廃道のマーブルチョコレート

六腑

第1話 店主は悩んでいるようだ


「おおーいアルド!」

「んっ?」


 前方から呼ばれてアルドは一瞬足をとめそうになったが、その必要もないかと思いなおした。


 ここはエルジオン・シータ区画。


 武器用素材をイシャール堂に預けようと向かっていたところ、通りの正面からまさにそのイシャール堂の店主が歩いて来たという奇遇な状況になったのだ。


 畳んだ空箱らしきものを抱えている。

 仕事で外出の用でもあったのだろうが

なぜか彼はアルドを見つけたとたん

––––アルドに向かってか店に向かってかは分からないが––––走り出した。


 どうしたんだろうと胸騒ぎめいた違和感を覚えつつ、ちょうど店の前で合流できたザオルに改めて挨拶をする。


「よお親父さん! 今日は新しい素材を持っ」

「アルド、聞いてくれ! たっての頼みがあるんだ!」

「えっ、頼み?」


 ずん! と一歩乗り出すようにされたので、逞しい体躯と豪快さの滲み出る顔面も

 ずん! と近付いて来る。

 反射的に一歩下がってしまったものの、その時ハッと気が付いた。さっき違和感を覚えた理由のひとつにだ。


 普段のザオルなら親しい者に会えばその日に焼けた顔でニカッと笑ってくれるのに、

 さっきアルドに呼びかけた瞬間から今までずっと真顔なのだ。

 頼みがあると言ったその表情と声は切実で、アルドも思わず真顔になった。


 彼はアルド自身も世話になっている武器屋の店主であり、何より旅の仲間にとっての大切な家族。

 アルドにとってのじぃちゃんやフィーネと同じだ。

 そのザオルが、なにか困っているらしい。


『人助け癖』『底抜けのお人好し』と皮肉られがちなアルドのなにかが、全力で発動した。






======







 イシャール堂 店内。


 ちょっと雑務だけ終わらせてくると言って、ザオルは店の奥に入って行った。


 待っている間、アルドはずらりと陳列された装備を眺めていた。

 上質な装備は見ているだけでも楽しい。

 特にイシャール堂はまめに新作が追加されるので、いつ来てもあれこれ見て試したくなってしまう。


 いつもカウンターにいる男性店員が、試したいものがあれば言ってくださいねと微笑んでくれた。彼ともすっかり顔馴染みだ。


 ちなみに店内のひときわ目立つ場所には、大きな板のようなものが掲示されている。

 もっとも板という呼び方ではなかった気がする。エルジオンにはよくある、絵が目まぐるしく動いたり喋ったりする広告看板だ。


 装備を紹介する文言の横、ひときわ大きく描かれている人物絵はアルドもよく知る旅の仲間こと『イシャール堂の看板娘』の姿である。


 なぜ装備の絵より彼女の絵の方が大きいのかは、ちょっと分からない。


 たしかこの時代のこういう絵は「しゃしん」というのだったか。

 以前来た時とは別の「しゃしん」に変わっているようだ。

「しゃしん」の彼女の構え方がまったく別物なのですぐ分かる。さすがに構えの違いに気付けなかったら剣士失格だ。


 確かその看板娘本人は、宣伝のために勝手に「しゃしん」を使われてしまうとかなんとか、ぼやいていたような。

 まめに新作が追加されるのは装備だけではないらしい。




「よぉ、待たせちまったな」


 店の奥の扉がプシュッと音を立てて開き、ザオルが戻ってきた。


「ああ、いやいや。新作の棚を見てたよ。あれ軽くていいなぁ」

「だろぉ? 素材と素材の化学反応を上手く利用してな、ダントツの軽量化に大成功! ってなもんよ!」


 話しながら紙製のコップを差し出される。飲み物を持ってきてくれたらしい。礼を言ってありがたく飲ませてもらうことにした。


「で、親父さん、頼みって?」

「しばらく俺を見張ってて欲しいんだよ」

「見張る? 親父さんを?」

