其の一 つき子さんと初仕事③

 つき子さんはそんな沙夜の様子に微苦笑を浮かべつつも、閉ざされた門へと視線を投げた。一見すると見事な門扉だが、よく見るとはりのあちらこちらに大小さまざまな穴が開いている。


 ひとしきり一人で騒いだ沙夜も気が済んだのか、つき子さんの視線の先を追った。


「つき子さん、この穴は何?虫食い?」

「銃痕です」

「銃痕って、えっ?鉄砲の、あの銃痕?」


 つき子さんの言葉に驚いて顔を上げる沙夜につき子さんはゆっくりと頷く。


「いつ頃の銃痕なのか分かる?つき子さん」

「江戸幕末期の蛤御門の変、または禁門の変と呼ばれている頃のものです」


 沙夜の質問にすらすらと答えてみせるつき子さん。そんなつき子さんと蛤御門の銃痕を交互に沙夜は見やった。日本史に疎い沙夜はつき子さんの言葉の頭、江戸幕末期と言うのが今からずっと昔の出来事であることくらいしか理解できなかったが、そんな昔の門扉が現代日本でも現役で活躍している所に古都京都の奥深さを感じるのだった。


 蛤御門を見上げている2人は気付いていない。今出川御門の時と同様にこの蛤御門でも2人の周りに車通りはもちろん、人気ひとけが全くないと言う異様な状況に。


 ひとしきり蛤御門を見学した2人は次の目的地としていた晴明神社を目指して出発するのだった。

 沙夜はスマホのナビに『晴明神社』と入力しナビゲーションを開始させた。ナビの地図によると、どうやらここから目的の晴明神社まで徒歩で20分弱、1キロ強の道のりのようだ。沙夜とつき子さんはゆっくりと歩き出し、来た道を戻っていく。

 蛤御門を右手に歩き出した沙夜はつき子さんに尋ねた。


「さっき言っていた、何とかの変って何?つき子さん」


 尋ねられたつき子さんは嫌な顔1つせずに、考えを巡らせながら説明をしてくれる。


 蛤御門の変、教科書には禁門の変と書かれているだろうこの変は、江戸幕末期、京都を追放された長州藩が起こした市街戦だ。


「幕末で長州藩と言えば、私でも聞いたことあるくらい有名な藩だよね。その長州藩が京都を追放されていたなんて意外だな」

「そうですね。あの蛤御門では長州藩と会津・桑名藩が衝突し、その際に銃火器が持ち込まれていたために、あのような銃痕が残っています」

「へ~。凄いね、つき子さん!まるで見てきたかのような説明だよ!」


 そう言う沙夜の笑顔につき子さんも笑顔を返す。そんな話をしながらナビ通りに進み、手近な交差点を京都御苑を背にして渡っている時に、2人の周りに喧騒が戻ってくる。交差点を渡り切ってから再び御苑を右手に進むと、良く見ていないと通り過ぎてしまいそうな細い道が見えてくる。

 ナビはそこで左折するよう指示を出し、沙夜はその指示に従って細い一方通行の道へと入っていった。一見するとどこに繋がっている道なのか全く想像できないその様子は、子供の頃に近所の路地裏を探検したワクワク感を沙夜に彷彿ほうふつとさせた。


「結局、蛤御門の変ってどうなるのかな?」


 沙夜の小声の呟きを聞き洩らすことなく、つき子さんは優しい声音で歴史を語ってくれる。


「最終的には、長州藩は敗走することになります。天皇への直談判は失敗し、その上御所に討ち入った形となった長州藩は、朝廷の敵である朝敵となるのです」


 つき子さんの説明をふむふむと聞きながら歩いていた沙夜は、いくつかの交差点を越え、道幅が少し広くなった歩道をナビ通りに進んでいく。


「でも私の知っている歴史では、薩長同盟を組んだ後に薩摩藩と長州藩の人たちが中心となって江戸幕府を倒して、」

「はい、のちの世の明治を築き上げます」


 つき子さんに断言された沙夜はどこか腑に落ちない様子だった。


(朝敵となった藩の人たちが作り上げた歴史、かぁ……)


 何故そのようなことが可能になったのか、きっと尋ねれば自分の傍にいるつき子さんは難なく答えてくれるだろう。


(でも、自分で調べてみるのも楽しいかも!)


