第9話 勝気なカノジョとお兄さんが謝りに来た
お兄さんに住所を告げると、カーナビを操作して、登録してくれた。車がスーっと動き出す。
母さんに電話をしようとスマホを見た。いきなり樹里とお兄さんを連れて行ったらびっくりするだろう。さっき時間を見た時は、寝惚けていて気づかなかったが、母さんから何度も電話がかかってきていた。
母さんには、友だちと映画を観にいくと行って家を出たきりで、夕食をいらないという電話をするのを忘れていた。
もう7時半を回っている。うちの夕食の時間はとっくに過ぎている。母さんと土曜日は休みの父さんはイライラしながら待っているだろう。慌てて母さんに電話をかけた。
「何してるの!! ご飯を食べずに待ってるのよ」
母さんの不機嫌な声がする。
「ごめん。友だちと映画を見に行ったあと、ちょっと色々あって。今、友だちと友だちのお兄さんと一緒に帰るから」
「どうして、友だちとお兄さんが一緒に来るの?」
母さんが不思議そうに聞き返す。
「もう少しで着くから、ついてから話すよ」
車が家の近くに来たことに気づいて、「もしもし、ちょっとどういうこと?」と喋っている母さんに構わず、電話を切った。
「もうこの辺だと思うんだけど、車を停めるところある?」
お兄さんが聞いてきた。僕の家にも駐車スペースはあるが、父さんと母さんが共用で使っている軽自動車を止めたらもう停める余地はない。家の近くにコインパーキングがあるのでそこに停めてもらうことにした。
「隆司の家に行くの初めてだね。緊張するな」
なぜか樹里は嬉しそうだ。雨はもう止んでいた。コインパーキングから家までは3分ほどだ。家のドアを開けると、玄関に母が待っていた。
「どうしたのその顔」
僕の顔を見た瞬間、母さんの顔が曇った。
「すみません。わたしのせいです」
樹里が申し訳なさそうに僕の後ろから声を出した。
「どなた?」
母さんが冷めた目で樹里を見る。
「わたし、石野樹里って言います。澤田君とはお付き合いさせてもらってます」
樹里が躊躇いがちに言った。
「ああ、あなたが隆司のお友だちっていう人かしら。石野……さんって言うの?」
なぜか母さんが驚いたような顔をする。
「はい。うちのバカ兄が勘違いして、隆司君を殴ってしまって。ほら、ちゃんと謝りなさいよ」
樹里は自分の後ろに立っているお兄さんの腕を引っ張って無理矢理前に出す。
「突然すみません。樹里の兄の幸雄です。ちょっと誤解をしてしまって……申し訳ありません」
幸雄さんが頭を下げた。お兄さんの名前は幸雄さんって言うんだ。
「勘違いってどういうことかしら?」
母さんの顔が険しくなる。
「玄関で何してるんだ。とにかく入ってもらいなさい」
奥から父さんが出てきて、母さんに言った。
「どうぞ」
母さんがお客さん用のスリッパを出して2人に勧めた。
「お邪魔します」
樹里と幸雄さんが恐縮しながらスリッパを履く。
「病院行かなくて大丈夫?」
母さんが殴られた頬を撫でる。触れると痛い。
「大丈夫だよ。まだ少し痛いけど、骨とか折れていないみたいだし」
僕は安心させるように微笑んだ。
ダイニングに入ると、テーブルの上には鳥の唐揚げやサラダなどが置いてある。
「どうぞ座ってください」
父さんと母さんが座って、テーブルを挟んで置いてある2脚の椅子を樹里たちに勧める。
僕は母さんの隣に座った。
「どういうことですか?」
僕が座るのを見て、父さんが口を開いた。
「それが……」
「お前には聞いてない。石野さんたちに聞いてるんだ」
説明しようとする僕を父さんが遮った。
「すみません。わたしが悪いんです……」
樹里が説明し始めた。父さんは腕を組んで、母さんは固い表情をしている。
「本当にすみません」
