第8話 湊先輩こっち向け作戦③
「じゃあさ、千早が一人で2年3組に行く」
千早なりのジョークかと思った。でも、なぜか声が震えているように聞こえた。本当に行くわけではないのだろうから、そんな感情込めて言わなくてもいいのに。そう思いながらも顔を上げる。
「はいはい、勝手に行ったら――」
千早の目は震えた声とは釣り合わないくらい本気の目だった。大きな黒目が華菜の視線をしっかりと捉えている。多分訳もわからないまま本当に一人で行くつもりなのだろう。
千早が黙ったまま何も言わずただ華菜のことをじっと見ている。
このまま何も言わなかったら店が閉まる時間まで黙ったまま見つめられてしまいそうだったので、華菜は仕方なくある程度の妥協はすることにした。根負けだ。
「わかったから。2年3組に行けばいいんでしょ」
華菜はため息を吐きだした。
「やった!」
千早の表情は明るくなり、胸元で小さくガッツポーズをしていた。
「ただし1回だけだからね。明日行ってみて、また知らんぷりされたらもう二度と湊由里香のとこには行かないから」
「大丈夫! 千早がなんとしても湊先輩を華菜ちゃんの方に向かせるから!」
「まったく。勝手にしたら」
と表向きでは呆れつつも、怖いくらい親身に寄り添ってくれる千早はやっぱり良い子なんだと思った。千早にとって出会ったばかりの華菜が顔も見たことの無い由里香と仲直りしたところで何も見返りはないのに。
一応作戦も一区切りついたので華菜は注文したドリアの残りを食べていく。
「てかさ、犬原さん何も頼まないからすごく食べにくいんだけど。普通こういうとこきたら1人1品は頼むのがマナーじゃない?」
「いやあ、千早の家あんまりお金なくて……」
千早が財布を取り出す。幼少期から使っていそうな年季の入った、キャラクターの絵が描いてあるファスナータイプの小銭入れを取り出す。普段食堂や購買で見かけるクラスメイト達のブランド物の財布とはかけ離れていた。
「この通り」
苦笑いをしながら見せてくれた財布の中身は100円玉と10円玉が2枚ずつ入っているだけだった。
「それならそうと、わざわざファミレスなんて選ばなくても、もっと公園とかでもよかったのに」
「千早ここでバイトしてるんだよね」
「うちってバイト禁止じゃなかったっけ?」
「特別に認められる事由があるときにはバイトしていいんだって」
「そう」
これ以上華菜は詮索する気にならなかった。どう転んでも明るい話にはならなさそうだったし、今日あったばっかりの千早に重たい話を聞かされてそれを受け止められるとは思えなかった。
そう考えると初対面の子の悩みをいきなり聞いてくれた千早は凄いなと思った。親身に話を聞いてくれた千早のことは深く知ろうとはしない自分に嫌悪感を抱いてしまう。
「私ちょっとお腹いっぱいになったかも」
華菜はわざとらしくお腹を手でポンポンと叩いた。
「まだ半分くらい残ってるよ」
「そうだね、もったいない。でもお腹いっぱいなんだから残すしかないんじゃない?」
2人の視線の先には半分残ったドリアがあった。
「そうだ、悪いけど残りの半分食べてくれる?」
「いや、それは……」
「じゃあ残して帰る、もったいないけど」
華菜はカバンを持って帰る準備を始める。
「あ、ちょっと待って」
千早が声をかけたそのタイミングでちょうど千早のお腹から空腹を知らせる音が鳴る。どこか遠慮がちに聞こえたが、お腹の音は自分の意志ではどうしようもできない。
「もらっていいの?」
おそるおそる聞かれて華菜は微笑んだ。
「だから私食べられなかったから食べて良いって言ってんじゃん」
「ありがと」
千早は一口ずつゆっくり味わいながらドリアを口に運んでいった。もうすでに冷めてしまっているけど、この店の食べ物で一番安いはずのドリアは、千早が食べていると専門店にも負けないくらいおいしそうな食べ物に見えた。
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