 そう思った沙夜はこれ以上のことをつき子さんに尋ねることなく、黙々と晴明神社に向けて歩みを進めていくのだった。




 さて、幕末に思いを馳せながら歩き続けた一条通いちじょうどおりの道幅がまた広くなる。少し進むと堀川ほりかわにかかる橋が見えた。一条戻橋いちじょうもどりばしだ。その橋を見たつき子さんの顔が険しくなる。しかし沙夜はそんなつき子さんの様子に気付かずに、ナビの指示通りに一条戻橋を渡ろうと歩を進めていた。そのまま進み橋の中央、堀川の真上に来た頃、険しい顔のつき子さんが口を開いた。


「ねぇ沙夜。この橋は、やめませんか?」


 突然声をかけられた沙夜が立ち止まる。


「え?何、つき子さん。聞こえなかっ……って、え?」


 つき子さんに言葉を返そうと立ち止まった沙夜の足元が軽く揺れたような気がした。


「何?地震?つき子さん、大丈……?」


 沙夜はつき子さんを振り返ろうと顔を上げ、そして眼前の景色に目を奪われる。


「桜……?なんで?今は桜の季節じゃ……」


 そう、現代の京都は初夏。桜の季節はとうに終わりを迎え、新緑が生い茂っている季節のはずである。しかし今、沙夜の目の前の景色は橋の上から見事な堀川沿いの桜が満開である。


「何、これ」


 呆然と呟いた沙夜はいつも傍にいる付喪神の青年を振り返る。沙夜といつも少し距離を保って立っているはずのその青年は、しかし今沙夜の目の前にはいない。


「つき子さん……?」


 不安になった沙夜はいつも立っているつき子さんの場所へと行き、呼びかける。そして急激な肌寒さを感じてしまい1つくしゃみをした。


「寒い……」


 ガタガタと震えながら、沙夜はつき子さんの姿を探す。


「つき子さん!つーきー子ーさーんー!」


 大声で呼びかけてもつき子さんからの反応はない。沙夜が来た道を戻ろうとするが、何故か足が地に縫いとめられたように動かない。


「なんで?」


 沙夜は足を引っ張り上げようとするが、ぴたりと止まった足は全く動こうとしない。沙夜は諦めて橋を渡ることにした。前を向くと今まで全く動かなかった足が素直に動き出す。


「何なのよ、コレ……」


 1人文句を言う沙夜は前を向いて橋を渡り切った。橋を渡り切ったところでぐにゃりと周囲の景色がゆがみ、沙夜は反射的に来た道を振り返っていた。


「あっ!つき子さん!」


 渡り切った一条戻橋の橋の向こう側にぼーっと立っているつき子さんの姿を認めた沙夜は再び橋を渡り、つき子さんの元へと駆け寄った。先ほどのように橋の途中で足が止まることもなく、つき子さんの傍へとたどり着く。


「もう、つき子さん、どこに行っていたの?」

「沙夜、あれ……」


 傍にいなかったつき子さんへ少し不満げに声をかける沙夜に、つき子さんは目の前を指さして呆然と口を開く。沙夜はそんなつき子さんの様子につられて、つき子さんが指さす方を見ると、あんぐりと口を大きく開けた。


 目の前に広がっているのはコンクリートではなく、砂と砂利で舗装された道だった。堀川沿いの桜は満開で、空は日が暮れようとしている。電柱や街灯はなく、その分道は広く見えたのだが、車も走っておらず何だか殺風景な印象を与えた。


「……、何これ。何なの?何?」

「分かりません」


 目の前の景色に状況が全く飲み込めない沙夜だったが、さすがのつき子さんにも何が起きているのか把握が出来ない。沙夜とつき子さんはただただ橋の向こうの小路を見つめるしかできなかった。

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