愛人希望の橘さんは今日も付き合ってくれない

じぐろもえたん

第1話

 「はぁ~、学校が始まったよ」


 ホームルームが始まるまで時間があり、机に突っ伏しながら愚痴をこぼす。今日が月曜日ということもあり、その憂鬱な気分に拍車がかかる。

 窓の外に見える景色は雨雲が太陽を覆い隠しており、暗くてどんよりとしていた。午後から雨が降るという予報だ。もしこれが快晴ならば少しはマシだったかもしれない。


 そんなありもしないことを考えていると、横から声をかけられた。


 「奏多君、おはよ」


 その聞き覚えのある声に、思わずビクッと肩をはねらせる。恐る恐る声の方に視線を向けると、やっぱり思った通りの人物が立っていた。


 そこに立っていたのはクラスメイトの橘早希たちばなさき。真っ白な肌、制服の上からでも主張してくる双丘に、引き締まった体躯。大きな瞳に加えて、桜色のぷっくりとした唇。美しい髪はふわっと背中に流している。

 そのどれもが他の人の目を引き付け、離さない。まさに高嶺の花。


 そんな彼女が挨拶をしてきた。俺は遠慮がちに挨拶を返す。


 「お、おはようございます」

 「ふふふ、そんなに遠慮がちになってどうしたんですか? いつもみたいに話してくれていいんですよ」


 俺の反応が面白かったのか、彼女は口元に右手を添えながら微笑んでいる。それだけで絵になる彼女は、やはり俺なんかとは違った。


 「そ、そうだな」

 「はい」


 そこまで話すと、橘は他のクラスメイトに呼ばれる。クラスどころか学校の人気者は大忙しなのだ。

 「それじゃあ、また後で・・・・」 と言い残して、俺の元から去っていった。その背中を見ながら、俺は盛大に息を吐いた。心臓に悪い。


 「どうした、そんな深刻そうな顔して」


 今度は前から声が聞こえてきた。見上げるとそこには整った顔立ちだがチャラそうな雰囲気の、茶髪の男子がいた。

 そいつの名前は水嶋大地。俺の前の席に座っているクラスメイトだ。


 「いや、別に何でもないけど」

 「そうか。体調悪いとかじゃなきゃいいんだけど」


 でたよ、こいつ。チャラそうな見た目に反して、めちゃくちゃしっかり者で、優しいとか。それでいて成績優秀で、運動神経抜群って。マジで非の打ち所がない。


 そんな大地を少しだけ恨めしそうに睨んでいると、大地は何も分かっておらず「ん?」 と小首をかしげる。

 はぁ~。ここにきてピュア属性追加ですか、そうですか。もはや天然記念物だよ。


 そんな天然記念物大地がふと何かに気が付く。


 「奏多、ゴミが置いてあるけど」

 「ゴミ?」


 大地の視線の先を追うと、俺の机の端っこに何かが置いてあった。さっきまで何もなかったのに、なんだ。


 見てみると、小さく折りたたまれた紙片だった。今さっきあったことといえば...。

 すぐに答えが導かれる。それに気が付いた俺は、大地が手を伸ばして取ろうとしている横から素早くそれを回収する。


 「あぁー、これはゴミだから俺が捨てておくよ!」

 「そうか」


 ホームルームのチャイムが鳴ったこともあり、あっさりと引き下がってくれた。た、助かった~。

 ホッと胸を撫で下ろし、手の中にある紙片に視線を落とす。表面に可愛らしい装飾が施されていることから、多分便箋かなにかだろう。

 

 そしてこの差出人は橘だ。俺に挨拶するために机に近づいたときに置いていったのだろう。中を開いて確認するとそこには可愛らしい字で、


 『お昼休み、いつものところで』


 と書き記してあった。

 はぁ。また後でってこういうことかよ。もっとほかにやり方あっただろ。


 橘の言葉の真意に気が付いた俺は項垂れる。



   ◇◇◇◇◇◇



 午前の授業がすべて終わり、昼休みになった。昼食はいつも購買で買っているため、手ぶらで席を立つ。


 しかし俺が向かったのは購買ではなく、普段使われていない空き教室だった。キョロキョロと周りを確認しながら扉を開ける。電気がついていない薄暗い室内。しかしそこには橘の姿があった。


