるようにお願いしてるから」
それは楽しみだ。樹里が着物を着たらきっと綺麗だろうな。
「樹里ちゃん、行ったり来たり大変じゃない? 今日は泊まっていけば?」
母さんがとんでもないことを言い出す。
「おいおい。樹里ちゃんにどこで寝てもらうんだ?」
父さんもビックリしている。
「あら、1日ぐらいなら、あなたが隆司の部屋で寝て、私と樹里ちゃんが一緒に寝ればいいでしょう。それとも樹里ちゃんは隆司と一緒の方がいい?」
「なに馬鹿なこと言っているんだ。母さん」
思わず僕は叫んだ。
「おばさん、冗談やめて」
樹里も当惑している。
“Sooner or later”
母さんが樹里をニヤニヤしながら見る。母さんって英語を話せるのか? どういう意味だ?
樹里を見ると、目が大きく見開かれている。樹里は意味が分かったのかな?
「おばさん、何言っているか分からないわ」
樹里が顔を引きつらせて首を横に振った。
「あら、そう?」
母さんの顔になんとも言えない微笑みが浮かんだ。
「じゃあ、もう帰るわ。明日、また来るわ」
樹里が立ち上がったので、僕も家まで送ろうと思って立ち上がった。
「送らなくていいわ。道は分かるから。明日は来る前に電話する」
樹里はそう言って帰って行った。
大晦日はいつも夜中まで起きているので、元旦は日が高く上がるまで寝てしまう。
今年も例外ではなく、起きて階下におりていくと、もう日が高く上がっており、母さんが雑煮を作る準備をしたり、赤飯を炊いたりしていた。
僕は部屋に戻り、しばらく本を読んだりしていると、樹里からメールが来た。
今、着付けが終わったからこっちへ向かうと書いてある。
迎えに行こうかと、返信すると、別にいいと返ってきた。
しばらくすると、玄関のチャイムが鳴った。
赤地に松竹梅を散りばめた振袖に金地に花柄をあしらった帯を締めた樹里が立っている。
華やかな振袖姿は樹里の美しさをさらに引き立てていて思わず見とれてしまう。
「何をボーッとしてるの。わたしの美しさに見とれてるの?」
樹里が小馬鹿にしたように言った。
「べ、別に。入って」
樹里を中に招きいれた。
「まあ。樹里ちゃん、綺麗だわ。やっぱり樹里ちゃんは美人ね」
母さんは樹里を見て感嘆の声を上げた。
「おめでとうございます。おばさんも綺麗だよ」
母さんは淡いピンク地に小桜が舞っている小紋を着ている。
「おめでとう。樹里ちゃんに褒められて嬉しいわ」
母さんは樹里のような美人ではないが、僕より10センチほど小柄で、全体的に小作りで若く見える。友達は小さくて可愛いと言っている。
樹里がダイニングに入ると、まだかまだかと樹里を心待ちにしていた父さんがニッコリ笑う。
「樹里ちゃん、おめでとう。やっぱり、女の子がいると違うね。家の中が華やぐよ」
紺の紬に羽織を着た父さんが樹里を眩しそうに見る。
「おじさん、おめでとうございます」
樹里は昨日と同じ僕の隣に座った。
「はい。お雑煮よ」
母さんがお雑煮をそれぞれの前に置いて、自分の席に座る。
「いいかな。明けましておめでとうございます」
父さんの声に合わせてみんなで新年の挨拶をする。
「じゃあ、お雑煮を頂こうか」
「いただきます」
お雑煮は代々母の家に伝わるもので、すまし仕立てで、餅、蒲鉾、椎茸などが入っている。
「おばさん、本当に料理上手だよね」
樹里が感心したような声を出す。
「樹里ちゃんは本当に誉め上手ね」
母さんは目を細めた。
「今年は隆司も大学生だ。いろいろしっかり頑張らないとな」
父さんが檄を飛ばす。
「うん。頑張るよ」
大学のことだけを言っているわけではないだろう。恐らく許嫁のことも含めて頑張らないといけないと言っているんだろう。
だが、正直に言うと、許嫁のことよりも樹里のことが気になって仕方がない。
「ところで、樹里ちゃんは高校卒業したらどうするのかな? 隆司に聞いたんだが、アメリカに行くそうだけど、留学でもするのかな?」
今まではぐらかされて聞けなかったことを父さんが聞いてくれる。
樹里はしばらく黙っていたが、重い口を開いた。
「実は、わたし、婚約者がいるの」
「ええッー」
僕は思わず叫んだ。
「その婚約者はパパが勝手に決めた人で、少し前に初めて会って、その人はどうもわたしのことを気に入ったみたいなの」
「その人はアメリカにいて、樹里ちゃんは結婚するためにアメリカに行くということ?」
父さんがそう聞くと、樹里は首を捻った。
「うーん。どうだろう。とりあえず、パパにアメリカに来いって言われているの」
樹里に婚約者がいると聞いてショックだった。婚約者がいるのに僕と付き合ってていいのか?
