助けたご令嬢に惚れられた〜非モテ親父の何処がいいんだ?〜
水河忍
第1話 おっさん、ご令嬢を救う
暑い、眠い、早く家に帰って休みたい。
職場の近くの公園で電子タバコをふかしながら、薄くなった頭皮から流れ落ちる汗を拭く。
九月とは言えなかなか涼しくならねえな、スーツの上着を脇に置きつつ、首のぜい肉に食い込むネクタイを緩めた。
ワイシャツが身体にまとわりついて気持ち悪い、太ったなぁ俺。
気づけばいつの間にか見事な三段腹にBカップの垂れ乳。
昔はもう少し痩せてたんだけどなぁ、でも毎晩のビールはやめれんよなぁ。
にしても、連日徹夜のアプリ開発を終わらせたばかりなのに、休む間も無く出勤しろとはあの鬼上司め。
ふと、電話での上司の嫌味を思い出す。
「そんな程度で、へばるのか。情けないなぁ
怒鳴るか嫌味しか言わない、だから同僚や新卒たちは辞めていく。
その分、俺たちの仕事が増え、残業はサビ残扱い。
入社二十年目、仕事漬けの日々。
転職しようか。今まで何度も考えたが、辞めたら上司に負けたようで嫌なんだよなぁ。
愚痴っててもしょうがない、しょうがない、職場に戻るか。
と、上着を手に持ちベンチから立ち上がると隣から悲鳴が聞こえた。
そちらを見ると、チャラ男が制服姿の少女の手を掴み、何処かへ連れて行こうとしていた。
あの制服は職場の近くの超お嬢様校のだ。
この時間帯ってまだ授業中じゃないのか。
「いいじゃん、何処か遊びに行こうぜ。こんな時間に一人で公園にいるなんてサボりだろ?」
「イヤッ、違います。やめてください」
少女は手を振りほどこうともがくが、チャラ男は手を離さない。
あー、これは助けた方がいいかな。
でも、ここで揉め事になると仕事に遅れて、上司の嫌味の嵐だよなぁ。
うん、他の誰かが助けてくれるかも知れない。
少女は助けを求める様に周りを見るが、チラホラ居たリーマン達は我先にと公園を出て行く。
おいおい、お前ら薄情だな。
ハァ、このままだと後ろめたいし、しょうがない。
とりあえず、俺はチャラ男と少女の間に割って入った。
チャラ男が眉間に皺を寄せながら俺を睨む。
「なんだ、おっさん。邪魔だ、すっこんでろ!!!」
「この子、嫌がってるだろ。離してやれよ」
「ハァ、正義のヒーロー気取りか? キモ豚は失せろや」
上司に比べれば、チャラ男の怒鳴り声なんて大した事ない。
それに、キモ豚ってのも自覚しているから腹は立たん。ガキの頃から言われてたしな。
退かない俺にイラついたのか、チャラ男は少女の手を離し殴りかかってきた。
おいおい、分かりやすい性格だな。
とりあえず、軽くチャラ男の拳を避けた。ガキの頃、喧嘩してた連中と比べればチャラ男の殴り方は大振りで軌道が読みやすい。何回か殴ってきたが、一発も当たる事はなかった。
このまま諦めてくれないかなぁ。
「あの、今、人を呼びます」
後ろから少女が切羽詰まった声で言ってきた。
極めて常識的な発想だが、君は大事な事を忘れている。
周りの連中はさっさと逃げて誰もいないんだよ。
「いや、君も早く逃げてくれた方が助かるんだけど」
「喧嘩中にくっちゃべってんじゃねえよ!」
肩で息をして汗だくになったチャラ男がズボンのポケットからナイフを取り出した。
おいおい、刃物はヤバイって、これは流石に想定外。
こういう場合は、さっさと逃げるに限るが、女の子を置いて逃げられんしな。
ナイフ相手に無傷で勝つ、もしくは、女の子を引っ張りながら逃げきるなんて漫画のお話だ。
それ以前にナイフを見せられて少女は立ち竦んでるし。
「下がってて、流石に危ないから」
やむ得ず、少女を庇う形で立った俺の背中に、ポツリと少女の呟きが聞こえた。
「……お兄様?」
ん、誰の事だ?
