第参話 【 凍てついた心 】

 灰夢は、珈琲を持って二階に上がると、

 自分の部屋の扉の前で、一度立ち止まる。





 そして、コンコンッと二回ノックをすると、中から返事が返ってきた。


「は〜いっ!」

「俺だ、入って大丈夫か?」

「大丈夫です。今、開けますね……」


 そういって、中から言ノ葉が扉を開ける。


「ありがとうです。お兄ちゃん……」

「……おう」


 部屋の中を見ると、着替えた格好でうつむいたままの少女がいた。


「あ〜、さっきは悪かったな」

「あっ、いえ……。こちらこそ、すいません……」

「わたしが、部屋を教えなかったのがいけないのです。ごめんなさい……」

「いえ、私が部屋を間違えたから……」


「まぁ、なんだ。珈琲入れたから、これでも飲んで落ち着いてくれ」

「……ありがとう、ございます」

「……珈琲、飲めるか?」

「……甘くすれば、大丈夫です」

「……そうか」


 そういって、灰夢は角砂糖を二つ入れて渡す。


「ほら……」

「…………」

「……どうした?」

「触られると、凍らせてしまうかもしれないので……」

「あぁ、そういうことか」


 灰夢がトレイに乗せて、珈琲をそのまま渡した。


「すいません、ありがとうございます。変態さん……」

「おい、呼び方……」


 会話の間も、少女の表情は一切変わらない。



( ……確かに、これは難題だな )



 それを冷静に観察しながら、灰夢が少女との距離を図る。


「俺は不死月しなづき 灰夢かいむだ。……よろしくな」

「……たちばな 氷麗つららと言います。よろしくお願いします」


 氷麗は自己紹介をすると、灰夢の姿をじーっと見つめていた。


「……なんだ?」

「いえ、あの……。さっき、大丈夫でしたか?」

「……ん? あぁ、扉が凍っただけだからな。怪我はしてねぇよ」

「そう、ですか。よかった……」

「一応は、心配してくれんだな」

「まぁ、変態さんでも、凍らせたら可哀想ですから……」

「可哀想とか思うなら、その呼び方も辞めてくれると嬉しいんだけどな」


 灰夢が冷めた瞳で見つめていると、そのまま氷麗は黙り込んだ。


「……で、何しに来たんだっけか?」

「氷麗ちゃんも忌能力いのうりょくしゃで困っていたので、力になれるかなって……」

「その忌能力ってのが、さっきの扉を凍らせたあれか」


 小さく俯いたまま、氷麗がコクッと頷く。


「嬢ちゃんは、意識しては使えるのか?」

「……嬢ちゃん?」

「……ん? 何か、気に触ったか?」

「あぁ、いえ……。少しなら、使えます……。普段は、抑えてますけど……」

「……そうか」


「ただ、感情が高ぶると、抑えられないくらい出てしまって……」

「あぁ〜、どこぞの双子と一緒だな」

「……双子?」

「いや、なんでもねぇ……」



( つまり、表情を殺してるのは、感情を抑えるためか )



