第陸話 【 愛を知る者 】
夜影衆、襲撃予定日の前日の夜。
リリィは、離れ小島にある工藤家のお屋敷で、
一人の少年の護衛任務を、穏やかに遂行していた。
「だから、付いてくるなって言ってるだろっ!」
「……だめ」
「なんで、主の指示に従わないんだよっ!」
「護衛、だから……」
「守りなんかいらない、僕は一人で十分だっ!!」
「……だめ」
「良い悪いを聞いてるんじゃない、命令してるんだっ!」
「……命令?」
「そうだ。メイドだろ、主に従って働けっ!!」
「……ちゃんと、守るよ?」
「いや、だから……僕の話を聞けよッ!!!」
ひたすら逃げる少年を、リリィが歩いて追いかける。
「なんで、そんなに毎日毎日付いてくるんだよっ!」
「守る為に、傍にいるの……」
「だから、僕に守りなんていらないんだよっ!」
「……でも、危ないよ?」
「どうせ、お前も僕の錬金術とか、金が目当てなんだろっ!?」
「私、お金なんて、いらないよ……?」
「──嘘だっ! 大人なんて、みんな金のことしか考えてないんだっ!」
「……ワタシ、人間じゃないよ?」
「なら、お前はなんなんだよっ!」
「ワタシは、精霊……」
「頭おかしいんじゃないのか? お前……」
「……そう?」
「会話にならない、とっとと出ていけっ!」
「……お話、しよ?」
「──しないっ! 僕は、一人でいいんだっ!」
「……だめ」
「だから、お前に聞いてないんだよっ!」
どれだけ少年に罵られようと、リリィは無表情のまま、
少年との一定の距離を保ちながら、ひたすら追いかけていた。
「……どこに、行くの?」
「トイレだよ、いちいち聞くなっ!」
「……だめ」
「いや、トイレくらいはさせてくれよ」
「うん、わかった……」
( ふぅ、やっと一人になれる…… )
少年がトイレの前に立ち、その背後にリリィが止まる。
「…………」
「なんで、付いてくるんだ?」
「護衛、だから……」
「トイレぐらい、一人でさせてくれよ」
「……だめ」
「──なんでだよっ!!!」
「危ない、から……」
「昨日の風呂も、トイレも、散歩も、気が散ってしょうがないんだよっ!」
「……ごめんね」
「そう思うなら、一人にしてくれっ!」
「……だめ」
「なんなんだよッ!! 今の謝罪の気持ちはどこいったッ!?」
結局、少年がトイレを済ますのを、リリィは扉の前で待っていた。
「ったく、変なメイドだな」
「……そう?」
「なんで、そこまで僕を守ろうとするんだよ」
「護衛、だから……」
「お前、実はアンドロイドとかじゃないよな?」
「……どうして?」
「何回も同じセリフを言い続けるからだよ」
「だって、同じこと、聞かれるから……」
「お前が言っても聞かないからだろっ!」
「アンドロイドは、ワタシじゃ……ないよ?」
「なんだそれ、知り合いにアンドロイドでもいるような言い方だな」
「うん、いるよ……」
「お前、やっぱり頭おかしいよ」
「……そう?」
少年が呆れながら、リリィの顔をじーっと見上げる。
「アンドロイドなら、どっかにスイッチが……」
「……ふふっ、坊ちゃん……捕まえ、た……」
「うわわああぁぁっ! やめろ、抱きつくなっ!」
「……なんで?」
「なんでって、普通におかしいだろっ!」
「……そう?」
「……いいか? 僕には一切触るなっ! これは命令だっ!」
「……だめ」
「だから、なんで拒否するんだよっ!」
「護衛、だから……」
「はぁ……。もう、だめだ……」
「……?」
無表情のまま、不思議そうに首を傾げるリリィを見て、
少年は説得を諦めると、そのまま自分の部屋へと戻った。
☆☆☆
少年は部屋に入ると、一人でベットの上に寝転がり、
