成り損ないの守神
狼月
序章
ここは、[
強いて言うなら、市の中心には大きな森林があることと、魔力を持つ人間が多いぐらいだ。
この市の人々はその森を「魔の森」あるいは「王の住む森」と呼んでおり、そう呼ばれているのは色々と理由がある。
しかしそれは「化け物が棲んでいる」、「一度入ったら出て来られない」という在り来たりなものばかり。
化け物が棲んでいるか別にしても、出て来れないとそれこそ噂なんて流れる筈もない。
百歩譲って出てきたものがいないのだとしたら、森に化け物がいるなんて誰にもわからないであろう。
このようにそれぞれの証言には矛盾点が多く所詮噂は噂でしかなく、それまものを目撃した者の証言も全員が曖昧であった。
気になることを言うのであれば、「大きい動物」という単語を皆が口にしていたことだけだろう。
大きい動物など対して珍しくもなく、ましてやこんな大きな森に動物の1匹や2匹、いない方が不自然である。
そしてその大きさも1m〜5mとバラバラであり、「大きい動物」以外の共通点は皆無であった。
それ故に、今や信じている者はほとんどいない__________はずだっただが。
「ねぇ聞いた?あの森の噂。」
「聞いた聞いた、あの大きな化け物が出るってやつでしょ?」
「そうそう!」
行き交う人々の言葉なんて大抵聞き流す程度だが、何故かその会話だけは鮮明に聞こえ、通り過ぎただけの彼女の耳にも鮮明に残っている。
聞かなくなったと思っていたら最近になってまたあの森の噂が出始めた。
くだらない、どうせ噂好きのお調子者達が流したデマにすぎない、というのがそれを耳にした彼女の率直な感想であった。
なんの信憑性もないそんな噂がずっと続くわけが無い、すぐに聞かなくなるだろうと思い、彼女は帰宅路へと歩みを進めた。
*****
(………どうしてこうなった。)
彼女は今起こっている出来事を目の前にしてそう思わざるを得なかった。
辺りはすっかり暗くなっていて、見渡しても目に入るのは見慣れた町並みではなく、生い茂る木々達。
幸いな事といえば、真ん丸の月が木々の隙間からこの闇を少し緩和させていることだけだろう。
(確か、家に帰ろうとしていつもの道を歩いていたはずなのだけど。)
いつもの歩き慣れた道を歩いていたはずなのに気が付けば森の中に居て、目の前には噂に出てきた化け物が何かを貪っている。
彼女はここ最近、「気が付けば知らない場所にいる」ということが時々起きていた。
しかし今回のように自分の身に危険が及ぶようなことは初めてなのだが、何故か彼女は慌てるでもなく、自分でも驚くほど冷静であった。
たとえ
どうしてこんなにも冷静でいられるのか、彼女自身も理解が出来なかった。
昔から彼女は、自分の感情を表に出すことを苦手としていたが、いくらなんでも目の前で自分と同じ人間が喰われているというのに、明らかに異常である。
だが、今回はその異常なまでの冷静さが彼女を長らえさせているといっても過言では無いだろう。
もしこの場で狂ったように悲鳴を上げていれば、彼女は今喰われている人間のようになっているはずなのだから。
彼女が目にした化け物は動物のように毛に覆われていて、一見すると熊のように見えなくも無いが、熊と呼ぶには余りにも禍々しい空気を放ちすぎている。
距離としてはおよそ20mほど離れてはいるが、気づかれてしまえばその間合いも一瞬で詰められるだろう。
この程度の距離なら化け物が彼女の存在に気づいていても不思議ではないのだが、今は目の前の人間だったものに意識を向けているからか、気づく様子がなかった。
(どうやら噂は本当だったらしい。)
助かりたいのなら今すぐこの場から逃げるべきなのだろうが、ここで少しでも動こうものなら物音でそれこそ化け物に気付かれてしまうだろう。
よく気付かれずにここまで来れたものだなと彼女は自分の体質に頭を抱える。
どうしたものかと悩んでいると、どうやら喰い終えたらしい化け物が顔を上げ彼女の方に振り返った。