 空気を変えようと、灰夢が言ノ葉に話を振る。


「この子とは、学校の友達なのか?」

「氷麗ちゃんとは、今年会ったばかりです」

「今年っつぅと、高校生からってことか」

「はい。ただ、あまり学校に来てなかったので……」

「その理由が、忌能力ってことか」

「…………」


 氷麗はうつむいたまま、言葉を発しない。

 そんな氷麗の様子を見て、灰夢が頭を悩ませる。


「てか、そんなんでよく、言ノ葉は嬢ちゃんをここに呼べたな」

「まぁ、なんと言うか。ちょっと強引だったというか……」


 言ノ葉が何かを誤魔化すように、灰夢から目を背ける。

 すると、氷麗が閉ざしていた口を、ゆっくり動かした。


「……この人、毎日うちに来るんです」

「……は?」

「『 クラス委員だから 』って、プリントを届けに来たりして……」

「……毎日?」

「はい。行かなかった日は、ほぼ毎日です」


「言ノ葉、お前……」

「いやぁ〜、なんと言うか、放っておけなくてですねぇ……」

「そりゃ、嫌でも存在感を感じるわな」


「だから、私が拒絶したんです」

「……拒絶?」

「はい。『 私に関わらないで 』と、何度も、何度も……」

「…………」

「そして、今日来た時は、手に触れられた事に驚いて、つい……」

「……つい?」

「私が言ノ葉さんを、凍らせてしまって……」


 その言葉を聞いた瞬間、灰夢が言ノ葉の方に振り返る。


「おい待て、言ノ葉……。お前、凍ったってのは?」

「手だけ、少しだけなのですよ?」

「それでもだ。大丈夫なのか?」

「はい。ちょっと言霊に頼っちゃいましたけど、すぐに治りました」

「……手、ちょっと見せてみろ」


 灰夢は言ノ葉の手を見ながら、状態を確かめていた。


「まぁ、特になんともねぇか」

「ごめんなさい、お兄ちゃん……」

「いや、悪気があった訳じゃないんだろうから、無事なら別にいい」


 落ち込む言ノ葉を慰めるように、灰夢が優しく頭を撫でる。


「その治したやり方が、また特別なものだったので……」

「少しは信じてみる気になった、ってところか……」


 コクっと、氷麗は首を一回縦に振った。


「まぁ、なんだ。聞いてる限り、まだ発現したばかりなんだろ?」

「中学一年の、冬頃からです……」

「だいたい、二年半くらいか」


「学校で友達と言い合いをした時に、机を凍らせてしまって……」

「……マジか」

「はい。なので、高校になる時に、逃げるように引っ越して来ました」

「なるほどな。そりゃ、苦労が多い人生だ……」

「…………」


 氷麗は再び暗い顔をして、静かにうつむく。


「家族は、それを知ってるのか?」

「いえ、実家は雪の多い地方の田舎町なので……」

「忌能力のことを言わずに、こっちまで出てきたのか?」

「はい。あまり、心配をかけたくなくて……」


 灰夢が珈琲を飲みながら、一人で俯き考える。





 頼れる者がいない、孤独な現実社会。

 受け入れてくれない、周囲の人間たち。


 それをわかった上で、一人、家を飛び出す勇気。

 自ら孤独に立ち向かおうとする、少女の心の強さ。


 それが逆に、少女の心を閉ざしているのだとしたら、

 言ノ葉は、彼女にとっての唯一の救いなのかもしれないと。





 灰夢は言ノ葉をクイクイと手で呼ぶと、耳元で囁いた。


「お前……。この後、この子をどうしてやるつもりなんだ?」

「いや、特にそこまで考えてなかったです」

「後先考えて無さすぎんだろっ!」

「だって、放っておけないじゃないですかっ!」


「まぁ、家から出したことは褒めてやる」

「わたしも昔救われたので、今度は、わたしがヒーローになる番なのです」

「……救われた?」

「あっ、いや……。なんでもないです、えへへっ……」


 言ノ葉が顔を赤くして、小さくなっていく。

 すると、不意に俯いていた氷麗が、口を開いた。


「言ノ葉さんも、変態さんも、私が怖くないんですか?」

「……ん? 俺は、別に……」

「わたしは初めビックリはしましたけど、今は大丈夫です」

「なんで、そこまでして……」

「なんだか、昔のわたしと同じ目をしていたので……」

「……昔の、言ノ葉さんと?」

「……はい」


 そういって、言ノ葉は小さく微笑む。


「私は、人を凍らせるかもしれないんですよ?」

「氷麗ちゃんは今まで、わたし以外に凍らせたことあるんですか?」

「……前に、一度だけ……」

「──えっ!? あるんですか?」

「前に、コンビニでバイトをしていた時に……」

「お客さんを、やっちゃったんですか?」

「おい、『 やっちゃった 』とか言うなよ」


 氷麗が手の震わせながら、トラウマを思い出すように答える。


「強盗に入られて、脅されて、必死に堪えてたんですけど……」

「……犯人を?」

