第60話 デイドリーム

昨日、ついに念願の野球部が誕生した。華菜はたかぶる気持ちを抑えつつ、お昼休みに学校の中庭で一人、ベンチに座っていた。


普段は千早も一緒にお弁当を食べているのだが、今日は部活が終わり次第すぐにバイトに行かないといけないとのことで、お昼休み返上で明日提出の宿題をすることにしたらしい。


ここ数日ずっと千早と一緒にいたから、千早のいないお昼休みというのがなんだかとても寂しく感じる。華菜は教室に居てもやることもないので、一人で中庭で過ごすことにした。


中庭は、天気もよくてポカポカしていて気持ちが良い。中庭のど真ん中に植えてある、大きな桜の木の花は、もうほとんど散っているけど、新緑やいろんな花の良い匂いが心を弾ませる。


「たまには一人でボーっとするのもいいのかもね」


入学してから、ただでさえ慣れない環境で初対面の先輩に怒られたり、揉めたりしながらここまで来たのだ。ピンと張り続けていた緊張の糸も少し緩んでしまい、ついつい気も緩んでしまう。


「先輩たちだけでなく怜先輩との試合中には千早にも怒られたもんなぁ」


苦笑いを浮かべながら、うとうとしてしまう。緩んだ気持ちでは春の心地良い太陽のもたらす睡眠への誘惑には勝てず、次第に夢の中へと入っていく。


「お昼休み終わるわよ」


華菜は突然肩を揺さぶられハッとして目を覚ます。完全に眠ってしまっていた。危うくお昼の授業を無断欠席してしまいそうなところを親切な誰かが起こしてくれて助かった。


「ヤバッ! 寝ちゃってた! すいませんありがとうございま……」


華菜は授業に遅刻しないように起こしてくれた人物を見て、途端に目が覚めた。


その人物はすでにこちらに背中を向けていて、校舎内へと向かって歩いていた。


「由里香さん……?」


呟くように呼んでもこちらを向き直すことはなく、教科書を手にしたまま、どんどん華菜から遠ざかっていく。ただ、背が高くて凛々しい後ろ姿は、間違いなく華菜が今もなお追っている由里香の背中であった。


「なんで由里香さんが私を起こしてくれたの? 夢?」


混乱しながら独り言を発していた。頬をつねって見たが、ちゃんと痛い。そんなことをしている間にも、由里香の後ろ姿がどんどん小さくなっていく。


寝起きの夢うつつの状態とか、春の癒しの日差しとか、野球部設立問題に一区切りついたこととか、華菜に普段よりも積極的な行動をさせてくれる要素がいくつもあったからかもしれない。


多分、本当はまだ気安く由里香に声を掛けない方が良い。それはよくわかっているつもりだった。それなのに、思わず由里香に向かって大きな声を出して呼び止めてしまった。


「あの、由里香さん! ごめんなさい、私のせいで由里香さんが野球を……」


由里香が足を止めた。変わらず背中を向けたまま。決してこちらを向こうとはしないけど、間違いなく声は届いている。


華菜は謝っている途中で言葉を止めた。きっとこの謝罪はこんな離れた距離で言っていいような話ではない。今日はまだ、もっとまっすぐな今の気持ちを届けたい。華菜はそう思った。


「私、絶対由里香さんがまた野球できるように場所作ります! まだ部員は5人ですけど、絶対にあと3人誘います! だから、きちんと8人揃えたら最後に空いたエースナンバーの背番号1は、由里香さんが付けてください! 私、由里香さんに振り向いてもらえるように頑張りますから!」


愛の告白みたいになってしまっているが、華菜は気にしなかった。心臓の鼓動が高鳴る。


由里香は華菜に背を向けたまま、何の反応も見せなかった。でも、華菜はそれでよかった。伝えるべきことは伝えられた。


「授業遅れちゃうから」


由里香はそれだけ返答して早足で校舎内へと入っていった。


予鈴が鳴り、華菜も慌てて教室へと駆けて行く。


由里香とまた話せただけで華菜にとっては夢みたいだった。いや、もしかしたらあり得ない事すぎたから、まだ夢の中だったのかもしれないとも思ってしまう。


でも、それでもよかった。とても気持ちの良い目覚めだったから。頑張って5人集めて野球部を作ったから、ちょっとしたご褒美なのかも、とも思ってしまう。


「あと3人集めて、絶対由里香さんと野球するんだから!」


廊下で宣言してしまったから、周囲を歩く生徒に怪訝な顔を向けられてしまったが、華菜は気にせず教室に戻っていった。




                        第2章 野球部を作ろう 終

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る