 ちょこんっとそこに座っているだけにもかかわらず、橘の周りの空間だけが輝いてた。

 そんな橘は俺に気が付くと、パァーっと一瞬にして笑顔になった。


 「奏多君、待ってましたよ!」

 「お待たせ」


 俺は橘に促されるまま隣に座った。

 ...あのー、橘さん? そんなにくっつかれると動きづらいんですけど。あと、その大きくて柔らかいものを押し付けないでください。ほら、俺の腕に当たって潰れてるじゃないですか。...あ、分かった上でやってるんですか、そうですか。


 「あのー、橘さん。離れてもらってもいいですか?」

 「嫌です!」


 ニコニコとしながらもはっきりと否定された。こうなってしまったらもうダメだ。もう為す術もない。

 完全に諦めモードの俺に対して、今度は少しツンっとした態度を見せる橘。


 「それに奏多君。私のことは早希って呼んでくださいって言いましたよね?」

 「え、でも...」

 「言いましたよね?」

 「...言いました。えっと、その、早希」

 「はい!」


 俺の抵抗もむなしく、彼女の気迫に押し切られてしまった。

 あぁー、もう、なんで名前呼ばれただけでそんなに笑顔になるんだよ。可愛いな、ちくしょう。


 万物を魅了するほどの笑顔が俺だけに向けられているという事実に優越感を感じつつも、気恥ずかしくて彼女を直視できない。


 ここで一つ、みんなが勘違いしているであろうことを訂正しておこう。

 俺と橘が付き合っていると思っているのではないか? まぁ、他の生徒にバレないように人の寄り付かない空き教室でただひたすらイチャイチャしているぐらいだし、そう思ってもおかしくはないだろう。


 高嶺の花である彼女が俺みたいな普通の人間とこっそり隠れて付き合うなんて漫画の展開みたいだし、起きてもおかしくないじゃん。でも残念、付き合ってないんですよ。


 いや、告白はしたんだよ。二カ月前にね。人生で初めての告白だったし、緊張しながらも想いを伝えたんだよ。そしたらなんて言われたと思いますか。


 『告白してくれて嬉しい。私も奏多君のことが好き。でも私は奏多君の愛人になりたいから、結婚してから出直してきてほしいの』

 

 って言われたんですけど。好きじゃないとかいう理由で断られるのは承知の上だったから覚悟はできていたけど、両想いって分かった上で断られたんだよ。さすがにそれは予想してないって。


 じゃあ、なんでこんなことしてるのかって? 俺が知りたいわ。

 告白して以降、ちょくちょく呼び出されてはこういう風にイチャイチャしたり、休日には二人でお買い物に出かけたりしてるんですよ。


 やっぱりお付き合いしてるってことでいいですよね。ね?


 「早希。今度の休みに二人で出かける予定してるじゃん」

 「はい。夏休みに二人でプールに行くために、奏多君に水着を選んでもらいたいんです」

 「水着買いに行くのも、プール行くのもやっぱりデートってことになるんじゃ...」

 「違いますよ、奏多君。デートは交際している男女が行うものであって、私たちはそんな関係じゃないじゃないですか」


 はい、ダメでした。やっぱり俺たちは付き合ってないらしいです。


 俺は落ち込みながらも目の前にある弁当を食べる。ちなみにこの弁当は橘の手作りである。こうして昼休みに招集される時は、橘が弁当を作ってきてくれているという合図だ。


 色鮮やかなおかずの数々。そのすべてが栄養バランスを考え抜いて作られている。でも毎回一つだけ栄養バランス度外視で俺の好物が入っている。

 橘曰く、「奏多君に喜んでほしいから」らしい。可愛すぎかよ。ちなみに今回はハンバーグだった。

 そのどれもが美味しくて、箸が止まらない。


 俺の食べている姿をニコニコと嬉しそうに眺めている橘。その姿をチラッと横目で見る。相変わらず可愛い。

 あぁ、そんな嬉しそうな顔しないでくれ。こっちまで嬉しくなってくる。


 必死に表情筋を抑え込む一方で、頭の隅である考えがよぎる。橘ってやっぱり俺のこと好きでも何でもないんじゃないか、と。


 だって好きなのに付き合わないなんておかしいし、愛人になりたいなんてもっとおかしい話じゃないか。...もしかして学校が退屈だから、俺をおちょくって反応を見て楽しんでるとか。そうすれば色々と辻褄が合う。