「いえ……。私を庇ってくれた、お兄さんが居て……。その人を……」

「──えっ?」

「人質にされた時に、私の力が暴走してしまって……」

「…………」

「その時に、私を止めてくれたんですが……。その時に……」

「それは、お兄さん大ピンチなのですっ!」

「しかもその後、犯人が拳銃を持っていて……。お兄さんが撃たれて……」

「それじゃあ、そのお兄さんは……」

「でも、灰みたいなものを纏いながら、全身の傷を一瞬で治して……」

「……え?」

「駆け付けた警察官を前にしても、私を庇う為に悪役まで演じて……」

「それ、お兄ty……」



 ──その瞬間、灰夢が言ノ葉の口を抑えた。



「世の中、変わった人間も居たもんだな」

「その人に、お礼をしたかったんですけど……。居なくなってしまって……」

「まぁ、なんだ……。こう……。きっと、忙しかったんだろ」

「私が凍らせたのに、怒りもしないで……。笑って、助けてくれて……」

「治ったんなら、特に気にすることでもないんじゃねぇか?」

「それにその人も、物を凍らせることができる人みたいで……」


 言ノ葉が灰夢の手を退けて、再び会話に入る。


「……えっ? 傷が治るだけじゃないんですか?」

「はい。警察にも、まるで、自分が凍らせたように振舞っていて……」

「わたしたちの忌能力は、普通の人から見たら怖いですからね」

「あの人、凄く怖がられていました……」

「まぁ、傷を治した時点で、それは変わらねぇだろ」

「だからって、私のことまで庇わなくても……」


 それを聞いて、再び言ノ葉が灰夢の耳元で囁く。


「それ、絶対お兄ちゃんですよね?」

「いや、人違いだろ。俺は、ただの不死身だ……」

「人を庇うお人好しの不死身なんて、そうそうポンポンいないのですっ!」

「ここには、あと五人ぐらい似たようなのがいるけどな」


 灰夢が誤魔化そうと、言ノ葉から目を逸らす。


「お兄ちゃんの死術の中に、物を凍らせるのとかあるんじゃないですか?」

「ど〜だろ〜な〜、あった気もしなくもなくもないなぁ……」

「じーーーーーっ……」

「な、なんだよ……」


「お兄ちゃん。なんで、お面を取らないんですか?」

「外の人間には、顔を知られねぇ方がいいこともある」

「まぁ、目つきが悪いのは否定しませんが……」

「おい、一言多いぞ……」

「大丈夫です。それでも言ノ葉は、お兄ちゃんが大好きなのですよ?」

「いや、カバーになってねぇよ」


 コソコソ二人で話している間、氷麗が静かに周囲を見渡す。

 すると、ゲーム機と並んだカセットを見て、小さく呟いた。


「あっ、ス〇ブラ……」

「……ん?」

「あ、いえ、なんでもないです……」

「ゲーム、よくやるのか?」

「はい、部屋に引きこもっていることが多いので……」


「お兄ちゃんと一緒ですねっ!」

「おい、人をニートみたいに言うなよ」

「みんなと一緒に、よくここでやってるじゃないですか」

「お前らが、勝手に集まってくるだけだろ」

「変態さんは、人気者なんですね」

「この部屋にしかゲームがねぇから、集まってくるだけだ……」


 氷麗は何かを言いたそうなのを我慢して、再びうつむいた。

 それを見て、灰夢は何となく察し、提案を持ちかける。


「やりたきゃ、一緒にやってみるか?」

「でも……。私、すごく強いですよ?」

「お、おう。……それがどうした?」

「やられっぱなしだと、つまらないと思います」

「言うじゃねぇか、俺もそうそう負けねぇぞ?」


「お兄ちゃん、ほんとに強いですよ?」

「なら……。少し、やってみたいです」

「ハンデでも付けりゃ、ちょうどいいだろ」

「大丈夫です、本気で来てください」

「それは構わねぇが、泣かないでくれよ?」

「はい、大丈夫です……」


 そういうと、灰夢がゲームをセットして、バトルが始まった。


「おぉ、本当に強いな」

「変態さんも、なかなかですね」


 お面を付けた男と、ポーカーフェイスの少女の戦い。

 まるで、現実でも心理戦をしているような謎の空間。


 多少のダメージは入っても、勝ったのは灰夢だった。


「お兄ちゃん、やっぱり強いのです……」

「いや、俺がこんだけ喰らったんだ、この子も十分強い」

「もう、一回……」

「……え?」

「もう一回、お願いしますっ!」


 ゴゴゴゴッと、氷麗の後ろから見覚えのある冷気が漂っていた。

 表情は変わらずとも、負けず嫌いなのがヒシヒシと伝わってくる。


「おい。なんか、雪女みたいになってんぞ……」

「今、知りました。私、負けず嫌いみたいです」

「なんで、こんな所で、新しい自分を見つけてんだよ」

「オンラインとかだと、ほとんど負けることないので……」

「ゲームや賭け事なら、友達とかと色々やるだろ」

「私、友達いないので……」



( なんか、聞かなきゃ良かった黒歴史を引っ張っちまった )