意識をそらしたのがいけなかった。
チャラ男が突き出してきたナイフへの対応が遅れた。
左の太ももに激痛が走った。
刺さったことにビビったのか、チャラ男は青ざめた表情で一目散に逃げて行った。
チャラ男にとっても刺さるのは想定外だったらしい。
逃げるなら最初からナイフなんて使うなよ。
ヘタレめと思いながら、俺はその場に崩れ落ちた。
「あ、あの。今、きゅ、救急車を」
少女が青ざめた顔で涙目で寄ってきた。
俺は慌てて太ももをネクタイで縛って仮の止血をして、スーツの上着で隠した。
「ありがとう」
少女を安心させるために、無理して笑顔を作ったが、こんなおっさんの笑顔なんて気持ち悪いだけか。
てか、近くで見るとめちゃくちゃ可愛い。
天使の輪が付いた黒髪と色白の滑らかな肌に、大きな黒い瞳に鼻筋の通った顔立ち。
アイドル顔負けの清楚な美少女だ。
そんな場違いな思いに気が緩んだのか、一気に眠気が襲ってきた。
三日連続の徹夜明けに久々の喧嘩だ、流石に疲れて、意識が保たない
ダメだ、だんだん視界が霞んできた。
目を閉じ始めた俺に焦ったのか、少女は急いで携帯を取り出し、涙目で電話をかけ始めた。
薄れていく意識の中で俺は思った。
ヤバイ、上司にどう言い訳しよう。
□ □ □
何処だここ?
目覚めると見たことのない木目の天井が、俺の眼に入ってきた。
ほのかにいい香りがする。
頭の後ろに柔らかい固まりと沈み込む様な寝心地。
いつもの布団じゃない。
寝心地の良さとシーツの質感からして高級なベットだろう。
身じろぎをすると左手の柔らかい感触に気付いた。
少女が上半身だけベットに乗せ、俺の左手を握りながら寝ていた。
……えーと、これはどういう状況だ?
何故か安心した様な無防備な寝顔。
長いまつ毛に鼻筋の通った顔立ちに透き通る様な白い肌の美少女。
……誰だっけ?
手を解こうとしても、しっかり握られてて離れない。
握られている手を見て気づいたが、俺はバスローブ姿だった。
今まで着た事ないけど、バスローブって下着つけないよな。
慌てて中を確認するとトランクスしか履いていなかった。
うむ、今日も見事な三段腹。
じゃなくて、知らないトランクスなんだけど、誰かに着替えさせられたって事か?
まさか……。
俺は寝たきりの少女を見た。
動いた俺に気付いたのか少女が目を覚まし、寝ぼけ眼でこっちをジーっと見てくる。
数秒、少女の茶色い瞳と見つめ合う。
すっげえ、可愛いな。
そんな内心を抑えつつ、声が上ずらない様に話しかけた。
「やあ、おはよう」
「お目覚めになったんですね!」
少女は興奮した様に叫ぶといきなり抱きついてきた。
涙声で良かったと繰り返し、背中まで手を回し胸に顔を埋めてくる。
ええぇぇぇ?
嬉しいけど、嬉しいけど、嬉しいけどね。
何このシチュエーション?