リリィは部屋の端に立ったまま、静かに動きを止める。
「なぁ、バカメイド……」
「……何?」
「お前……。なんで、僕の護衛なんかしてるんだ?」
「貴方のお父さんに、頼まれたから……」
「みんな、僕のことを捨てていくんだぞ?」
「うん、聞いたよ……」
「なら、なんで……お前は断らなかったんだ?」
「…………」
「……なんだよ、理由は無いのか?」
リリィは窓から星空を見上げながら、そっと口を開いた。
「……お父さんがね」
「……え?」
「坊ちゃんのお父さんが、ワタシに、言ってたの……」
「……何を?」
首を傾げる少年の瞳を、リリィが真っ直ぐ見つめる。
「 『 あの子は、愛を知らないんだ 』って── 」
そうリリィが答えると、少年の表情が変わった。
「……愛を、知らない?」
「……うん」
「愛なんか、分かるわけないだろッ!」
「…………」
「みんな僕を捨てていくんだ、母さんも、メイドも、護衛も、みんなッ!」
「……坊ちゃん」
「父さんも人任せで、ほとんど帰ってきやしないッ!!」
「…………」
「そんな僕に、どうやって愛を感じろって言うんだよッ!!!」
感情のままに怒鳴る少年を、リリィが無表情のまま見つめる。
「だから、今、ワタシかいるの……」
「お前だって、どうせ何かあったら逃げ出すんだろッ!」
「ワタシは、逃げないよ……」
「──嘘だッ! そう言って、いざとなったら見捨てて逃げるんだッ!!!」
「…………」
少年は怒鳴り散らすと、布団に隠れるように丸くなった。
「僕は寝るっ! もう、ほっといてくれっ!」
「……だめ」
「いや、寝るくらいいいだろ」
「……うん」
「頼むから、もう出ていってくれっ!」
「……だめ」
「なんなんだよ、お前……」
「ワタシは、護衛……」
「はぁ、わかった。もう、そこに居ていいから。静かにしててくれ……」
「……うん」
その言葉を最後に、部屋の中に沈黙が漂う。
暗闇の中、少年は枕元で、
隠れるように涙を流していた。
そんな少年の元に、リリィが歩み寄り、
何も言わぬまま、ベットに腰を掛ける。
「な、なんだよ……」
「ごめんね、坊ちゃん……」
「……え?」
「これは、命令違反だから……」
リリィは少年の頭を撫で、自分の膝の上に置く。
「な、なにすんだよ……」
「ごめんね……。こうしてあげたい、気分なの……」
「…………」
「…………」
「……お前は、逃げないのか?」
「……うん、逃げないよ」
「……傍に、いてくれるのか?」
「……うん、いるよ」
「……絶対か?」
「……うん、絶対だよ」
「……命を懸けてもか?」
「……命を、懸けてもだよ」
「……そう、なのか」
「……うん」
涙目の少年の頭を、リリィが優しく撫でる。
「本当に、変なメイドだ……」
「……うん」
少年が安心したように、そっと目を瞑ると、
リリィは小さな声で、子守唄を歌い出した。
小鳥たちの鳴き声と共に、部屋に朝日が差し込む。
少年が朧気に目を覚ますと、次の日の朝を迎えていた。
「う、うぅん……」
「……坊ちゃん?」
「……ん? ──うわっ!」
「おはよう、坊ちゃん……」
慌てて飛び起きる少年に、リリィが優しく微笑みかける。
「お、お前……。一晩中、この体勢のまま座ってたのか!?」
「……うん」
「……ふ、普通に寝かせればいいだろっ!」
「だって、坊ちゃん……。凄く、気持ちよさそう、だったから……」
「だからって、もう朝だぞっ!?」
「うん、そうだね……」
「なんで、そこまで……」
「護衛、だから……」
「…………」
その言葉を聞いた瞬間、昨日のループを思い出し、
何かを諦めるように、少年は問いかけるのをやめた。
