第拾壱話【 傷跡 】

 灰夢は、新しく店の廊下から繋がるように作られた、

 新しい入居者用の建物の一室を、桜夢用に改良していた。




「とりあえず、こんな感じだな。……どうだ?」

「狼さん、ここって……」

「桜夢の部屋だ。年頃の少女が、いつまでも俺の部屋で寝てるのもアレだろ?」

「……そう? ……ワタシは別にいいよ?」

「俺が良くねぇんだよ。まぁ、家具も揃えたし、こんなもんだろ」

「ベットまである……いいの? こんなにしてもらって……」

「部屋も家具も、満月が忌能力で作ったんだ。後で、満月に礼を言っとけ」

「……うん」


 部屋を見つめる桜夢が、どのか不安げな表情を見せる。


「……どうした?」

「なんか、信じられないなぁって……」

「……何がだ?」

「つい、この間まで、ワタシ、監獄で寝泊まりしてたんだよ?」

「まぁ、それが本来、普通じゃねぇんだけどな」

「それはそうなんだけど。こんな生活に変わるなんて……」

「ガキの生活環境くらいは整えてやるのが、俺ら大人の務めだ。気にすんな……」

「……狼さん」


 当然のように答える灰夢の横顔を、桜夢は静かに見つめていた。


「まぁ、何か不満がありゃ言えば聞いてやる。あんま我慢せずに言えよ」

「こんなに幸せな毎日なのに、不満なんてないよ」

「多少、ワガママになってもいい。今まで出来なかった分くらい甘えろ」

「なら……。ワタシ、狼さんが欲しいっ!」

「残念ながら、それは非売品だ。俺の人権問題に関わる」

「むぅ〜、なんでも言えって言ったのに……」

「お前の生活内容に決まってんだろ。お前に足りねぇのは、おつむか?」


「まぁ、自慢じゃないけど、勉強はしてこなかったからねっ!」

「そういう問題じゃねぇと思うけどな」

「えへへ。でも、学校はちょっと興味あったなぁ……」

「お前、小学校は行ってたのか?」

「ううん、行ってないよ」

「……そうか」


 少し寂しそうに俯きながら、桜夢が答える。


「だから、多分、社会に出ても、まともにやって行けないと思う」

「まぁ、ぶっちゃけ学力なんてもんは、さほど必要ねぇけどな」

「……そうなの?」

「大切なのは、コミュ力と柔軟性。国の歴史や学力なんてのは二の次だ」

「へぇ〜、そうなんだ……」

「そんなん知ってたって、人とまともに会話ができなきゃ、意味ねぇだろ?」

「それはまぁ、そうだけど……」


「その点、桜夢は人との会話には強ぇから、問題ねぇよ」

「……そう?」

「忌能力アリとはいえ、人を誘惑してきたやつが、口下手なわけがねぇだろ」

「確かに、そこはワタシも自信ある」

「だからまぁ、そんなに人との差はねぇよ」

「──そっかっ!」

「……おう」


 満面の笑みを見せる桜夢に、灰夢は小さく微笑み返していた。


「ありがとね、狼さんっ!」

「あぁ……。んじゃ、俺は晩飯を作ってくる」

「今日の晩ご飯は、な〜にっ?」

「今日は【 ビーフストロガノフ 】だよ」

「知ってるっ! 氷麗ちゃんのやってたゲームに、同じ名前のがいたよっ!」

「いや、ガノン〇ロフじゃねぇよ」

「ん〜、違うのかぁ……」

「料理の名前っつってんだろ。まぁ、出来たら呼ぶから、ゆっくりしてな」

「はぁ〜いっ!」


 そう言い残すと、灰夢は桜夢の部屋を後にした。



 ☆☆☆



