第14話

(魔法が使えるようになった訳ではないのでは?)


 メイリスは、バニラが産まれた時から仕えていた。彼の全てを知っているといっても過言ではない。

 彼の性格も、表情一つで言いたいこともほとんど分かる。それが、昨日と今日、全く分からなくなっていた。

(もしかしたら、周りに魔法が使えるように見えてしまっただけで、本当は……)

 メイリスは自分で推理しておきながら溜息をついた。

「め、メイリス……」

 風呂から上がったバニラが、食器を洗っているメイリスの所までやって来た。

バニラのネコミミは、ぼうぼうになっていた。

「髪をすく櫛じゃこの猫の耳がぼうぼうになっちゃって。猫用のブラシってない?」

 バニラは申し訳なさそうに言って来た。

「かしこまりました。少々お待ちを」

 そう言ってメイリスは櫛を持ってくると、バニラを自室の椅子に座らせた。そして、メイリスが猫用のブラシでバニラのネコミミを手入れし始めた。

「メイリス、自分やるよ」

 バニラはそう言って、メイリスからブラシを奪おうとしたが、かわされた。

「いえ、これも執事の務めですから」

「でも自分で出来るよ」

 バニラは、何でも自分でやりたがった。普段なら無言でされるがままだった。

「猫の耳は敏感ですから。下手に手入れして傷付けかねませんし」

「そのうち無くなるものに、そこまで手入れしなくても良いんじゃないかな」

「いえ。貴族はいつ何時身だしなみを整えるものですよ」

「は、はぁ」

 バニラはなんだか丸め込まれたような気がしたが、メイリスに任せることにした。

「わっ」

 バニラは猫の耳が敏感という言葉通り、耳を触られただけで、めちゃくちゃくすぐったさを感じていた。

 昼にトゥフィにめちゃくちゃ触れていたが、あの時とは違う欠点を付くような触り方だ。

「……バニラ様、どうしても聞きたいことが」

「な、何?」

「無礼を承知の上でお聞きします。本当に魔法を使えるようになったのですか?」

 部屋の空気が張りつめる。メイリスの緊張が、バニラにも伝わった。

「う、うん……、でも、ちょっとだけだよ……?」

 バニラには、魔法を使えることの重大性がまだ分かっていなかった。緊張感のある場面であるのだけは、理解できる。

「私に、バニラ様の魔法を見せて頂けませんか?」

 メイリスがバニラの耳をとかしながら、小さな声で言った。

「い、良いけど……?」

「本当は、昨日見せて頂きたかったのですが、心の準備が出来なかったのもですから……」

 メイリスの声が震えていて、バニラは振り返った。今にも泣きそうな顔をしていた。


「メイリス……」

「バニラ様、私はあなた様にずっと仕えてきました。ずっと……です。今まで魔法が使えないだけで、どれほど不遇を受けてきたか……。思い出すだけでも、私の胸は張り裂けそうです」

 ついに、メイリスは泣き出してしまった。

 メイリスは、フランチスカ家の中で、魔法が使えないというだけでバニラが冷遇されてきたことを知っていた。王族と上級貴族のみが通える学校に入学したものの、魔法の開花がなく退学させられたこと。

 他の貴族から後ろ指を指されても、バニラが次男ということもあり、両親は守ろうとしなかった。厄介払いで一人、実家から離れた田舎の別荘に移された時、バニラの心は完全に折れ、表情も乏しくなり、必要最低限のことしか喋らなくなっていった。

「メイリス、見て……」

 そんなバニラが今、メイリスに優しく笑いかけていた。

 バニラの手には、昨日配られた金貨があった。すでに少しだけ曲がっている。それを手で軽く挟み、力を入れる。すると、手のひらが淡い青色に光り出した。

(指輪になれ~! なってくれ!!)

