第78話 その日美乃梨は野球をやめた②
家に帰って美乃梨は自室で一人、真っ暗な部屋でただ膝を抱えて座っていた。何もする気が起きず、ただ部屋の中で何時間もぼんやりとしていたら、いつの間にか夜中になっていた。
昨日まで、なんの前触れも無かったのに。試合の時だって、美乃梨とチームメイトとの間に軋轢なんて何もなかったのに。どうして突然こんなことになってしまったのだろうか。考えても何もわからなかった。
唯一の救いは、葵の声は聞こえなかったこと。もし、葵も一緒になって悪口を言っていたら、美乃梨は何を信じていいのか分からなくなってしまっていたと思う。
そう考えると、少しだけ元気が出てくる。元々美乃梨の世界には葵くらいしかいなかったのだから、葵さえ仲良くしてくれれば、それでいいのではないだろうか。
先輩たちや、一緒になって悪口を言う同級生は怖いけど、やっぱり野球は好きだし、何事も無かったかのように明日は部活へ行こう。
葵さえ味方でいてくれれば、それでいい。
次の日に部室に行こうとすると、また昨日みたいに美乃梨の悪口が聞こえていた。
だけど、大丈夫。何も知らないふりをして、部室に入ろう。きっと美乃梨が部室に入れば悪口は少なくとも一旦は終わるのだ。そう思い、ドアノブに手をかける。
「木川ってもともと調子乗ってるとこありましたもん、ねえ葵」
同じ1年生の子が意地悪そうに、葵に同意を求めていた。それを聞いて、美乃梨の手が止まる。
美乃梨は怖かった。唯一の希望である葵がみんなに同調して頷いてしまうのが怖かった。
どうか同意しないで、と思った。
だけど、かなり時間が空いてから、聞こえてきた声は小さく「うん」と同意する声。美乃梨の視界がグラリと揺れる。
美乃梨の中で何かのスイッチが切れてしまった音がした。
ただ、何も聞かなかったことにして、部室に入る。思い切り、必要以上に大きな音を立てて、部室のドアを開けた。賑わっていた声が一瞬で静まる。誰も何も話さなくなり、美乃梨も何も言わなかった。
美乃梨は、ただ黙って部室に置きっぱなしにしていた自分の荷物だけ取って帰った。多分二度とこの部室に来ることは無い。
最後にほんの一瞬だけチラリと見えた葵の顔はこの世の終わりみたいに血の気の引いたような顔だった。そんな顔をしたいのはこっちのほうだ、と美乃梨は思い、葵のことを睨みつけた。
そのときの美乃梨は、葵を含めて野球部全員のことが大嫌いだった。誰も信じられなかった。
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