「はぁ……。もういい。顔を洗う……」
「うん、わかった……」
少年が部屋を出ると、その後ろをリリィがついていく。
そんなリリィの姿を見て、少年がとある疑問を問いかける。
「なぁ、バカメイド……」
「……何?」
「お前、トイレとか行かないのか?」
「……うん」
「あれか? 『 アイドルはトイレに行きません 』みたいなやつか?」
「……坊ちゃん」
「……ん?」
「……ネタが、古いよ?」
「うるさいよっ!!! ネットで見たんだよっ!!!」
リリィは、少年の昼の食事を用意すると、
少年の席の後ろに立って、静かに止まった。
「なぁ、バカメイド……」
「……何?」
「なんで、こんなに毎日サラダばかりなんだ?」
「……嫌い?」
「いや、レパートリーも多いし、別にいいんだが……」
( なんか、見たことない野菜ばっかりだし…… )
「……美味しいよ?」
「それは分かるんだが。もう少し、肉や魚類があっても良くないか?」
「……そう?」
「お前、そんなにサラダが好きなのか?」
「うん、好きだよ……。自然は、星の命だから……」
「……そ、そうか」
( ……なんか、無駄に壮大だな )
少年は呆れながらも、黙々とサラダを食べ始める。
食事を終えると、少年は日課の散歩、運動、勉強、
ピアノの練習、音楽鑑賞、映画鑑賞、読書に書道と、
規則正しいスケジュールを、淡々とこなしていった。
「なぁ、バカメイド……」
「……何?」
「お前、ピアノも外国語も出来るのか?」
「ピアノは、ワタシの家族が、喜んでくれるの……」
「……家族?」
「……うん」
「外国語だって一カ国じゃないのに、一瞬で翻訳してたし……」
「ワタシの家族、色んな言葉で話すから……」
「どんな家族なんだよ、お前の家族は……」
時が過ぎ、リリィが再び晩御飯を用意する。
「はい、坊ちゃん……」
「またサラダが、こんなに……」
「……嫌い?」
「いや、そんなことは無いんだが……」
不満げにも食べ進める少年を見ると、リリィは小さく笑みを浮かべた。
「今はないけど、今度お肉も、入れておくね」
「……ほ、ほんとかっ!?」
「……うん」
( 僕の言葉が届いた、ついに……ん? なんで、僕、こんなに喜んでるんだ? )
少年が疑問を抱きながらも、再びサラダを食べ進める。
その瞬間──
ドカンッという爆発音と共に、
お屋敷の半分が、砕け散った。
「──な、何だっ!?」
少年が衝撃に驚きながら、壊れた箇所から外へ出る。
すると、数人の忍の服を着た、少女たちが立っていた。
「……な、なんなんだよっ!」
「坊ちゃん、落ち着いて……」
「落ち着いてられるか、家をこんなにされてっ!」
出てきたリリィたちを、神楽の子供たちも見つめる。
「いました、ターゲットっすね」
「護衛は、あの後ろのメイド一人だけか?」
「前回来た時は、もっとたくさん警備が居たんすけど……」
「こんな豪邸に二人だけなんて、何かあるとしか思えないな」
「なんにせよ。ターゲットは、捕まえる……」
「まぁ、今度はルミア姉さんもいるから、大丈夫だろう」
「あの後ろのメイドは、どうするっすか?」
「抵抗するなら、殺すだけ……」
「そ、そうっすか……」
「大丈夫……。それは、ワタシがやるから……」
「う、うっす……。申し訳ないっす、ルミア姉さん……」
「私も協力します、ルミア姉さんっ!」
「火憐は、ターゲットまで殺しそうだから、だめ……」
「──ガーンッ!」
そんな夜影衆を見て、少年がリリィの手を引く。
「おい、逃げるぞ……バカメイドっ!」
「……どうして?」
「だって、このままじゃ危ないだろっ!」
「……でも、多分、追いかけてくるよ?」
