掌編小説・『さくら』
夢美瑠瑠
掌編小説・『さくら』
掌編小説・『さくら』
1 桜屋敷の令嬢
”さくら”は、名前通りに頬や、全身がピンク色に輝いている美少女で、17歳だった。
黒目がちで、彫りが深く、漆黒の長い髪はたっぷりとしていて、若い男は見つめられるだけでちょっと赤面する感じだった。性格も桜のように華やかだが大和撫子でもあり、無口な割に何かしゃべると理知的でニュアンスに富んでいて、誰もに深い印象を与えた。
まず全体として神秘的な「桜の妖精」という印象だった。
さくらは旺盛な読書家でもあり、特に三島由紀夫を深く愛していた。
文学少女・さくらは、力余って、自分でも何か書いているらしい。三島風の耽美的な恋愛小説で、つい官能的な描写をしてしまって桜色の頬を、朱に染めたりすることもあった。
そういえば三島の辞世は、「散るをいとう人にも世にもさきがけて散るが花よと吹く小夜嵐」、というもので、これは桜の歌である…
さくらが生まれたときに、名前に因んで両親が家中に植えたソメイヨシノの桜の木がもう大樹になっていて、春には見事に一斉に満開となり、見物人が集まるくらいなので、さくらの家は「桜屋敷」と呼ばれていた。
「桜屋敷の御息女には縁談の話が引きも切らないらしいね」
「深窓の令嬢みたいなイメージが噂を呼んで、財閥の御曹司とかも興味を持っているらしい」
「本人は東大進学したいらしいが、父親の商売が左前で、そこに付け込もうとするステロタイプな金持ちもいるそうだ。さくらちゃんには何とか幸せになってほしいが・・・」
近所は桜屋敷の美少女の話題でいつも持ちきりだった。
そうして、3月27日のさくらの誕生日、「さくらの日」が今年もやってきた・・・
2 さくらの日の夜に
毎年のさくらの誕生日は、「さくらの日」でもあり、老若男女が集って、ライトアップされた宏壮な庭で、盛大な花見をするのがさくらの家、花雲家のならわしだった。
桜の開花が遅い年には延期になるのだが、18才の今年の誕生日には、ちょうど東京のソメイヨシノが満開になってくれた。
「3組の小泉君さあ。久我田今日子に告って見事にフられたらしいよ。その理由がケッサク。」
「ああ、知ってる!『名前が”小泉今日子”なんてギャグじゃないの。どうせ結婚できない人なんてつきあってもしょうがないわ』っていわれたんでしょ。そんなの嫌いなだけじゃないの」
「キャハハハ」
…
友達たちと茣蓙に座って歓談していたさくらに、執事がやってきて耳打ちをした。
「お父様がお呼びです。応接室にいらしてください」
「?なに」
「お客様です。例の…剛田財閥の…」
「武おじさんが?今頃なんだろう」
…
怪訝な気持ちのまま、とりあえず応接室に入っていくと、父のほかに、父の斜のソファに、見覚えのある資産家の父の友人と、見知らぬ青年が座っていた。
「お父様、何でしょうか?」
父は気弱そうな笑みを浮かべて、小さい声で話し出した。
「まあ座り給え。いい話だよ。お前に素晴らしい縁談なんだ。こちらの青年はお前も知っている剛田財閥の盟主の武さんの一人息子なんだ。お前がそろそろ大人になってきて、美しくもなってきたので、高校を卒業したらお嫁にもらいたいというんだ。剛田威光くんという。」
「よろしく」と威光は歯を見せて微笑んだ。色が黒いので歯が白く見えた。
「威光くんは同慶大学を卒業していて、現在は剛田コンツェルンの、総裁を後継すべく様々な部署で修業勉強中らしい。剛田家の資産はざっと100億をくだらないだろう。お前にとってもいい話じゃないか?」
父はまた気弱にほほ笑んだ。
「お断りします!」
さくらはソファからさっと立ち上がり、凛とした、寧ろ傲然なくらいの厳しい顔をして一言のもとに切り捨てるように言い放った。
3 黄金のサクランボ
さくらは眉を吊り上げて、蒼白になって、舞台に立った女優のようによく通る深い声で話し出した。
「私は全部知っています。お父様が商売に失敗して、莫大な負債を抱えて、剛田さんに借金を肩代わりしてもらったことも。それで一向に返済ができないので色々と無理難題を吹っ掛けられていたことも。お父様の特許権を横取りしたり、うちの家宝だった先祖伝来の名刀や甲冑を、ただ同然の安値で買いたたいたり…それで今度はとうとう娘の私に目をつけたというわけですね!卑怯です。そんな卑怯な人の家の嫁になんかは死んでもいきません。どうしてもというなら自ら命を絶つだけです!」
さくらは涙さえ流しながらそれだけ言うと、部屋を出た。
客たちは憮然とした表情で、父はがっくりと肩を落としていたようだ。
…
玄関を出ると、さくらは花見客の喧騒を逃れるように、庭の奥の桜の木に囲まれた温室に向かった。ここがさくらの最も心の落ち着く場所だったのだ。
その温室の中は、年中あかあかと灯がともり、熱帯のように温かくて、別世界のように珍しい植物がたくさん生い茂っている秘密めいた空間だった。ここは今ではもう父が使わなくなった、父の植物の品種改良のための研究室だったのだ。
今ではさくらだけがカギを持っていて、ひそかに利用している。
その一角で、もうとっくに葉桜の時期を過ぎているソメイヨシノの突然変異種が、
キラキラ輝く「サクランボ」をたわわに実らせていた。
さくらには、この「サクランボ」が最後の望みだったのだ・・・
4 大団円