 氷麗が表情を一切変えずに、灰夢にグイグイと迫り圧力をかける。


「もう一戦、お願いしますっ!」

「あ、あぁ……。まぁ、別にいいけどよ……」


 その時、氷麗が異変に気づいた──


「……あれ?」

「……どうした?」


 灰夢が氷麗の手元を見ると、コントローラーが凍っていた。


「あっ、その……。ごめんなさい。私……」

「落ち着け、大丈夫だから……」


 そんな何気ない灰夢の言葉で、氷麗のコンビニの時の記憶が蘇る。


「お兄さん、もしかして……」

「……ん?」

「あっ……。いえ、なんでも……」

「……? こっち使え……」


 氷麗の反応に疑問を抱きながらも、灰夢が別のコントローラーを渡す。


「その、弁償を……」

「別にいい、あとで作り直す」

「……作り直す?」

「修理とリサイクルの達人がいるんだ。だから、すぐに直る」

「そうですか、すいません……」

「気にすんな、わざとじゃねぇのは知ってる」

「…………」


 氷麗の不安そうな表情を見て、灰夢が言ノ葉に呼びかける。


「言ノ葉……。少しの間の忌能力が出ないよう、言霊を使ってやれ」

「──えっ!? そんなこと出来ますかね」

「むしろ、言霊に出来ねぇことがあんのか?」

「た、試してみますね……」


 そういって、言ノ葉が再び言葉に意志を込める。



『 この部屋を出るまで、凍らせないでください 』



「……どうですかね?」

「……大丈夫な気がします」

「とりあえず、試してみるか」


 そういって、再び対戦が始まった──


 そして、二回戦目も、ブレることなく灰夢が勝利を収める。

 試合が終わった時、コントローラーは凍っていなかった。


「……大丈夫そうだな」

「……もう一回です」

「……え?」

「もう一回、お願いしますっ!」


 プルプルと震えながら、少し潤んだ瞳で氷麗が告げる。


「お前、泣いてないか?」

「な、泣いてません……」

「はぁ……。わかった、気が済むまでかかってこい」



 そこから二時間以上、何度も激戦が繰り広げられた。

 負けては戦い方を変えて、必死に氷麗が挑み続ける。


 そして、三十回戦目が終わった時だった──



「凄い、お兄ちゃんに勝ったのです……」

「やっっったぁーっ!!」


 氷麗は満面の笑みで、盛大に喜んでいた。


「楽しめたようで、何よりだ……」

「──はっ! す、すいません……」


 顔を真っ赤にして、氷麗が小さくなる。


「いやぁ、負けちまったかぁ……」

「お兄ちゃんも、ゲームの中だと死ぬんですね」

「いや、あたりまえだろ」


「……?」


 氷麗が二人の謎の会話に、小さく首を傾げる。

 すると、部屋の扉をクマのぬいぐるみが開けた。


「──キュゥッ!」

「あっ、お風呂の準備ができたみたいですね」

「……な、なんですか? あれ……」


 氷麗が表情を変えずに、ぬいぐるみを見て呟く。


「見ての通り、クマのぬいぐるみだ」

「なんで、動いてるんですか?」

「半分がロボットなんだ。まぁ、うちの世話係だと思ってくれ」

「……そ、そうですか」


 すると、言ノ葉と氷麗がそっと立ち上がった。


「お兄ちゃん、お風呂に行ってきますねっ!」

「あぁ、ゆっくり温まってこい」


「変態さん、今度は覗かないでくださいね」

「なんで、さっきも覗き目的みたいになってるんだよ」

「男の人は、みんな狼なので……」

「まぁ、狼なのは否定はしねぇが……」

「……してくださいよ」


 氷麗はそう言いながら、歩いて言ノ葉の後を追う。

 すると、不意に出口で足を止め、灰夢に語り掛けた。


「あの、変態さん……」

「……ん? 今度はなんだ?」



























       「 また、一緒にやってくれますか? 」



























 氷麗はそう聞いて、立ち止まっていた。


「……あぁ、いつでも遊びに来い」

「……ありがとうございます」


 そう答えると、氷麗は部屋から出ていった。





 氷麗は灰夢に背中を向けながら、静かに微笑んでいた。

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