樹里が説明し終えると、また頭を下げた。
「隆司とお付き合いしているっていうこと?」
母さんが固い表情のまま聞く。
「はい」
樹里がはっきりと答えた。
「いや、悪いのは俺です。勝手に勘違いして。本当にすみません。治療費はちゃんと払います。妹はなにも悪くありません」
幸雄さんも頭を下げる。
「たしかに殴った幸雄さんも悪いが、隆司も悪い。一人暮らしの女の子の家に行って、シャワーなんか浴びてたら誰でも勘違いするだろう」
父さんが苦虫を潰した顔をした。
「うん。そうだね。僕も軽率だったと思う」
本当に考えがなかったと思う。一人暮らしの女子高生の家にシャワーを浴びた男がいるのを親族が見たら誰でも勘違いするよな。
「陽子が高校生の時にそんな男が家にいたら、その男をただじゃおかなかったと思う。隆司の行為はあまりにも軽率だ」
陽子叔母さんは父さんの妹だ。父さんの両親は父さんが大学を卒業するとすぐに亡くなり、5つ違いの妹と二人っきりになった。父さんは妹の陽子叔母さんが可愛くて仕方ない。だから、父さんは僕の行動が許せないみたいだ。
「それはそうだろうけど、やっぱり親としては息子を怪我させられたのは許せないわ」
母さんが不機嫌そうに言う。
母さんは父さんと陽子叔母さんの仲が良すぎるるので、よくヤキモチを妬く。
「本当にすみません」
樹里と幸雄さんが小さくなる。
ほら、父さんが陽子叔母さんの名前を出すから母さんの機嫌が悪くなったじゃないか。
母さんの顔を見て、父さんも気づいたのか「えっへん」と一つ咳払いをした。
「それはそうだな」
父さんも頷いた。
「そうは言っても、隆司も自業自得っていうところもあるわね。治療費も払ってくれるというし、仕方ないわね。ご飯はまだ食べてないんでしょう? 石野さんたちも食べて帰って」
母さんも父さんもたとえ自分の息子でも悪いことは悪いとはっきり言う。
「いえ。これ以上ご迷惑をおかけしては申し訳ありません。お詫びに来ただけですから、すぐにお暇します。帰れば、樹里が作りますから大丈夫です」
見かけはともかく、幸雄さんは意外とちゃんとしているみたいだ。
「遠慮することはないわ。樹里さんとも話をしてみたいわ。ねえ、お父さん」
「そうだな。食べていきなさい」
「今から作ったら、遅くなるだろう。いつもお弁当作ってもらっているし、食べていってよ」
壁にかかっている時計を見ると、もう9時を過ぎている。
「でも……」
「お弁当を作ってもらっている? 隆司、どういうこと?」
母さんが聞き咎めた。口がすべった。樹里にお弁当を作ってもらっていることを話した。
「そんなことまでしてもらっているの? ごめんなさい。樹里さん。迷惑かけているみたいで。なんで言わないの」
「迷惑なんてことないですけど。わたしの分を作るついでですし」
なんか樹里が緊張しているみたいだ。いつもと言葉遣いが違う。
「隆司がそんなに世話になっているんだったら、是非とも食べて帰ってもらわないとな」
父さんが強く勧める。
「兄さん。ここまで言ってもらったら、食べて帰ろう」
「だがなぁ……」
幸雄さんは困った顔になる。
「まあ、そう言わず、食べていって。大したものはないけど」
母さんがなおも勧める。
「そうですか。では、ご馳走になります」
「どうぞ」
母さんがご飯をよそう。僕はご飯を受け取ると、唐揚げに齧りついた。母さんの唐揚げは外がカラッと揚がっていて中がジューシィーで美味しい。
「おばさん。美味しいです」
樹里が感激したように言う。樹里の唐揚げも美味しいが、母さんも負けていない。
「褒めてもらえて嬉しいわ。どんどん食べてね」
「幸雄さんは妹さんと一緒に住んでいるの?」
母さんが幸雄さんの方を見て聞いた。
「いえ、アメリカに住んでいます」