さくらの父は花雲春典といって、農芸化学の研究者で、専門知識を生かして、植物工場を設計建造して、経営する会社を立ち上げて、一代で富を築いた、立志伝中の人物だったのだが、手を広げすぎて経営が行き詰まり、そうなると経営はもともと素人でもあって、みるみるうちに莫大な債務を抱えるという羽目に陥ったのだった。
困り果てている春典に手を差し伸べたのが同窓生で財閥の総帥の剛田で、億単位の負債を一夜にして帳消しにして、一時は春典を泣いて感謝させた。
だが剛田は次第に狡猾で悪辣な事業家の顔を見せ始め、窮鼠をいたぶる猫のように借金を盾に春典の弱みに付け込む嫌がらせを繰り返すようになりそれが春典の新たな苦悩のタネとなっていったのだ。
春典はそのことは誰にも知られていない、と思っていたのだが、勘のいいさくらにはすっかり見通されていたのだった。
さくらが縁談をはっきり拒絶した夜に、さくらの父は剛田から、「あと一週間待つが、それが過ぎたら桜屋敷や会社や、その他の財産は全て明け渡してもらう」、と言い渡されていた。
そうした事情もなんとなく呑み込んでいるさくらの「最後の望み」が、その黄金色のサクランボだったのだ。
父は若い頃にこの研究室でソメイヨシノの品種改良の研究をしていたらしく、厖大なノートや記録が残されていた。それを偶々見つけて中身を読んださくらは、その研究に興味を持って、13歳のころから、色々と接ぎ木をしたり肥料を工夫したりして、一人で新種の創造に取り組んでいた。
そうして去年になってこの「黄金色のサクランボ」の栽培に成功したのだ。
大輪の、美しすぎるような突然変異の桜の花から実ったこのサクランボは、普通のサクランボとは別種の果実のように風味も味も大きさも桁外れだった。 大きさは大ぶりの桃くらいで、黄金色につやつや輝いていて、得も言われぬいい香りがする。どんな果物よりも甘くて美味しい。それだけでも、相当の話題やらお金やらを呼びそうだったが、さくらはサクランボを味わってみて、不思議な感覚に捉われた。もともと味覚やその他の感覚がESPのように、鋭敏なさくらは、直観的に一種の「癒し、ヒーリング」という、そういう特殊なテーマを宿した神妙で不可思議な味わいをそのサクランボに感じ取ったのだ。
「このサクランボには何かがある。例えばどういう病気やらにどういう効果があるかとか…よしんばその通りでもそんな分析は私の手には負えない話だけれど…」と、さくらは悩んだのだった。
父も植物学者なのだが仕事で忙しいし、一人でそんな研究をしていたことも言い出しにくく、思いあぐねた結果、ネットで調べたそういう研究に興味を持ってくれそうないくつかの外国の大学に、氷結保存したサクランボを送ってみて、サクランボの果汁の成分について分析してもらうことにしたのだ。(日本の大学だと何となく研究を盗まれそうな気がしたのだ。)
そのあと今日まで全くのなしのつぶてだったのだが、さくらの日の翌日にある大学から英文のエアメールが届いた。もちろんEメールである。
英語は読めるので、問題なかった。
要約するとこんな内容だった。
「前略 あなた様の栽培された新種のサクランボについて詳しく研究分析した結果、あなた様の御卓見通りに、このサクランボには我々が命名したのですが、「チェリーオキシピロドキシン」という特殊な薬効物質が豊富に含まれていて、この物質は万病に効果があるのですが、特にアルツハイマーの原因物質であるベータアミロイドを脳内から排除することに絶大な著効を示すことが分かりました。(つまり大量生産すれば、アルツハイマー型の認知症をこの世から根絶することも可能なのです)また、完全ではないものの、がん細胞のアポトーシスを強力に促すという効果もあるようです。更にはアンチエイジング効果も他のあらゆる既存の物質をはるかに凌いでいるようで、まったく人類にとっての福音のような夢のような新物質だということが分かったのです。ある製薬会社にこのことについて詳しい報告といろいろの交渉をなした結果、製薬会社からこのサクランボから抽出しうる物質の製造法その他のアイデアについて2億ドルで買い取りたいという最終的な回答を得ました。つきましては特許料として原作者のあなた様に1億ドルを差し上げたく…」
云々とあって、 そうしてこの研究については来月号の「ネイチャー」誌に詳しい記事が載るはずです。、と結んであった。
「す、すごい!まるで桃源郷の不老不死の桃みたいじゃないの!まさかとは思っていたけどあのサクランボに1億ドルの値打ちがあったなんて…」
さくらは躍り上がらんばかりに喜んだ。
遅くとも三日後には1億ドルはさくらの口座に振り込まれるという。
もう大丈夫だ。これで剛田に借りたせこい借金なんかは叩き返せるのだ。
… …
さくらはいくら金持ちになっても、普通の人生を送りたかったので、そのあとも
勉強を続けて、東大の理学部に合格した。
父と同じ農芸化学を専攻して父の会社を継ぐつもりである。
”サクラサク”…
やがて桜屋敷に夢のような豪奢な花吹雪が舞い踊るころには、初々しい女子大生が東大の構内を頬を桜色に染めて歩いているはずである。
<終>
掌編小説・『さくら』 夢美瑠瑠 @joeyasushi
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