 その日の夜、子供たちがみんなが寝静まった頃に、

 灰夢は梟月と蒼月の三人で、酒を飲み交わしていた。


「新しい部屋は、喜んでくれてたかい?」

「あぁ……。相変わらずの眩しい笑顔で喜んでたよ」

「そうか、それは良かった」


 梟月が微笑みながら、酒をひとくち口にする。


「桜夢ちゃんも、ようやくトラウマや恐怖から、開放されたみたいだね」

「まぁ、トラウマの原因を、灰夢くんが無くしたからね」

「骸骨を灰に戻しただけだ。大したことはしてねぇよ」

「あははっ! それが誰にでも出来たら、苦労しないって……」


「何にせよ。あいつの今まで無かった物を、与えてやらなきゃな」

「あの子の新たな人生を、わたしたち月影で支えていこう」

「灰夢くんがそういうこと言うと、おじいちゃんなのをたまに忘れるよ」

「いや、なんでだよ……」

「見た目と言動が合わなすぎるんだよ」

「しょうがねぇだろ、年取れねぇんだから……」


「まぁ、あの子が笑っているのなら、それでいいじゃないか」

「そうだね。あの子の笑顔を見てると、本当に幸せそうに感じるよ」


 蒼月は、お猪口に入った酒を見つめながら、桜夢の笑顔を思い出していた。


「そういや、梟月。一つ、聞いてみたいことがあるんだが……」

「……なんだい?」

「桜夢が『 学校に行きたい 』と言ったら、どう思う?」

「ん〜、そうだね。入学が出来たとしても、勉強についていけるかが心配かな」

「まぁ、そうだよな……」


 灰夢が顎に手を当てながら、じーっと考え込む。


「灰夢くん、桜夢ちゃんを学校に行かせてあげるの?」

「本人が希望するかにもよるが、あいつが行きてぇならな」

「……そっか」


 真剣に考える灰夢を、蒼月は微笑ましそうに見つめていた。


「なら、試しに連れて行ってみたらどうだい?」

「……学校にか?」

「今度、言ノ葉の学校の文化祭があるじゃないか」

「あぁ、そういやなんか、チア部の練習をしてるとかなんとか言ってたな」

「そこに連れて行ってあげれば、少しは変化が見れるんじゃないかい?」

「そうだな。今度、桜夢や言ノ葉に聞いてみるか」

「いい考えだね。今は氷麗ちゃんもいるし、喜びそうだ……」


 梟月の提案に、灰夢と蒼月がコクコクッと頷く。


「まぁ、詳しいことは本人次第だな」

「手続きなら、わたしがするから、必要だったら言ってくれていい」

「あぁ、わかった……」


「君は本当に優しいね」

「老骨がガキを甘やかすのは、よくある事だろ」

「あははっ、本当に似合わないなぁ……」

「うるせぇ、ほっとけ……」


 そういって、灰夢は一人、 カウンターの席を立った。


「灰夢くん、どこ行くんだい?」

「風呂に浸かってくる。たまには一人でゆっくりとな」


「灰夢くんがいると、大体大人数になるもんね」

「こういう時ぐらいしか、一人で入れねぇんだ」

「人気者は辛いねぇ〜っ!」

「俺からすりゃ、いい迷惑だ……」

「まぁ、たまにはゆっくりしておいで……」

「おう、行ってくる……」


 灰夢は店を出ると、一人で露天風呂へと向かっていった。



 ☆☆☆



「一人で入るのも、久しぶりだな」


 灰夢は湯船に近づくと同時に、一本の竹が浮いてるのを発見した。



( はぁ……、一人じゃねぇし…… )