「だから、隆司と付き合えるのは卒業までなの。隆司も許嫁がいるんでしょう」
樹里が微笑んだ。
母さんが下を向いて肩を震わせているのが見えた。
泣いているのだろうか。そんなに樹里と別れるのが悲しいのかなと思った。
「クックックックッ」
笑いを押し殺したような声が聞こえてくる。
「なに笑っているんだ、母さん」
父さんがびっくりしたように隣の母さんを見る。
「なんでもないの。樹里ちゃん、隆司と一緒に父智丘(ふちおか)神社に初詣に行ってきたら」
僕と樹里が食べ終わったのを見て、母さんが笑いを噛み殺しながら、樹里に言う。
「おばさん、笑いすぎよ」
樹里が不機嫌な声を出す。
「ごめんなさい。あんまり可笑しかったから。ほら、隆司、早く行って来たら」
僕は樹里と一緒に立ち上がって、家を出ると、歩いて5分ぐらいにある父智丘神社に向った。
「ごめんね。母さん、失礼だよね」
樹里に婚約者がいるっていうことがそんなに可笑しいのか。母さんのことが理解できない。
「ううん。いいの。気にしてないわ」
気にしていないと口では言いながら、樹里は浮かない表情で首を横に振る。
歩くのはけっこう早い樹里だが、今日はかなりおしとやかにゆっくり歩いている。
父智丘神社はこの辺りの氏神様なので、鳥居を通って、中に入るとかなりの人が行き交っていた。
全国の有名神社ほどではないが、それなりに人出があるので、拝殿まで列ができている。僕と樹里は列の一番後ろに並んだ。
「樹里の婚約者ってどんな人?」
樹里が言っていた婚約者のことがずっと気になっていた。
「気になる?」
樹里が意地の悪い笑みを浮かべる。
「会って話をしたの?」
「話したわよ。イケメンじゃないし、カッコ良くもないけど、優しい人よ。好きだとかは言ってくれないけど、わたしのことを思ってくれてるんだなあっていうのは態度で分かるの」
何度か会ってるんだ。最近、会ったと言ってたけど。
「樹里はその人のこと好きなの?」
「その人が愛していると言ってギュッと抱きしめられて、キスされて結婚してくれって言われたら、堕ちちゃうかも」
胸が締め付けられそうになった。だが、樹里に何も言うことはできない。
僕にも許嫁がいる。
あと3ヶ月もすれば卒業だ。卒業すれば樹里はアメリカに行き、僕は許嫁と婚約か結婚かすることになる。
どう足掻いてもそうなるだろう。それなら今この時を楽しもう。
そんなことを考えているうちに僕と樹里が拝殿の前に立つ順番になった。
僕は自分と家族の健康と幸せを祈り、そして、樹里が幸せになることを祈った。
隣の樹里は何を祈っているのだろうか?
翌日から冬休みが終わるまで、樹里は、毎日昼過ぎにうちに来て、母さんと一緒に料理を作ったりして、夕食を食べて帰っていく。
時々は、母さんと二人でデパートやスーパーに買い物に行ったりもする。
決して僕はマザコンではないが、あまりの母さんとの仲のよさに樹里に嫉妬を感じてしまう。
「やっぱり、女の子はいいわ。優しいし、気が利くし。樹里ちゃん、うちの子にならない?」
「優しい?」
母さんの言葉に僕はびっくりした。
「何よ。その顔は。そうか。ママを取られたと思って拗ねてるのね」
樹里が嫌味な言い方をする。
「違う」
「そうなの? 隆司も優しいけど、気が利かないものね。その点、女の子は気が利くもの」
気が利かなくて悪かったね。
「大丈夫よ。ママを取らないわよ」
母さんと樹里が顔を見合わせて笑う。樹里と母さんは気が合うみたいだ。
うちにいる時の樹里は学校で見せたことのないような楽しそうな顔をしている。樹里とこのまま一緒に過ごせたらなあと絶対無理なことを考えたりした。
そんな楽しい日をすごしていると、あっという間に冬休み最後の日になった。
僕は樹里を家に送りながら、プレゼントをいつ渡そうかと機会を窺っていたが、なかなか踏ん切りがつかず、樹里のマンションまで来てしまった。
ここでプレゼントを渡さないと絶対渡せないと思い、ポケットから花柄の包み紙にピンク色のリボンがかけられている小さな箱を樹里に差し出した。
「なに?」
樹里がビックリしたように僕の顔を見る。
「樹里にプレゼント」
「うそっー。ウレシィ〜」
樹里の顔が綻んだ。
「そんなに喜んでくれるなんて」
「当たり前でしょう。初めてなんだから。開けていい?」
「いいよ」
樹里が嬉しそうに開ける。
「ピアス?」
「うん」
「よくピアスの穴を開けてるって分かったわね?」
「渡辺さんに教えてもらった」
「そうよね。隆司がそんなことに気がつくはずないもんね。でも、人に聞くっていうことを覚えただけで進歩だわ。教育した甲斐があったわね」
僕は樹里に教育されてたの?
