第11話 春日涼水の異世界屋台と現地従業員(2)


「ありがとうごがいまじたぁ~!」


 キョー助の声が枯れ切ったころ、やっと行列が解消した。キョー助は袖で汗を拭い、水で喉を湿らせて一息つく。すると春日が無言でたこ焼きを盛った舟皿を突き出してきた。


「な、なに?」


「賄いよ。紅生姜抜きだけど贅沢言うな」


 春日はぶっきらぼうに言った。アツアツのたこ焼きを受け取ると、キョー助の腹が派手に鳴った。


「そ、それじゃあ、いただきます……」


 キョー助がたこ焼きに刺された爪楊枝に手を伸ばす。ソースと青のりの香りに、腹の音が止まらない。よだれが口の中にあふれる。そして春日が睨んでいる。すごい睨んでいる。するとむかし春日に食わされた異形のたこ焼きの恐怖が鎌首をもたげてきた。


「あ、赤城さん遅いな。どこまで紅生姜買いに行ったんだ」


 キョー助がもろもろ耐えられなくなって言うと、春日は小さくため息をついた。


「工場が少し離れているのよ」


「工場?店じゃなくて?」


「製造を委託しているのよ」


 キョー助はあんぐりと口を開けた。異世界に来てからまだ一晩明けていない。そのわずかな時間で料理研所長殿は、屋台はおろか食材の開発までしたのか。


「どうして屋台を始めたんだ?」


 キョー助が聞くと、春日がジロリと睨んできた。キョー助は脂汗をにじませて「いや、別にいいんだけどな」と逃げを打つ。春日はそっぽを向くとふてくされたように言った。


「あんたが勝手にいなくなったからよ」


「……は?」


「目立つことをしてたら、あんたがよって来るんじゃないかと考えたのよ」


「それでたこ焼き屋?」


「そうよ。気になったでしょ?」


 たしかにそのとおりだ。キョー助は自分が飛んで火にいるただのバカのように思えて落ち込んだ。


「資金や資材はどうしたんだ?」


「赤城さんが手伝ってくれたわ。教会の護符を教えてくれたおかげで問題なかった」


「それでも知らない世界で店を成功させるなんてすごいな」


 キョー助は素直に褒めた。春日は少しだけ困った顔をみせたが、すぐに胸を張り居丈高になる。


「当然よ。私の思い通りにならない事なんて、あんた以外に無いんだから」


「俺だけ例外なのか」


「あんたは私の悪夢よ」


「あははは……」


 キョー助が春日の剣幕にジリジリと後ずさると、春日が舌打ちした。


「食べないの?」


「お、おう」


 キョー助は春日のプレッシャーに押されて爪楊枝を手にする。しかしまた過去の恐怖で手が動かなくなった。すると春日はキョー助からたこ焼きを奪い取り、パクパクと食べてしまった。


「あー……」


 キョー助から未練か安堵かわからない声がでると、春日はキョー助を見ないで言う。


「いいわよ。帰ったらちゃんと作るから」


 紅生姜の問題じゃない、とは言えないのをごまかすようにキョー助は口を動かした。


「帰るってどこに?」


「現実の日本に決まっているじゃない」


 そうだった。キョー助はそのために春日を探していたのだ。


「屋台はいいのか?せっかく繁盛してるのに」


「ええ。あんたをおびき寄せるためにやってたんだから」


「そうか」


「それで、どうやって帰ればいいの?」


 春日がコテンと首を傾げた。


「え……?」


 キョー助も同じように首を傾げた。二人は赤城が紅生姜を抱えて帰ってくるまで、そのままの格好で見つめ合っていた。




「帰る方法?」


「知りませんか?」


 キョー助に聞かれて買い出しを終えた赤城は視線を宙に投げながら言う。


「この世界についてはそれなりに詳しいけど……」


「てっきり春日が知っていると思ってたんですが」


「オーナーが?どうして?」


「それは……」


 赤城は春日の力を知らないらしい。キョー助は余計なことを言わないことにした。

「魔王を倒したら帰れませんか?」


「それは無い。世界が平和になるだけさ」


 短く答えた赤城の言葉と表情は冷え冷えとしていて、キョー助は小さな砂を噛んだような異物感があった。


「帰りたいのか?」


 赤城の冷えた声に、キョー助の返事が「そりゃあ、まあ……」と片言になる。


「あっちにやり残したことがあるのか?」


「いや……」


「女とか?」


「そうだといいんですけど」


「ここにいればいいじゃないか。こっちは自由だぞ」


「自由、ですか?」


「あっちでは努力は何も保証しないが、ここでは手順を踏めばなんでもできる。欲しいなら永遠の命なんてのも手に入る」


 キョー助ははっとした。ずっとこの世界にいるなんて考えもしなかった。たしかに現実の世界に帰ればいずれ必ず死んでしまうが、ここにいれば死なない。生き続けたいと望むなら、生き返る必要がない。でもその選択肢にはどうしようない気味の悪さがあった。