「そうだけど、ここにいるよりマシだっ!」
「あの数は、囲まれたら、逃げられない」
「なら、どうするんだよっ!」
「大丈夫だよ、坊ちゃん……。ちゃんと、守るから……」
「お、お前……」
リリィは少年に笑顔を見せると、少年を守るように前に立った。
「逃げずに出てきましたっすよ、ルミア姉さん……」
「……どうしますか?」
( あのメイド……。なにか、感じる…… )
マナの力に気がついたルミアが、警戒するようにリリィを見つめる。
「火恋……。一撃だけ、打てる……?」
「……いいんですか?」
「うん、殺す勢いで、打ってみて……」
「──えっ!?」
「大丈夫、だから……」
「わ、分かりました。やってみますっ!」
ルミアに応えるように、火恋が炎の犬を作り出す。
<<<
炎の犬が走り出すと、それを見た少年が、リリィの前に出た。
「──や、やめろっ!!」
「──ッ!? 坊ちゃんっ!!」
「もう、僕から何も奪わないでくれっ!」
「……坊ちゃん」
「もう、何も失いたくないんだっ!!!」
「…………」
「 もう、これ以上…… 」
「 僕から、大切な人を奪わないでくれ 」
炎の犬が駆け、少年に向かって真っ直ぐ走ると、
ぶつかった衝撃で、巨大な爆発を引き起こした。
「……や、殺っちゃったんじゃないっすか?」
「……えっ!? だって、ルミア姉さんがやっていいって……」
「あ〜ぁ、火恋姉さんやっちゃったぁ……」
「ちょ、沙耶までっ! そう言うこと言わないでよぉ〜っ!」
妹たちの言葉に、火恋の顔が青ざめる。
「……生きてる」
「……え?」
そう告げるルミアは、静かに煙の中を見つめていた。
すると、煙の中から声が響く──
「 はぁ……。忌能力者が六人相手もなんて聞いてねぇぞ。
こりゃ、給料割増してもらわねぇと、割に合わねぇな 」
少年がゆっくり目を開けると、リリィは少年を抱き寄せながら、
タバコ(のようなマナ補給剤)を吸い、水の障壁を張っていた。
「な、なんだこれ……」
「やるなぁ、坊ちゃん。……勇気あんじゃねぇか」
「……え?」
その言葉を発したのが、リリィであることに気がついた少年が、
さっきまでとの豹変ぶりについていけず、自分の目と耳を疑う。
「 ……えっ、誰? 」
そんな少年を、リリィはガンを飛ばすように見下ろしていた。
「誰って、お前のメイドだよ。……記憶でも飛んだか?」
「いや、人格が変わりすぎだろ」
「うっせぇな、別に中身は変わってねぇよ」
「……そ、そうなのか?」
ガラの悪いメイドの姿に、少年が目を丸くして固まる。
「坊ちゃん、アタシが怖いか?」
「……え?」
「坊ちゃんから見て、今のアタシはどう見える?」
戸惑う少年に、リリィが真剣な眼差しで問いかけると、
少年はギュッと拳を握りながら、ゆっくりと口を開いた。
「……変わらない」
「……あ?」
「 ──変わらないッ!!! 」
「 お前は、いや── 」
「 ──リリィは、僕のメイドだッ!!! 」
そう宣言した少年を見て、リリィが大きく目を見開く。
「坊ちゃん、初めてアタシの名前を呼んだな」
「……リリィ」
そういうと、リリィは嬉しそうに笑った。
「今から、アタシ直伝の大掃除を始める」
「……え?」
「吹き飛ばされんなよ、坊ちゃんっ!」
「あぁ、やっちまえっ!」
リリィは少年を抱き寄せたまま、手をかざし、
自分の背後に、巨大な謎の植物を生み出した。
( ……え? 後ろから、何か出てきたんだけど…… )
リリィの本気を見た少年は、口を開けたまま言葉を失った。
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