第16話 自称魔王様はひとり地獄で微笑む(5)

 なぜ由木が眼の前にいるのか。キョー助はもう自分の頭がまともかどうかわからなくなった。


 由木がお嬢様の首をつかんで乱暴に払い除ける。お嬢様の体がドドンと床に転がり、由木がそれを跨いでキョー助へと近づいてきた。

 キョー助の体が弾かれたように後ずさる。だがそこは廊下の奥の行き止まり。すぐに背中が壁にぶつかった。

 逃げ道は?咄嗟に左右を見るが、その間に由木の顔がキョー助の鼻先にまで来ていた。


 フードの向こうで刺すような目が鈍く光っている。また殺される。キョー助が最後の悲鳴をあげようとしたとき、由木はキョー助の胸へと倒れ込み、そのまま動かなくなった。


 あっけにとられるキョー助。意識のない由木の体が力なく床へとずり落ちると、キョー助は慌てて両手で支えた。なぜそうしたのか自分でもよくわからなかった。由木には左腕がない。よく見ると服の隙間から覗く体もボロボロだった。由木に触れてる手に、冬の日の濡れたコンクリートのような冷たさがジンと伝わってきた。


 キョー助は助けを求め横を見ると、あれだけ固く閉ざされていた4番目のドアが少し開いていた。


「おーい、助け……」


 だがキョー助の声が途切れた。ドアの隙間から凶々しい気配が流れ出している。ドアの向こうの暗黒の中で、魔王の赤い瞳が不気味に光っている。


「あのー、魔王……さん?」


「……」


 魔王の沈黙に、キョー助の喉がゴクリと鳴る。

 由木の体がキョー助の腕の中からずり落ちそうなった。キョー助が「おいおい」と由木をしっかり抱きかかえなおすと、魔王が纏う凶々しさが大きくうねった。


「うち、言うたよねぇ」


 魔王の声が夜闇を震わせた。


「……なんだっけ」


 キョー助が怯えた声で問うと、魔王はハート型のポーチからメカニカルなスイッチを取り出した。


「うち以外の女にうつつを抜かすとどうなるかって、言うたよねぇっ」


 魔王はミシィと軋ませてスイッチのボタンを押した。するとキョー助の体の中、胃のあたりが、カッと熱くなった。


「うぉい?!何をした!?」


「遺言あるかぁ?あと10秒でさようならやぁ」


「ちょっとまてー!!俺に飲ませた爆弾を起爆させたのかー!?」


「いつのまにそんな女を連れ込んだんやぁ?」


「連れ込むも何も、俺は初めてここに来たんだろうが!」


「ん?……そういやぁ、……そうやねぇ」


 魔王は身に纏う凶々しさを幾分弱めると、キョー助の胸で意識を失っている由木の髪の毛を掴んで顔をじっと見た。

 その間にもキョー助の中の爆弾は秒ごとに熱くなっていく。キョー助は目を閉じ、歯を食いしばり、顔に血管を浮き出させていく。心中のカウントダウンがもうアカンところまできたとき、魔王がぽんっと手を叩いた。


「そうや。うちが拾ってきたんやった」


 すると胃の爆弾の発熱が止まった。キョー助は全身からどっと冷やせを吹き出し、真っ白な灰のようになって由木と折り重なるように床に崩れ落ちた。


 床で重なってる男と女を見下ろしていた魔王が「死人のくせに」と由木を蹴り飛ばした。由木の体が暗い廊下で糸の切れた人形のように転がった。

 窓から滲む明かりの中で、コンクリート色の肌をした由木と、泥の目をしたお嬢様が捨てられたように転がっている。キョー助は、刹那、二人がモノに見えた。そう見えた自分にゾッとした。キョー助は化物から目を背けるように、いそいで魔王に聞いた。


「なんなんだ、こいつら?」


「うちのコレクション。赤城はんの呪いで死人になった連中や」


 魔王の口調は穏やかになっていた。


「なんで集めてるんだ?」


「赤城はんの秘密を調べてるんや。あれは魔王のうちより10倍は強い。いくら勇者やいうてもそんなの異常や。おかしい。ありえへん」


「こいつらと赤城さんの強さに関係があるのか?」


「かならずある。いま世界には異常が2つある。一つは赤城はんの強さ。もう一つが動く死人。この2つは同時に起きたんや」


「魔王のコレクションになぜ由木がいる?」


「由木ぃ?」


「お前が蹴飛ばしたあいつだよ」


「あれも死人やからやなぁ」


「由木は死んでないだろ」


 魔王はケラケラと笑った。


「こんな血色の悪いのが生きているわけぇないやん」


「でも……」


「魔王様が間違うなんて無いんやでぇ」


 そう言った赤い瞳の美少女の笑顔は、いままで見てきたどの笑顔とも異質だった。


「由木は赤城さんのせいで死人になったのか……」


「それはちゃうやろねぇ。目の色が違うわぁ」


 では由木はいつから死んでいたのか。同じ教室にいたときからか、この世界に来たからか。キョー助がぎくりと青くなった。


「……俺も死人なのか?」


 由木が動く死人だというなら、同じ世界からきたキョー助も同じかもしれない。そう考えて腹から震えが込み上がってきた。だが魔王はころころと笑う。


「安心しぃ、あんたは生きとるよ。平凡でしょーもないただの人間や。ただなぁ……」


 魔王はキョー助の胸ぐらをつかみ、瞳の奥を覗き込んだ。神秘的に揺れる赤い瞳が、キョー助の中の何か見ている。


「あんたは間違いなく数十回は死んでる。なのにえらく綺麗な目をしてるのがようわからんのやわぁ」


「目がきれいだとダメなのか?」


「目を見たら心の傷の程度がわかるんよぉ。蘇生魔法は人を生き返えらせる。でもなぁ、心はそうもいかん。死は心に傷をつけ、数が増えれば心は壊れる。これは魔法でも治らへん。十回も死んだら粉微塵やぁ」


 死の記憶は心の傷。キョー助にはよくわかる。あの暗闇の静けさと冷たさは片時も頭の中から消えてくれない。思い出そうとしただけで震える。2回死んだだけでこうなのだ。数十回も死んでいたら既にまともではなくなっているだろう。


「俺が何回も死んでるっていうのが間違いなんじゃないのか?」


 キョー助がいうと魔王は「でもなぁ……」と首をひねる。

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