 一度考えだすと止まらない。徐々に食べる速度も遅くなり、食欲がなくなっていく。そして箸が止まりかけた時、橘の顔がグイッと近付いてくる。


 「奏多君。口元にソースが付いていますよ」

 「え、マジ?」

 「じっとしててください」


 その直後、俺の口元に生温かくて湿っぽい感触が当たった。突然のことで驚いて振り向くと、そこには妖艶な表情で舌を突き出している橘がいた。


 「奏多君が何を考えているのか分からないですが、私はこういうことが簡単にできるぐらいには奏多君のことが好きですよ」


 少し照れながらもはっきりとそう伝えてきた。

 「俺の考えてること分かってるじゃん」 なんていうツッコミは喉から先には出てくることはなく、俺の脳内は〝可愛すぎる〟という言葉一色で埋め尽くされていた。


 ちなみに、弁当は美味しくいただきました。



   ◇◇◇◇◇◇



 怒涛の昼休みが終わり、それ以降はいつも通りの午後だった。そして午後の授業も終わり、今は放課後。

 みんなが素早く教室を後にする。俺も鞄に教科書や筆記用具などを詰め込み、その波に乗り教室を出る。


 予報通り午後からは雨が降り始めていた。今は雨足が強く、傘がなかったら帰れない程になっていた。


 下駄箱に行き、靴を履き替えて帰ろうと傘立てを覗く。

 この学校は校舎の中に傘を持ち込むことは出来ず、全員がこの傘立てに傘を置かなければならないことになっている。


 そして俺の傘を探すが、見つからない。いくら探してもない。

 もしかしなくても、俺の傘パクられたのか。はぁ、最悪だ。帰れないじゃん。


 「どうした?」


 ため息を吐く俺に、大地が声をかけてくる。


 「傘が…」

 「傘? あぁー、それはご愁傷さま」


 大地も経験があることだからなのか、俺のその言葉だけで全てを理解した。


 「まぁ、仕方ないでしょ。傘はこの世に一本足りないから」

 「何の話だ?」

 「人口に対して存在している傘の数が一本足りないんだって。だからその足りない一本を補うために持っている人から盗って、盗られた人はまた違う人から盗ってを繰り返してるんだってさ」

 「それが傘が盗まれる真相だって言いたいのか?」

 「そう考えれば面白くない?」

 「面白くねーよ!」


 唐突におかしなことを言い始める大地に呆れる。


 「奏多はどーやって帰るつもり?」

 「わからん。まぁ、生徒会とかに行けば傘の一本ぐらい余ってるだろ」


 傘の置き忘れを生徒会が管理しているため、生徒会には傘が常備されているのだ。本当に生徒会はこういう時に役に立つ。



  ──なんて、そんなことを思っていた時期もありました。生徒会が有する傘が売り切れでした。

 みんな、家を出る前に天気予報を見ろ! 雨予報だっだろ!


 まさかの展開だ。大地には余裕ぶっこいて大丈夫と言ってしまったため、もう帰ってるだろう。かと言ってずぶ濡れで帰るとなると翌日風邪をひくのは確実だし。


 結果として、学校に残るという選択肢しかない。

 教室で時間を潰そうと、廊下を歩いていると反対側から橘が歩いてきた。


 「奏多君、こんなところでどうしたんですか?」

 「橘…じゃなくて早希。帰ろうとしたんだけど、傘を盗られて帰るに帰れないんだよ。生徒会にも行ったんだけど傘がなくてさ」

 「そうだったんですね。なら一緒に帰りますか? 私の傘は大きいですから」


 そう言って橘は傘を見せてくる。確かに俺が入っても十分すぎるほど大きいものだった。


 正直に言えば、俺も一緒に帰りたい。でも橘が男と帰っている姿なんて目撃されたら、どうなるかは容易に想像がつくし、それに橘に迷惑がかかる。だから俺は自分の気持ちを押し殺す。


