他所へ流れる

宮下協義

恣意的な、余にも恣意的な。

 囚われている、劫の檻の内側に。罪人という呼び名が適格だ、罪深き人々は、依る葦もなく、依られる体も持たず、囚われている。

 無神経な、騒々しい夜の黒々とした喧噪は、盧器をどこまでも疲弊させ、つい今し方生じた寸分の晄さえもそれらは容易く飲み込んでしまう。森とした界へ行きたい、と願いつつも、界から齎される法がそれを許さない。人為の排された界は、虚空の他にないと知りつつ、しかし虚空へ到達する術は、例えば自死といった境地の先にあると盧器は考える。死とは如何なるものか。すなわち、劫の檻の外側へ飛翔することか。わかりゃせん、わかりゃせん。法を越え、劫を越え、境地の先へ着いたとして、概念として生きる、否、概念として在る、その現象自体が盧器を救うとしても、きわめて概念的であるが故に、それは救済ではない。死よりも過酷な、苛烈な恐怖自体に他ならない。ああ、と盧器は思う。他所へ行こうが他所も病棟なのだ、狂気に塗れるのなら、いっそ虚へ向かったらどうか、と。「役に立たんな、第三空間へ行ったらどうか」、盧器の内側で誰かが提案し、なるほど第三の空間ならば自らを戒めることが出来るかもしれないと盧器は考え、いつしか彼/彼女は、思考を巡らせるうちに都心の外れに屹立する木々の、その何か奇妙めいた界へたどり着いた。ヴァレーズのノイズにも似た旋律、およそ進行の伴わない不協和音の内側において盧器はそろそろいいかな、と思い始めた。

「死はありゃせん、ただ絶対的な孤独が在るのみ」

「しかし、それすらも死に内包されうる」

「つまるところ第三空間とは跳躍に過ぎず」

「これら集合の内部で私は絶対的な孤独と、転生を果たすだろう」

 苦痛を押し切ろうが、病棟は病棟である。盧器は単に、絶対的な安寧が欲しかっただけとも受け取れる。


 了(二〇二一年 一月十九日)。

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