幸雄さんは首を横に振った。
「そうか。幸雄君はアメリカに住んでるんだ」
父さんが感心したように言う。
「そうです。たまたま日本に仕事で来る用事があって、樹里の家に寄ったら、息子さんがガウン1つでいるんで、ついカッとなって、すみませんでした」
「いや。分かる。分かる。妹は可愛いよね」
「可愛いです。もう樹里の小さい時は可愛くて、可愛くて」
妹LOVEの2人は妹の話で盛り上がっている。
「何言ってるんだか」
一人っ子の母さんは鼻白んだ。
「お兄さんとはいくつ違い?」
樹里のお兄さんって何歳なんだろう? 相当歳上に見えるけど。
「3つ違いよ」
「アメリカで働いているの?」
「そうよ。大学を卒業してアメリカで仕事をしているの」
「大学を卒業して?」
樹里と3つ違いなら大学生のはずだが……。
「お兄ちゃんはアメリカで中学を卒業して、飛び級で大学に行ったの。両親が日本人だから家では日本語で喋っているけど、普段は英語だから、英語の方が分かりやすいみたい」
飛び級なんてすごい。お兄さんは中学の時にアメリカに留学したんだろうな。
「へえ。すごいね。だから、樹里もさっきお兄さんと英語で喋ってたんだ」
樹里は幸雄さんと英語で話をしていた。
「えっ……う、うん。お兄ちゃんに教えてもらって、少しだけ私も喋れるようになったの」
樹里の歯切れが悪い。
「お兄さん、優秀なのね」
母さんも感心したように言う。
「そうですか? わたしはこの唐揚げを作れるおばさんの方が凄いと思いますけど」
「作り方を教えてあげましょうか? また今度いらっしゃい」
「本当? いいんですか?」
「母さん。いいのか?」
父さんが心配そうに言う。
「隆司は樹里ちゃんと付き合って女の子のことを勉強した方がいいわ」
「まあ、母さんがそう言うならいいが」
「またいつでも隆司と一緒にいらっしゃい」
「ありがとうございます。おばさん」
「私、樹里ちゃんのことを気に入ったみたい」
「そうなの?」
僕はびっくりして母さんの顔を見た。髪を染めて、ギャルメイクをしている樹里は母さんの嫌いなタイプだと思ってたけど。
「はい。ありがとうございます。またお邪魔します」
樹里は嬉しそうに応えている。
「本当にすみませんでした。ご馳走にまでなって申し訳ありません。これは治療代です。足りなければ、樹里に言ってください。足りない分は樹里に送りますから」
幸雄さんはテーブルに1万円札を置いた。
「分かりました」
母さんは頷いた。
僕と父さんと母さんは玄関まで樹里たちを見送りに出た。
「本当にごめんね」
樹里が僕に謝った。
「もう大丈夫だから。また明日」
僕が手を振ると、樹里たちは帰っていた。
「もう部屋に戻って寝なさい」
「うん。分かった」
僕は母さんに言われたとおりに2階へと上がった。
翌日の日曜日は家から一歩も出ずに、殴られた頬を氷で冷やしたりして、顔の腫れが引くのを待った。だが、1日ぐらいでは、痛みは弱くなったが、腫れはほとんど引かず、痣は残ったままだ。
樹里のことを父さんや母さんがどう思っているか気になったが、一言も触れてくることはなかった。
「やっぱり、石野さんとの付き合いはやめた方がいいよね」
夕食の時に、許嫁がいるということやその許嫁が春にはアメリカから来るっていう話を樹里にしているということを父さんや母さんに説明してから、思い切って聞いてみた。
「隆司が樹里ちゃんが本当に好きなら、それは仕方ないことだと思う。父さんも母さんもアメリカに謝りに行こうと思っている」
「そうよ。正直に言ってね。そうしたら、父さんとアメリカに行くわ。そのついでに観光もして。父さんと旅行するなんて何年ぶりかしら。父さんとの海外旅行は初めてよ」