「正確には俺や店の周辺を、だな」

「それは身辺警護ってことでいいのか?」

「うーん。なんと言っていいのか……」


 ザオルは歯切れ悪く語尾を濁しながら、困惑気味の表情で髭の生えた顎を撫でる。

 アルドは先を促す意味で黙って続きを待った。カウンターの店員もなんだか心配げに、そっとこちらを伺っていた。


「……二週間くらい前から、俺を監視してるヤツがいると思う」

「え!」

「あー本当に二週間前からなのかどうかは分からねぇか。俺が気付き始めたのが二週間前って意味な」

「気配とか、視線を感じるってことか?」

「それもあるし多分、尾行されてる時がある」

「なっ!? 大変じゃないか!」


 アルドは仰天した。ザオルも頷いて、困ってるんだよとぼやく。


「一度だけ俺自身が気付いて追いかけようとしたことはあるんだが、まぁ当然『見られてるこっちが気付いた』ことには『見てる向こうも気付く』訳でな。しかもこっちはちょうどでかい資材を運んでた。逃げられちまったよ」

「逃げるってことは、そいつにとって見つかるのはまずいことなんだよな……どんなヤツだったかは見えたか?」

「ぅううーん、そうさなぁ」


 ザオルが唸りながら腕を組む。できるだけ細かく思い出そうとしているのだろう。アルドもなかばつられて腕を組んだ。


「フードのある服で顔は見えなかったが、動き方でなんとなく男じゃないかっていう印象は受けた。でもすまん、正直自信がねぇ。男にしちゃ細身すぎた気もするんでよ」

「怪しいヤツがいることは確定で、でも正体も目的も分からない……」

「そういうことだ」


 とっさにアルドの頭をよぎったのは、計画的な空き巣や強盗だ。

 イシャール堂の装備は換金目的にせよ使用するにせよ有用で、価値が高い。

とはいえ––––


 アルドは自分で考えたことを自分で打ち消した。今の発想はおそらく、この時代の人間の感覚ではないと思ったからだ。


「なぁ親父さん、あのドローン達って24時間、常にいるんだよな?」


 アルドは天井方向を指さした。

 厳密には店の外を。つまりエルジオン全体の上方の話だ。


「当たりめぇよ!」

とザオルが強く頷く。


 そう。この空中都市は、防犯技術もとてつもなく高い。

 ふよふよと空を飛ぶドローン達もその一部だ。

 あれは形は違えどバルオキー警備隊やユニガン警備兵と同じ存在なので、アルドでも覚えやすかった。


 人間からは視界に入らない高度にいるが、あちらはじっと街を見下ろしている。

 ひとたび異常を察すれば、瞬時に駆けつけ容赦なく牙を剥く。


 しかもここはシータ区画である。

 さまざまな店や企業が自信を持って売り出す数多の価値が、ずらりと並んだ商業区だ。

 ドローン以外にもそれはもう厳重な仕掛けがあることくらい、アルドにも想像はついた。


 シータ区画で強盗や空き巣のような犯罪を時間をかけて計画したとして、成功率が低過ぎて割に合わない。


「……まったくよぉ。正面切って喧嘩しにきてくれるなら、返り討ちにするなり引っ捕まえてGDPDに突き出すなり、どうとでもしてやるんだが」


 ため息をつくザオルはどこか萎んでしまったようにも見えて、参っているのが伝わってきた。


「目的も正体もわからねぇってのは、気持ち悪くて仕方ねぇよ。でもだからって俺が逃げたり隠れたりする筋合いもねぇ」

「……そうだよな」


 どうにか力になりたい。アルドはぐっと奥歯を噛んだ。


「まずは何日か、店の外から様子を見ててみるよ」

「引き受けてくれるのか!」

「当たり前じゃないか! 絶対に尻尾を掴んでやるからな!」


 ザオルはいくらかほっとした表情で、やっといつもと同じ笑顔を浮かべた。

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