幕間3 それはまるで恋に落ちているかのような②

それから数か月が経った。秋が深まり、みんなが高校受験に向けて、日々勘案している時期に、由里香は野球をやめた。


「ねえ桜子、私桜風学園に入ろうと思うの」


由里香が突然進学先を変えた。県内の強豪校である星空学園を含め、全国の女子野球の強豪校からたくさんの誘いを受けていた由里香は、桜子の第一志望と同じ地元の進学校、桜風学園へと進路を決めたらしい。


だが、桜風学園は伝統的なお嬢様学校で、野球なんていう泥にまみれてするようなスポーツをするための部活は存在しない。


「私としては、また由里香と一緒の学校に通えるのは嬉しいですけど。由里香、あなた野球は……?」


「もうやめたわ」


まるで3日だけ付けた日記を書くのを飽きてやめたことを知らせるみたいに、何でもない表情でさらりと告げた。由里香にとって野球は、これまで彼女の人生の大部分を占めてきた大切なもの。切っても切れないものであることは今更言うまでもない。


突然野球をやめると打ち明けられて、桜子がまず初めに思ったことは、もっと由里香に寄り添って、悩みに踏み込んであげるべきだったという後悔。


由里香が自身を姉と比較されることに悩んでいることには気が付いていた。どこに行っても、自身が“湊唯の妹”でしかないことに苦しんでいたこともよく知っていた。


だけど、由里香がその悩みを桜子に直接相談することはなかった。桜子は必要以上に湊姉妹の関係性に踏み込まないことが優しさだと信じて、触れないようにしていた。


でも、その態度が結果的に由里香を大切な野球から離してしまったのだ。きちんと由里香の悩みと真正面から向き合ってあげなかったから、彼女は一人で抱え込んでしまった結果、野球をやめてしまった。そのことはとても悲しかった。


だけど、その一方で、由里香には申し訳ないけど嬉しい気持ちもあった。


由里香が野球をやめるということは、これから先は小峰華菜という子よりも自分のことを大きな存在として見てくれるということ。また今まで見たいに、桜子のことを一番に考えてくれる関係に戻れるということ。


歪んだ感情だとは思うけど、由里香がまた桜子のことを一番に見てくれることが嬉しかった。


だけど、その歪んだ感情すらも、見誤っていたことに気が付かされる。


由里香が桜風学園に進学することを打ち明けた瞬間に、あれだけ彼女の中に大きく存在を占めていた“小峰華菜”の存在が消えた。一言も彼女にまつわることを話さなくなった、意図的に。


桜子は気付いてしまった。由里香が彼女の人生の中で大切にしていた野球を、華菜の影響で切り離したということは、それほどまでに由里香の中で華菜の存在が大きくなってしまっていたこと。


由里香の人生観を変えたのは幼少期からずっと一緒にいた桜子ではない。たった一度会っただけの華菜なのだ。


たった一度会っただけの子に、10年間ずっと近くで寄り添っていた自分が負けてしまったのだ! 


そんな惨めな事はあるだろうか、と桜子は心の奥底で嘆いたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る