すごく母さん嬉しそうなんですけど。僕のことをだしにして、単に父さんと二人で旅行したいだけじゃないの。
「母さんは少し黙っててくれるかな」
母さんの天然ぶりに父さんの顔も渋くなる。
「隆司、お前の好きなようにしていいんだぞ」
「うん」
「卒業式までは、まだ時間がある。樹里ちゃんともよく話をして、考えなさい」
父さんの言葉に母さんも頷いている。
「うん」
僕は頷いた。
翌日、僕が起き出す前に母さんが部屋に入ってきて、まだ腫れが引かない顔を見て、車で連れて行くから病院に行こうと言った。
「大丈夫だよ」
「駄目よ。腫れが引かないのは心配だわ。一度病院で診てもらいましょう。そうしたら安心できるから」
母さんは病院に連れていくと言って聞かない。仕方なく僕は病院へ行くことを承知した。
6時になると、いつものように樹里にモーニングコールをする。
「おはよう。隆司」
今日はいつもより元気そうな声をしている。
「ごめん。母さんがどうしても病院へ行けって言うから、今日は迎えに行けないんだ」
「そうね。行った方がいいわ。こっちの方こそごめんね。本当なら警察沙汰になっててもおかしくないんだから。お兄ちゃんをよく叱っといたから、許してね」
樹里が珍しく申し訳なさそうに言う。
「うん。迎えに行かなくても遅刻しないようにね」
「分かってるわよ」
樹里が怒ったように言った。
「じゃあ、学校で」
僕は電話を切った。あの様子だったら、1人でも遅刻しないだろう。
学校に行く準備をしてから母さんの車で病院に行くと、どうしてこんな怪我をしたのかをお医者さんにしつこく聞かれた。
面倒なことになるといけないので、家の階段を降りるときに、寝ぼけて足を滑らせ顔面から落ちたということにしたが、お医者さんはなかなか納得しない。
僕があくまでも階段から落ちたと言い張ったので、最後は追求を諦めたようだ。
レントゲンを撮ってもらったら、骨には異常がないし、歯も折れてないということで、顔にシップを貼ることもできないから、特に治療は必要ないだろうと言われた。2、3週間もすれば治るだろうとお医者さんは言う。それを聞いて母さんも安心したようだ。
病院が混んでいたので、学校に着いた時は、5時間目がもうすでに始まっていた。
まずは、母さんと一緒に職員室に行って、担任の先生に事情を説明する。
もちろん先生にも階段から落ちたという話をした。
授業の途中から教室に入るわけにもいかない。5時間目が終わるまで職員室で待って、終わりを告げるチャイムが鳴ると、母さんと別れて教室へ向かった。
教室に入ると、クラスメイトが驚いたように僕の顔を見ている。
紀夫もびっくりしたような目で僕を見た。
「どうした、その顔? 石野に殴られたか?」
紀夫は鋭い。当たらずといえども遠からずだ。
「階段から落ちた」
本当のことはとても言えない。
「どうして?」
「寝ぼけた」
「珍しいな。朝は強いのに」
さすが長い付き合いだ。よく分かっている。
「まあな。紀夫こそどうした? 顔が暗いぞ」
「振られた」
紀夫が突然泣きそうな顔をする。
「どうして?」
あんなにLOVELOVEだったのに。何があったんだ。
「俺、大阪の大学へ行くじゃないか。それが嫌だって言われたんだ。遠距離恋愛は無理だって」
たしかに新幹線で2時間半とはいえ、高校生にとって大阪は遠い。
「それで振られたのか」
「そうだよ。もうすぐクリスマスだっていうのに。やってられないよ」
紀夫は頭を掻きむしった。
「仕方ないよ。きっと大阪で新しいカノジョが出来るよ」
「そうかな」
チャイムが鳴り、先生が入ってきたので、紀夫は前を向いた。
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