 昨日は周りの生徒が騒いだせいで、途中で魔法が切れてしまった。ちゃんと集中すれば、今度こそ形を変えられる、とバニラは謎の自信を持っていた。

 次第に額に大粒の汗をかき、息も上がってきた。体力が尽きてしまい、バニラは魔法をやめた。恐る恐る金貨を見ると、曲がっていた部分とは別の箇所の縁が少し曲がっていただけだった。

「ははは、こんなに頑張ってこんだけなんだよね……」

 バニラが笑って誤魔化すが、メイリスはちょっとだけ曲がった金貨を見て、喜んだ。

「……ほ、本当に……、本当に魔法が使えるようになったのですね……! バニラ様が魔法を使う日が来るなんて……。本当に……。本当におめでとうございます……!」

 メイリスは、何度も夢に見た光景に歓喜した。今までの苦労が長すぎた。そして、バニラ両手をとり強く握りしめた。

「これからも、何があろうとバニラ様に一生付いていく所存です。いつ何時でも、私はバニラ様の見方です」

「あ、う……うん」

 バニラはイケメンに手を握られ、照れていた。

「正直、昨日と今日、バニラ様の様子をおかしく思っていました。まるで、他人のように感じていました……」

 バニラがギクっとしたのは言うまでもない。

「ですから、魔法が使えたと周りに思われて、本当はまだ魔法が開花していないのかと思ったのです。……私はどこかで、バニラ様は一生魔力を手に入れることが出来ないのだと、思っていたのかもしれません。申し訳ありません……。バニラ様が私に今まで隠し事なんて、したことありませんでしたのに……」

 メイリスは床に膝をつき、頭を垂れた。そんな風に思ったのは、今までバニラに魔力を手に入れさせる為に、色々な禁術に手を出してきたからだった。それでも、全く魔力が手に入らず、残すところは悪魔との契約しか残されていない状態だった。

「いいよ、気にしてないから。顔を上げて」

 バニラは、今までの苦労を微塵も感じさせないような態度だった。

「昨日の朝叫ばれたのを聞いた時は、正直、どうなるかと思いました。それで、お昼に魔法が使えるようになったと聞いて、喜びました。ですが、迎えの馬車から突然降りられて学校に戻られたり、今日は魔法薬をお被りになって……想像できないことばかりで……」

 バニラは、ギクッと何度も肩を震わせた。 

「……魔法というのは、素晴らしいですね。私は、今まで本当のバニラ様の姿を知らなかったわけですから。こんなにも、笑顔が綺麗で、感情豊かだったなんて……幼少期のバニラ様のようです」

 うれし涙を浮かべるメイリスを、バニラは申し訳なく思った。ここにいるバニラは、本当のバニラではないからだ。

「あの、メイリス……」


(私は本物のバニラじゃないんだよ)


 バニラは、言うなら今しかないと思った。 

「今までのバニラ様も崇高で美しい方ですが、今のバニラ様はなんだか柔和で暖かみを感じます」

 常に厳しい表情をしていたメイリスが、ふふっと笑った。

 その笑顔が本当に、どうしようもなく、儚くて、格好良くて、切なくて、バニラは言いかけた言葉を飲み込んだ。

「バニラ様?」

「メイリス、ごめんね……。私、これから頑張るよ」

(念願の魔法を手に入れたんだ。バニラの分まで、頑張らないといけない……)

 メイリスはバニラの言葉を聞いて、ゆっくり頷いた。


「イエス、マイロード」


 そう言われた瞬間、バニラは震えた。

バニラの頭に浮かんだのは、黒い執事の漫画。バニラの中の人は、その漫画をちょろっと読んで、ちょろっとアニメを見て、ちょろっと実写盤映画を見に行ったことのある、にわかだった。

 しかし、この言葉はものすんごく胸に刺さった。というか、胸熱だった。

(いやいや、胸熱すぎて、心臓痛いんだが……!)

 バニラはぐっと、胸を押さえた。

「バニラ様? 大丈夫ですか?」

「う、うん……。ちょっと、気持ち高ぶっているだけだから、そのうち収まるよ……」

 バニラとして生きようと決心した直後に、オタクの感情発作を起こすわけにもいかないので、バニラは必死に耐えた。


 その後、バニラはメイリスに一冊の書物を渡した。そこには『魔法書~初心者編~』と書かれていた。 

 最初はこういう本で簡単な魔法から使えるようにしていくらしい。

 バニラは試しに1の項目の呪文を唱えてみた。

「蝶の舞った残り香のように、星の煌めく瞬きのように、炎の揺らめく火花のように、この身に纏えし、主の光」

 バニラがそう言った瞬間、キラキラと部屋に光が舞った。

「なるほど、こうやってステップアップしていくのか……」

 バニラは手のひらに落ちたキラリと光る粉をみて、感心した。


 翌朝起きたバニラは、まず頭とお尻を触った。

「よかったぁ」

 ネコミミとしっぽはすっかり消えていて、バニラは安堵した。

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