第3話 八王子先輩と私の残業

 前回までのあらすじ。

 何の因果か、私――村崎むらさき薫子かおるこは、『営業部の王子様』と名高い八王子はちおうじ秀一しゅういちと一夜を過ごしてしまった。

 匂いフェチの八王子先輩によると、私の身体からは八王子先輩の理想の香りがするそうで……?


「ふう……」

 定時を大幅に過ぎた、夜の経理部。

 私はため息をつきながら、一人きりで残業をしている。

 別に残業が憂鬱だからため息をついているわけではなく――いや、残業が好きなわけでもないのだが、目下の悩みは八王子先輩である。

 成り行きで恋人関係になってしまったが、私としては酔った勢いで何も記憶がないので困惑しかない。

 目が覚めたら全裸でホテルのベッドに寝てて、隣に裸の異性がいたときの肝が冷える感覚を想像してみてほしい。心臓に悪すぎる。

『営業部の王子様』と呼ばれるほどのイケメンではあるけど、今まであまり面識のなかった人だしなあ……。

「かーおるっこさん」

 自分の名を呼ぶイケメンボイスとともに、頭頂部に重みがかかる。声フェチの私には誰だかすぐにわかった。

「は、八王子先輩……」

「うん、今日もいい匂い。やっぱり頭の匂いを嗅ぐなら、つむじが一番濃厚な匂いを嗅げるなぁ」

 このド変態が『営業部の王子様』などと呼ばれているのだから、頭を抱えたくなる。たしかに顔も声もいいんだけど。

「あの、重いんですけど」

「何してんの? 残業?」

「見ればわかるでしょう」

 お願いだから人の話を聞いてほしい。

「じゃあ今日はラッキーだなぁ。人目を気にせず薫子さんの匂いを堪能できるし」

 何言ってんだこいつ……。

「馬鹿なこと言ってないで早く離れ、っ、ぁ、」

 不意に首すじを舐めあげられて、思わず声が漏れる。

「っ、ちょ、何してるんですか」

「……うん、やっぱり薫子さんが喘ぐたびに匂いが強くなるね」

「は、ハァッ!?」

「なんだろう、やっぱりフェロモンの一種なのかな? この匂い嗅ぐと、俺も興奮してくる……」

 と言うやいなや、八王子先輩が突然首すじにガブッと噛み付いてくる。

「ッ!? ちょ、ちょっと、やめてくださ、ひぁっ!?」

 八王子先輩が、椅子に座った私の背後から、首すじを舐めてみたり耳を甘噛みしてみたり、様々な刺激を与えてくる。私は身をよじってなんとか先輩と向かい合う。

 しかし、先輩と顔を突き合わせた刹那、先輩は今度は噛み付くように唇を貪ってくる。

「んんんーーーっ!?」

 私は暴れて、なんとか先輩の後頭部の髪を掴んで唇から引き剥がした。

 それでも先輩は髪を引っ張られる痛みを感じていないのか、獣のような眼光で舌なめずりをしている。

「ちょっと落ち着いてください! ま、まさかここで致す気ですか!?」

 ここ会社! 「あー会社に忘れ物してきちゃったー」なんて社員の誰かが戻ってきて目撃されたら一生の恥! 馬鹿なの!?

「じゃあ、ホテルまで我慢したら最後までやらせてくれる?」

「ええぇ……」

 会社で襲われるか、ノコノコとホテルまで連行されるか。こんなの選択肢になってない。

 だが先輩は「早く答えないと今すぐしちゃうよ?」と選択の余地など与えてくれない。

「――ッ! わかった、わかりましたから! ホテルまで我慢してください!」

 どうやら今日の残業は、明日に持ち越しである。

 私は上機嫌な八王子先輩にガッチリと恋人繋ぎされて、会社をあとにしたのであった。


〈続く〉

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