 「いや、遠慮しておくよ。雨が弱まるか、母親が迎えに来てくれるまで待つよ」


 元からそうするつもりだったし、何も損はしていない。


 「そうですか。奏多君と一緒に帰りたかったんですけど...」


 見るからにしゅんとしてしまう橘。そんな姿すらも可愛く見えるのは橘だからだろう。

 その姿を見て俺はたじろぐ。好きな子に「一緒に帰りたい」 なんて言われて嬉しくないわけがない。


 色んなことが頭をよぎるが、背に腹はかえられない。俺は覚悟を決める。


 「分かった。お言葉に甘えることにするよ。一緒に帰ろう」

 「...っ! はい!」


 今日何度目かになる橘の笑顔は褪せることなく輝いていた。



 学校を後にして、二人で並んで歩いている。他の生徒はすでに帰っているか、校舎の中で部活動に励んでいるため俺たち以外には近くにいない。

 どうしてそんなことを気にしているのかと言うと。


 「さ、早希。そんなにくっつかなくても濡れないからもう少し離れて歩いたほうがいいんじゃないか?」

 「いくら傘が大きいからといっても万が一があるかもしれないですし、内側に入っていることに越したことはないです。ですから奏多君にギュッと抱き着いてしまうことも不可抗力なんです」


 いつもの純度100%の笑顔ではなく、小悪魔的な笑顔を浮かべている橘。無理やり振り払うこともできるが、これはこれで幸せなためそんなことはできない。


 こんな場面を学校のやつに見られたら、本当にタダでは済まない。まぁ、その時は明日の俺に頑張ってもらおう。

 しっかりと橘の感触を堪能しながらも、しかし周りへの警戒を怠らない。


 そんな人生で最も長い15分の下校を済ませ、俺の家に着いた。橘の家はもう少し先にあるらしく、ここでお別れだった。


 「今日はありがとう。助かったよ」

 「いえいえ、お役に立てて光栄です」

 「今度、何かお礼させてよ」


 いつもお世話になってばかりなので、俺にできることなら何かお礼をしたい。

 俺のその言葉を聞いた橘はモジモジしだす。


 「その、でしたら、ここでお願いしてもいいですか?」

 「ここで? 別にいいけど、何をするんだ?」


 今すぐにできることなんてかなり限られてくるけど、いったい何を要求するんだ?

 身構える俺に対して、消え入りそうな声が聞こえる。


 「私の頬に、キスをしてください」

 「...は?」


 聞き間違えか?


 「で、ですから! 私の頬にキスをしてください!」


 プルプルと震えながらも、はっきりとした声でそう言った。


 「や、やっぱり嫌ですか?」

 「そ、そんなことはないけど! 本当にいいのか?」


 橘がコクリ、と小さく頷く。俺はついつい周りを見渡す。別に悪いことをするわけではないが、どうしてもそんな気分になってしまう。


 「...っ!」


 ドクン、ドクンとうるさいくらいに鼓動する心臓を無視して、俺は橘の頬にキスをする。唇に柔らかい感触が伝わってくる。

 軽く触れただけだが、それが限界だった。すぐに離れる。


 「こ、これでいいか」

 「...は、はい」


 俺も橘も顔を真っ赤に染め上げていた。そして橘は俺がキスをした部分に手を当てて、蕩けたような笑顔を見せる。俺は気恥ずかしくて顔を逸らす。


 そんな二人だけの空間には雨が地面を強く打つ音だけが響き渡る。しかし先に口を開いたのは橘だった。


 「ここにするのはちゃんとした関係になってからのお楽しみですね」


 自らの唇に手を当てて、少し上目遣いで俺のことを見てくる。


 「ずっと待ってますから」


 橘は俺の耳元でそう囁くように言い残して、駆けて行った。


 呆然とその姿を見送る俺。そしてじわじわと俺に橘という存在が強く刻まれていることに気が付く。

 橘の体の感触が、頬の柔らかさが、妖艶な声が纏わりついている。


 だからこそ俺の感情が爆発する。

 両想いってわかってるのに、こんなにイチャイチャしているのに、付き合えばすぐにでも手に入るものキスがあるのに。なのにどうして。どうして...。


 「どうして付き合ってくれないんだぁ!!!!!!!」


 愛人になりたいという橘に振り回されて生殺し状態の俺の嘆きにも、願望にもにた叫びは雨によって、橘はおろか誰の耳にも聞こえることなく霧散する。




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もしよければ、カクヨムコン短編賞に出している拙作『僕のあげたプレゼントをまだ君は知らない』を読んでいない人はぜひ読んでみてください。

この作品とは違い、じれじれなものとなっております。


どうぞよろしくお願いいたします。

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