バスローブ越しに少女の柔らかい感触が伝わってくる。
おまけに、女性特有のほのかな良い匂い。
ヤバイから。仕事漬けで禁欲生活だった俺にはヤバイよこの刺激。
「じゃなくて、待って待って待った!」
俺は必死に理性を総動員して、少女の肩を押して引き離した。
「あのね、とりあえず状況を確認させて。ここ何処? 君は誰?」
少女はキョトンとして、一気に顔を赤らめる。
耳まで真っ赤になって俯いてしまった。
「やだ、わたくしったら。嬉しさのあまり。はしたないわ……」
何やら小さい声でモゴモゴ呟いている。
胸元まである黒髪をいじりつつ、俺の方をチラチラ見てくる。
目が合うとまた赤くなり俯くの繰り返し。
うん、可愛い。
とりあえず、彼女が落ち着くのを待った方がいいかな。
たっぷり十分待つと、ようやく少女が平静を取り戻した。
若干の赤らみは残っているが、俺をまっすぐ見てきた。
「まずはお礼を言わせてくださいませ。助けてくださってありがとう存じます」
椅子から立ち上がり、優雅で無駄のない動作で頭を下げてきた。
この部屋の高級な家具といい、多分、彼女はお金持ちの家のお嬢様育ちなんだろう。
いや、それよりも俺が助けたって何の事だ。
「助けた? 俺が君を?」
「覚えていらっしゃいませんの? 二日前に公園で男の方から、わたくしを守ってくださった事を」
あぁ、そうか、そうだった、ようやく思い出した、そういやこの子絡みで喧嘩したんだっけ。
「思い出したよ。悪いね、世話になったみたいで」
「いいえ、悪い事なんて何もありませんわ。わたくしは四条 綾華。白菊女学園の高等部一年です。ここは私の家です。後で、両親もお礼を申したいそうです」
「俺は若宮 英二。四条って、あの四条?」
白菊は超お嬢様校。そこの四条と言えば、日本トップ企業の四条グループだろう。
ということは、ここはグループトップの四条総裁の家?
「はい、四条グループです。お父様は総裁の四条兼光です」
そんな偉い人に俺みたいな底辺リーマンが会っていいのか?
四条総裁の一言でウチの会社なんて吹っ飛ぶぞ。
てか、会社に欠勤の連絡しとかないと。
「その前に俺の携帯どこかな? 先に俺の会社に電話したいんだけど」
「あ、そこの脇机に。私がお取りしますわ」
渡された携帯を見て愕然とした。
会社からの着信が三十件。
更にはロック画面に表示されたメッセージ。
『二日連続無断欠勤とはいい度胸だな。お前はもうクビだ』
あぁ、そりゃ、ウチの会社じゃそうなりますよね。
前にインフルで休んだ奴でさえクビにしてたし。
「申し訳ございません。わたくしが原因で会社をお辞めになる事に……」
本当に申し訳なさそうな声だった。
つか、なんで知っているんだろうか。
疑問が顔に出たのか続けて言ってきた。
「申し訳ございません。見るつもりはなかったんです。でも、寝ていらっしゃる時に何度も携帯が鳴ってて、代わりにお取りしようか迷った時に、その……」
「あぁ、ロック画面にメッセージ映るからね。いいよ、気にしないで」
俺が笑顔を向けると、彼女は泣きそうな顔になった。
その理由が分からず、俺は言葉に詰まる。
「なんで、笑顔で言えるんですの。助けていただいた時だって、意識を無くされる直前だったのに笑顔で。今だって、私のせいで会社をクビになってしまったのに。まるでお兄様そっくり」
彼女は俯いて泣き始めた。
……言えない。
意識を無くしたのは、単に連日の過労が原因だなんて。
転職しようかなぁとか考えていたなんて。
言えないよな。
真剣に心配してくれて、目の前で泣いてくれている純情な女の子に。
本当は助けようか迷ったんだけどねとか。
「えっとね、ホントに気にしないでいいから」
我ながら気の利かない台詞だと頭を掻くと、彼女は顔を上げ涙を拭い背筋を伸ばし、俺を見つめたきた。
だが、なかなか話しかけてこない。
ふと、彼女の手が膝の上で微かに震えている事に気づいた。
「さ、若宮様は恋人とかいらっしゃいますの?」
「いや、いないけど?」
「では想い人などはいらっしゃいますの?」
「いないよ?」
「交際する相手の条件とかございます? その、年齢とか」
「んー、愛があれば問題ないんじゃ?」
「愛……」
今度は顔を赤らめ、頬に手を当て俯いてしまった。
今の質問はなんだったんだ?
お互い沈黙していると、意を決したような顔で彼女は俺の目を見つめてきた。
「決めましたわ。若宮様の人生、私が責任を取ります!」
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