 灰夢が湯船に立った、竹の傍まで静かに近づき、

 先端の穴を指でポンッと塞いで、じーっと固まる。


「…………」

「…………」

「……ごぼっ」

「…………」

「……ごぼぼぼぼぼぼっ!」

「…………」


 すると、バシャンッという音と共に、湯船の中から、

 息を切らした死にかけの桜夢が、息を切らして現れた。


「ぷはぁ……。し、死ぬかと思った……」

「てめぇ、何してやがる……」

「いや、窓から狼さんが、お風呂に向かっていくのが見えたからねっ!」

「俺の癒しの時間を、邪魔すんじゃねぇよ」

「だって、いつも皆と入ってるじゃん?」

「入りたくて入ってんじゃねぇ、あいつらが勝手に来るんだ」

「だからね。たまには、二人で入りたいなぁ〜って思ったんだぜっ!」


 純情無垢な笑顔で、反省も見せずに桜夢が答える。


「はぁ……。ここは、混浴じゃねぇんだぞ……」

「えっへへ〜、狼さんなら許してくれるもんっ!」

「厚い信頼を向けてくれてるところ悪いが、俺はそんなに優しくねぇ……」

「人の呪いを命懸けで解いてくれた人が、今更、何を言ってるの……」

「俺は不死身だ、命は懸けてねぇよ」


「でも、もう来ちゃったもん……」

「はぁ……。わかったから、大人しく湯船に浸かっててくれ」

「──ほんとっ!? いぃやったぁ〜っ!」

「…………」


 灰夢は湯船に浸かると、星空を見上げていた。


「ひにに……。今ならワタシに、何でもやり放題だよっ!」

「そうか。なら、遠慮なく、湯船に沈めてやるとしよう」

「おかしいっ! 狼さんの狼さんが、狼さんしてくれないっ!」

「紛らわしい言い回ししてんじゃねぇっ!」

「だって、狼さんが、ワタシを食べてくれないんだもんっ!」

「嫁入り前の娘が、狼に喰われる未来を求めんなよ」


 灰夢が呆れ返りながら、静かに夜空を見つめる。


「……星、変わってきたな」

「……え?」

「ここは露天風呂だからな。晴れれば毎晩、星空がよく見える」

「星かぁ……」


 灰夢に言われて見直すように、桜夢は星々を見上げていた。


「ここから見える星が変わるように、季節も移り変わっていく……」

「星って、こんなに綺麗だったんだね」

「お前は、あまり星を見た覚え無いのか?」

「ワタシさ。ずっと監獄にいたせいで、外とかほとんど出なかったから……」

「まぁ、外に出るのも、仕事の時だけって言ってたもんな」

「うん。失敗しないことだけ考えてたから、星なんか見てなかった」

「……そうか」


 目を輝かせる桜夢を見て、灰夢が小さな笑み浮かべる。


「だから、こうやって普通に空を見上げられるのが、嬉しいの……」

「ここは、天然のプラネタリウムだからな。他にはない贅沢な一時だ……」

「本当に、夢のような時間だよ」

「そうか。なら、雷に撃たれた甲斐もあったってもんだな」

「狼さんまで灰に還ってたら、それどころじゃなかったけどね」

「それが出来たら、苦労はしてねぇって……」

「えへへ……。ありがとね、狼さん……」

「あぁ……」


 そういって、二人は静かに笑顔を交わした。





 自分にとって簡単な事を、人は【 あたりまえ 】と呼ぶ。

 だが、人によっては、それが、とても難しいことがある。



 ──他の人が普通にできることも、中には、許されない者がいる。



 そんな【 普通 】な日々が送れなかった、少女の重い言葉が、

 灰夢の心の中に、体に染み渡るお湯の温もりと共に、浸透していた。


 今、横で普通に笑っている少女は、あと少し遅ければ、

 もし間に合わなければ、この世にいなかったかもしれない。


 しかし、少女は、そんな絶望の中にいたとは思えないくらい、

 明るく眩しい笑顔を、夜の空に輝く星のように、輝かせていた。





 灰夢が夜空を見つめながら、ゆっくりと口を開く。


「なぁ、桜夢……」

「……ん?」

「お前、学校に行ってみたいと思うか?」

「ん〜、どうかな……」

「……そうでもないか?」

「ちょっと、怖い気もするんだよね」