「赤城さんは自由なんですか?」


「もちろん」


「でも魔王を倒したら、その後はどうするです?」


 そのとき赤城は異様に目を見開いてキョー助を見た。まるで眼の前に悪夢が現れたという顔だった。キョー助が驚いていると、赤城は背を向けて「その時に考えるさ」と硬い声で言った。そして春日の方を見ると、一転声を明るくして聞いた。


「今日は店じまいだな。明日の仕込みどうする?」


 春日も明るい声で答えた。


「仕込みはいいわ。屋台は今日でおしまいよ」


「え?」


 赤城の理知的な顔が滑稽に崩れた。しばらく立ち尽くしていたが、やがてつばを飛ばして春日に詰め寄った。


「屋台をやめのか?」


「ええ」


「なぜだ?ここまで一緒にやってきたのに」


 春日はキョー助の後ろ髪を掴んで答えた。


「こいつが見つかったからよ」


 赤城が呆然としてキョー助を睨む。


「さあ、片付けましょう」


 春日は腕まくりをして洗い物を積んでいく。キョー助も春日にどやされないようにさっさと動き出す。立ち尽くしていた赤城がゆったりと春日に言った。


「最後にオーナーのたこ焼きを食わせてくれないか?」


 洗い物を抱えた春日はすこし驚いたようだったが、「いいわよ」と笑顔でいうと、鉄板の前に立ち、残っていた生地を流し込んだ。赤城はじっと春日の後ろ姿を見つめている。キョー助はそれを横目で見ながら手を動かす。


「はい、お待ちどおさま」


 春日がたこ焼き一人前を赤城の前に出した。見ていたキョー助の腹が派手に鳴るが、春日が「あんたの分はないわよ」と釘を刺す。赤城は両手でたこ焼きを受け取り、大口を開けてたこ焼きを頬張り、ゆっくりと味わう。そのときキョー助は、赤城の手首にかけられた教会の護符が血の色に光るのを見た。


 キョー助が片付けを再開し調理台を拭き上げ始めると、後ろでガラガラガラと食器が崩れる大きな音がした。驚いてみると、洗い物が散乱し、そのなかに春日が倒れていた。58歳のお嬢様のときのデジャブだ。


 凶事の予感にキョー助が春日に駆け寄り頬を叩く。が、意識が無い。息も止まっている。キョー助の全身が粟立つ。赤城は立ったままゆっくりと口を動かし、たこ焼きを味わっている。お嬢様のときのように春日のことが目に入っていないのか。いや違った。赤城はキョー助を、意識のない春日をはっきりと見下ろしていた。キョー助は深呼吸をしてから、赤城を睨む。


「何をした?」


 赤城は食べ終わった舟皿をゴミ箱に入れて答える。


「債権の取り立てだ」


「債権?」


「いままで屋台で働いてきた対価を払ってもらったんだ。この5年分のをな」


「は?5年?」


「そうだ。5年間俺たちは一緒にこの屋台をやってきた。それがお前が現れたから今晩で終わりだという。だからいままでの俺の取り分を、いま強制的に支払ってもらったんだ」


 春日はキョー助の腕の中でどんどん冷たくなっていく。


「それでなぜ人がこうなる?」


「古代では金が払えないやつは奴隷にされた。それは誰かのモノになるということだ。そしてモノと死体とは区別できない」


「それは喩えだろ。人間はモノじゃない」


 赤城は手首にかけた黒い教会の護符を見せて言った。


「俺はそういう魔法を作った。この護符は買い物のフリーパスであって、同時に人を強制的に所有物にする鎖だ」


「人間をモノ扱いするのか?」


「人間をモノ扱いするのが人間だ」


 赤城は春日に手を伸ばした。キョー助がその手を思い切り叩き落とす、と、赤城はキョー助の腹に蹴りをめり込ませた。キョー助は口から胃液を吹き出し、体ごと調理台に叩きつけられる。赤城は横たわる春日をそっと両手で抱きかかえた。


「かっ……を、どう……がはっ!」


 地べたに這い絶え絶えに叫ぶキョー助。赤城はそれを無視して背を向けた。キョー助が落ちていた包丁を握り片膝を付いて意地尽くで立ち上がった。その瞬間、雷光がキョー助を貫き轟音が大気を裂いた。キョー助は己の脂肪が焼ける臭いのなかで倒れ、蛙のように痙攣する。


「俺の戦闘力は53万でお前は5。それは喩えじゃない」


 赤城はそう言い残すと春日を抱いたまま、まだ止まない喧騒の中へと消えていった。

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