第16話

 ラウンジの扉が閉まり、ハインツはぐったりとしていた。

「もう、やになっちゃう」

「すごい声量だったね」

「そりゃ、身代わりで謝るとなると、そうでしょう」

「謝る……?」

「もう、この話やめましょう」

 ハインツはあまりこの話をしたくないようで、それっきりとなった。


 ハインツ家の執事による謝り事件は、あっという間に学校の全生徒に広がった。勿論、トゥフィの耳にも入った。

「私、実際にサロンの側にいて聞いちゃったんだけど、すごかったよ!」

 特に噂やおしゃべり大好き女子、セイラが勝手に喋ってくれるので、嫌でも詳細が耳に入ってしまうのだった。

 放課後の図書館、奥まった所ある実習スペースといえど、もう少し声量を下げてほしいものだ。そう思いながら、トゥフィはノートにペンを走らせていた。

「すっごい大声で謝るのね。地震と間違えるくらい揺れたのよ」

「あっそ」

「もう、興味ないの? ハインツ様と、あのバニラ様よ?」

「……僕が貴族に興味を持つわけない。知ってるでしょ」

「まぁ、知ってるけど」

 でも、とセイラのおしゃべりは続いた。

「すぐにバニラ様は許さなかったの」

「えっ」

 トゥフィは驚き、ペンの動きが止まった。

「びっくりしちゃった。『許すほどのことじゃない』って言ってたの。もし、おつき合い宣言するなら『許さない』じゃない?」

「……そうだね」

 中級貴族や上級貴族が主に使う『許しの儀』。これは男児が一人の家の者が行うことが多い。

 簡単に言えば、男子一人っ子の中級貴族がとある貴族と恋仲になったとしよう。お相手が気に入らない場合、または他に婚約者がいる場合など理由がどうあれ、結婚を許さないと判断した場合、親が執事や代理人を通して、その貴族に別れてくれ、と遠回しに言うことである。

 つまり、バニラとハインツが恋仲かもしれない、という噂が流れ、ハインツの親が動いたのだ。ハインツは一人っ子で、勿論結婚相手は女性でないといけないし、婚約者が決まっている可能性もある。

 普通噂だけで、昨日の今日の速さで学校にやって来て『許しの儀』をするのは珍しい。しかし、相手は王族の血を引く上級貴族のバニラである。万が一に備えて、火種が大きくなる前に鎮火しておきたかったのだろう。


 そして、『許す』についてである。

 『許しの儀』をして相手が許せば、二人の関係が友情止まりであることを確定することになる。しかし、ここで『許さない』といった言葉を相手が発した場合、結婚前提の付き合いであるのを周知させることになる。

 つまり、すぐに許さなかったバニラには、その場で友情であると確定させたものの、ハインツに少し情があったのではないか、という憶測が飛び交うのである。

 トゥフィは、昨日のネコミミ事件といい、一昨日の告白といい、バニラという人物が全く読めなくなっていた。

 たとえ冗談でも、まず上級貴族が下級貴族のトゥフィなんかに話しかけてくること事態あり得ないのだ。それなのに、せっぱ詰まって「愛してる」と言ってきた。

 だが、今日は『許しの儀』を受けて、即答で許さなかった。別に、バニラの告白を真に受けたわけではない。 

 そう、真に受けてないのだから、バニラが誰と付き合おうと関係ない。全く興味がない。ただ、馬鹿にされたのだと、遊ばれたのだと思うほかない。

 トゥフィには、心底バニラが嫌いになっていた。

 昨日のもふもふがなければ、今後話しかけられても無視しようと思うほどであった。いや、無視しよう。トゥフィはそう心に固く誓った。 


「そうだ、今日のカトリーヌ様なんだけどね。今日も今日とて相変わらす見目麗しくいらっしゃって……」 

 セイラは、今度はカトリーヌ様の話を始めた。さすがのトゥフィも、もう黙っていなかった。

「来週の試験、大丈夫なの?」

「あ! せっかく忘れようとしてたのに」

「忘れても、試験は予定通り来るからね」

「うう~」 

 悩める女子、ここにあり。


「うう~」

 ここにも悩める者あり。

 バニラは、来週が試験だと帰りのHRで言われて、絶賛勉強中だった。

 食事と風呂を済ませたバニラは、部屋で教科書と格闘していた。しかしこのバニラ、全く頭に入っていなかった。

 バニラの中の人は数学が苦手だった。学生時代から頭を悩ませていた教科なのである。

 テスト範囲で開いたページには、グラフが十字で周りに円がいくつかあった。もはやグラフから円が飛び出ている。自由かよ。

 グラフの概念ぶち壊すのやめてほしいんだが、っとバニラは心の底から思った。

 仕方ないので、暗記物からやろうと思ったのだが、魔法の歴史とか魔法薬の調合の名前とか、1から覚えないといけないものが多すぎて、限度がある。

 しかも、バニラは前回の試験で1位をとっている。いや、入学してから1位を独占しているとのこと。

 そんな彼の代わりを、異世界から来た何も知らない平凡女性に務まるわけがない。そう、一週間前からどんなに缶詰をしたことこで、限度があったのだ。


「あ、ありえん……!!!!!!」


 1週間が経ち、試験が終わった。シェイルーガル教師は、職員室で採点をしていたのだが、バニラ・フォーゼン・フランチスカの答案用紙を見て、震えた。

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