「わあー、可愛いじゃない。つけてと言いたいところだけど、耳を血だらけにされそうだから自分でつけるわ」
そこまでは教育されていませんから無理です。
「どう?」
樹里がピアスをつけて、こちらを向く。和服姿だが、ピアスが似合っている。
「似合ってるよ。すごくキレイ」
「嬉しいわ」
あまりの綺麗さに樹里を抱きしめたくなってくる。樹里はクリスマス祭の時、いつでも抱きしめていいと言っていた。
「樹里」
僕はゆっくりと樹里に近づいていく。
「何よ」
樹里が目を大きく見開いた。
「抱きしめていいんだよね。言ったよね」
「いいわよ」
手を広げて樹里を抱きしめようとした。
「キャア〜」
まだ何もしていないのに樹里が悲鳴をあげた。
「おねえしゃん、あそぼう」
樹里の足元の方から声がする。
「チイちゃん……。ビックリするでしょう」
チイちゃんが樹里の足元に抱きついていた。
樹里がチイちゃんを抱き上げると、チイちゃんは両腕を樹里の首に回す。
「お母さんはどうしたの?」
「ねんね」
「仕方ないわね。じゃあね、隆司」
樹里がチイちゃんを抱いたままマンションの中に入っていこうとする。
「明日からまたモーニングコールするよ」
僕は樹里の背中に言った。
「……いらないわ。出席日数は足りているから、もう学校に行かない。だから、朝のモーニングコールも迎えもいらない」
樹里が振り返らずに言う。
「どういうこと?」
突然の樹里の言葉にびっくりした。
「明日、アメリカに行くの」
「えっ」
「隆司と会うのも今日が最後。元気でね。じゃあね」
樹里が振り向いて、手を振る。
「そんな……聞いてないよ」
僕は樹里の腕を掴んで、自分の方に向かせた。
「言ったよね。卒業までだって。それが少し早くなっただけ。お互いフィアンセがいるんだから」
樹里は何の感情もこもっていない声で言う。
「……」
それを言われると、僕は何も言えなくなる。でも、樹里と離れたくない。僕は掴んでいる樹里の腕を力を込めてぎゅっと握る。『行くな』と言いたい。だが、言えない。
僕は無言でチイちゃんを抱いている樹里を引き寄せて唇に唇を合わす。樹里がゆっくり目をつぶる。
チイちゃんが「チュー、チュー」と手をたたいて喜んでいる。
ゆっくりと樹里から唇を離した。
「何? お別れのキスかな?」
樹里が微笑んだ。
「……」
僕は何も応えられない。
「隆司。愛してるわ」
樹里が甘えるような声で言うと、しっかりとチイちゃんを抱いたまま僕にしなだれかかるようにして唇を合わせてくる。
樹里が愛しい。
僕は夢中で樹里の唇を吸う。
「隆司、『卒業』っていう映画を観たことがある?」
唇が離れると、突然、樹里が言った。
「ないよ」
どうして急に映画の話なんかするんだろう。
「そうよね。古い映画だからね。いい映画よ、一度見て。じゃあね」
樹里は僕の腕を振り払うようにして、背中を向け中に入っていく。
「見送りに行くよ。明日は何時の飛行機?」
「来ないで。大好きだよ、隆司」
樹里が今まで聞いたことがない優しい声で言う。
“Au revoir”
樹里は振り向きもせず、そのままマンションの中に入っていった。
「バイバイ」
チイちゃんが嬉しそうに手を振っている。僕も泣き笑いになりながら手を振った。
英語じゃなくて今度は何語?
どうして最後の最後まで煙に巻くようなことをするんだ。
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