化け物にも人間のように表情があるようで、彼女の目から見ても判るぐらい、化け物は驚いた顔を見せる。
どうしてそんな顔をしたのか彼女は不思議に思ったが、その思考はすぐに頭の中で消し去った。
考えたところで無駄だと思ったのだろう。
化け物に見つかってしまった以上、彼女に残された道は〈死〉だけなのだから。
今回初めて化け物を見たというのに、力のない人間では到底太刀打ちできないことを彼女は何故か理解している。
彼女が死を覚悟していると、しばらくの間彼女を凝視していた化け物が口を開いた。
《ほう、なかなか面白いものが人間の中に紛れ込んでいたようだな。》
「……化け物も言葉を話すのね、それで?私も喰べる気なの?」
《そうだとしたらどうする?狂ったように泣き叫ぶか?俺から逃げ惑うか?》
「それが可能ならもうやっていると思わない?」
《…なんだつまらぬ、獲物は狩ってこそ意味があるというものだろう。》
化け物はそう軽く愚痴をこぼすと、もう彼女への興味は失せたと言わんばかりに、血で汚れた牙をむき出し、彼女を喰らおうと襲いかかった。
彼女は逃げる事もせずただただそこに立ち続けている。
彼女は死ぬ事を恐れていない、むしろこの世界で生きることに興味がなかった。
友達と呼べる者は1人もおらず、彼女には両親すらもいないのだ。
両親は彼女の幼い時に不幸な事故で亡くなってしまったのだと、親戚から聞かされていたが、それが嘘であると彼女は知っている。
しかし今となってはもうどうでもいいことだ、だって死ぬのだから。
そう考え、彼女はすぅっと瞼を下ろし、死を待った。
(……そういえば過去に1人だけ、親友と呼べる者がいた気がする。)
今の今まで思い出そうとも、ましてやそのような記憶があった事も知らなかった。
死を前にして突然浮かんだのが、名前も思い出せない過去に親友だった者の姿。
いつの記憶かは判らない、ただ、頭に思い浮かんだ者は今の彼女よりも少し大人に見えたのだ。
頭に浮かぶ者と過去の幼い彼女が親友であったとは考えにくく、だとすれば、この記憶は一体いつのモノなのか。
特徴的だった髪ときれいな瞳以外はまだ思い出せていないが、とても楽しい日々を、そして長い年月を共にしてきたような気がした。
だが何故、死ぬ間際になって、そんなことを思い出したのか。
それはまるで「知らないまま死ぬなんて許さない」と言われているようで、彼女は初めて動揺の色を見せ、閉じたはずの瞼を開いたのだ。
そして今回、いや、もしかすると生まれて初めて「死にたくない」と思ってしまった。
しかし所詮それはもう手遅れというもの。
目の前にはもう彼女を喰らおうとする化け物の血に濡れた牙が見え、今から逃げるなど到底不可能。
それでも彼女は最後の悪あがきと言わんばかりに、無意識に後ろへと飛び退いた。
すると、状況は一変し、彼女が飛び退いたと同時に、風とともに現れた何かが逆に化け物へと喰らいついたのだ。
唖然とする彼女を尻目に、それは喰らい付いた化け物を噛みちぎった。
《なっ?!…お、お前はっ!》
彼女を襲った化け物の言葉はそれ以上続かず淡い光となって消えていき、禍々しい気配も跡形もなく消えていく。
風と共にやってきたそれは化け物が消えると餌食となってしまった人間だったものに視線を向け一瞬、ほんの一瞬だけ悲しそうな表情を見せた。
混じりっ気が一つもない輝かしい金色こんじきの毛を靡かせ、木々の隙間から溢れる月の光に反射し、とても幻想的だった。
そして全てを見透かすような透き通った水色の、宝石の「アクアマリン」のような美しい瞳をしている。
彼女はそれを見た瞬間、激しい動悸に襲われ、息が荒くなり、思わず服を握りしめた。
そうなってしまうのも無理はない、なぜなら彼女を助けたその大きい犬は先程思い出した彼の特徴と同じなのだから。
(これはただの偶然?それとも…)
「…あ、あなたは、」
彼女の言葉がそれ以上続くことはなく、彼女の意識はそこで途絶えた____
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