 そう答える桜夢は、どこか不安そうな表情をしていた。


「今度、言ノ葉たちの学校で、文化祭があるんだと……」

「……文化祭?」

「まぁ、学校の生徒たちが、外部の人間を招く祭りだな」

「へぇ〜、そんなのあるんだぁ……」


 文化祭を想像した桜夢が、羨ましそうに水面を見つめる。


「興味があるなら、一度見に行ってみるか?」

「──いいのっ!?」

「あぁ、言ノ葉と氷麗もいるしな。今度、聞いといてやるよ」

「やったぁ〜! 狼さん、ありがとぉ〜!」

「あっ、ちょ……おい、くっつくなっ!」

「えっへへ〜。狼さ〜ん、好いと〜よ〜っ!」

「はぁ……、ったく。面倒なガキを拾ったもんだ……」

「えっへへ〜っ!」


 無邪気に体に抱きついて、笑っている少女の姿を見て、

 面倒くさそうに見つめていた灰夢が、ふと何かに気づいた。


「桜夢、お前……」

「──ふぇっ?」


 その瞬間、灰夢が桜夢の身体を抱き寄せ、フニフニと触りだす。


「──えっ!? ちょ、狼さん?」

「…………」



( つ、ついに……。狼さんが、狼さんにっ! )



「…………」

「…………」



( ──あわ、あわわわわわわっ! )



 モチモチと体を触っている灰夢を見て、

 桜夢の思考が、どんどんと熱を帯びていく。


「綺麗になったな、桜夢……」

「……へ? あっ……ふぇ!?」

「体、あんなに傷だらけだったのによ」

「あ、あぁ〜、そっちね。うん、その……お陰様で、えへへ……」


 言葉の意味を理解した桜夢は、苦笑いをして誤魔化していた。


「よかった……。さすが、リリィの薬だ……」

「……狼さん?」

「跡が残ったら、どうすっかなって……。ずっと思っててな」

「なんで、そんなに……」

「ったりめぇだろ。年頃の女の子が、体に傷ついてたら嫌だろ?」

「それは、そうだけど……」


 灰夢が桜夢の体を見て、ホッとしたように微笑む。



























     「 ちゃんと綺麗に治って、本当によかった。


            それが俺の中で一番の、心残りだったんだ 」



























 そう灰夢が告げた途端、桜夢の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。


「……おお、が、み……ざん……」

「ちょ……おい、なんで泣いてんだよ。綺麗に治ったんだぞ?」

「だって、わた、わたじ……」

「ほら、また言葉がおかしくなってきてっから……」

「うわあぁあぁあぁあぁん……」

「ったく、傷の次に治すのは泣き虫か?」


「おおがみざぁん……」

「ははっ……。お前、いつもの自慢の可愛い顔が台無しになってんぞ?」

「おおがみざん。わだじ、じあわぜだよぉ……」

「わかったわかった、ちゃんと伝わってっから……」

「ありがどぉ、おおがみざぁん……。わだじ、だいずぎだよぉ……」

「へいへい、好きなだけ泣け……」

「ひっく、ひっく……」

「今だけは俺の体、お前のモノにしてやっから……」

「うわああぁぁああぁぁぁあぁん……」

「全く、これからも苦労がかかりそうだなぁ……」


 灰夢が呆れながらも、桜夢の頭を優しく撫でる。


「ありがどう、おおがみざん。わたじを助けでくれて……」

「もうそれ、何度も聞いたよ」

「何度も、何度でも言うよ」

「ったく、良い子なんだか、ワガママなんだか分かんねぇなぁ……」

「えへへ。大好きだよ、狼さん……」

「へいへい、ありがとさん……」


























      「 こんなワタシを、幸せにしてくれて、ありがとう 」



























 星空に照らされた、二人だけの幸せな空間は、


        どの星よりも美しく、まるで夢のように輝いていた。

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