冬と鍋と雪女

蒼狗

冬と鍋と雪女

 衝動に駆られて刹那的に動く。そういうことはろくな結果にならないと身を持って知っているはずだった。

 だが人間というものは愚かなもので、知っているからといってやらないとは限らないものなのだ。

 たとえば仕事の独立を機に、生まれた地元とも就職した都会とも違う場所へ引っ越したりすること。憧れていたという理由で雪国にも関わらずバイクを購入すること。そして、パソコンやスマホの使い方を教えるのを通じて地元の人とやっと仲良くなり、良質な肉や野菜をもらい、鍋が食べたいからと吹雪の中を歩いて土鍋と足りない食材を買いに行くという行為は愚かさしかなかった。

 買ったものがバックパックに全て入ったからまだ良かっただろう。これが手に持つ種類なら指先が凍っていた。肩に掛ける種類ならずり落ちてくる鞄を戻す行為でいらない動きが増えて凍っていた。

 鞄の中の土鍋と食材の重さを感じながら、積もりに積もった雪を踏みしめて歩いていく。

 生まれ故郷も雪はそれなりに降るがここまでの積雪はなかった。

 仲良くなった地元の人から、冬用の靴は持っていた方がいい、と言われ買っていたのがせめてもの救いだ。雪の冷たさが足先まで伝わってこない。ズボンは雪でどんどん冷たくなり悲惨なことになっているが。

「……すみません」

 体についた雪を払ってもいつの間にかまた雪がついている。ポケットから手を出すのも嫌になってきた。

「……すみません」

 風の音だけが聞こえる世界で耳がおかしくなりそうだ。寒さでニット帽の下にしまった耳がとれ、そのまま風で飛んで行っていまいそうなくらい風も強い。

「すみません」

 突然肩を掴まれ、思わず振り向く。

 誰もいないかと一瞬だけ思ったが、たしかにそこに人がいた。

 頭の先からつま先に至るまで全てが透き通るような白色の女性。髪も、肌も、時代を感じる着物も全てが白一色。唯一、輝くような黄金色の瞳だけが白と黒のこの世界で色を持っていた。

 幼い頃に読んだ絵本の中に出てくる雪女という妖怪が現実に居れば、こんな感じなのだろうか。

「すみません、そこの山にきた雪女なのですが」

「……はぁ、雪女ですか」

 寒さで頭が働かず、額面通りの言葉を受け入れてしまった。

「雪女の方が私にどのような用でしょうか」

 寒さ、そしてとっさにでるビジネス用の口が恐ろしく冷静な対応をしてくれた。

「あ、あの……」

 雪女と名乗ったその女性が話すが、よく聞き取れない。よく見ると手は腋の下に挟まれ、体は縮こまり、体はがたがたと震えている。

「ど、どうか、あなた様の、家で、暖をとらせては、いただけない、でしょうか」

 振り絞るような声で雪女は懇願する。同じような寒さを耐える姿勢をとっていた私たちの間に、しばらくの沈黙が訪れた。




 風除室を考えた人は天才だと思う。石油ストーブも床暖房も、暖をとるためのものを考えた人は天才だろう。

 雪を払って暖かい室内にはいると、雪国で過ごすための道具たちに感謝の念しかわかない。

「暖かい……生き返る……」

 もっともそれは人間だけではなく雪女も同じのようだ。

 暖かい空気に触れ、頭もだんだんと働くようになってきた。

「雪女って寒さに強いんじゃないのか?」

 ストーブの前で暖をとる彼女に問いかけると、手をストーブに向けたまま顔をこちらに向ける。

「昔はそうでしたが、代を重ねるごとにどんどん力が弱くなっているんです。数世代前の雪女であれば居るだけで吹雪を起こしたり凍らせたりする事ができたらしいですけど、私は居ても雪の日が少し増えるくらいしか力がないんです」

 なるほど、と思いつつも少しだけ疑問が沸く。

「じゃあ人間と何も変わらないんじゃないか?」

 もしかして自分は今、雪女を名乗る不審者を家に上げているのではないだろうか。そんな考えが頭をよぎる。

 そもそも雪女だろうが人間だろうが、見ず知らずの者を家に上げるべきではないのだろう。だがしかし、この土地で過ごした数カ月が私に諦めと許容を与えたのだ。田舎の人間は距離感がおかしいということが。

「ほぼ変わらない……と思いますけど、でもやっぱり明確に違いますね」

 そう言って彼女は手をこちらに差し出す。差し出された手に触れると氷のように冷たかった。いくら寒いといっても人間の持つ体温ではなかった。

「私たちは血が通っていません。雪女と人間の皆さんは呼びますが、本質的には冬に現れる精霊と言った方がいいのかもしれないですね」

 自分が民族学やそっち方面の専門であれば彼女の話は興味をそそられる話しなのだろう。だが私は違う。

 私は彼女の話を半分聞きながら鍋の準備を始める。

 出汁を取ったほうがいい、と言われたがそんな時間をとるよりも早く食べたい。ガスコンロの上に土鍋をセットして出来合いのスープを入れる。

 沸騰するのを待つ間にもらった野菜や買ってきた豆腐など食べやすいサイズに切る。

 彼女はストーブへ体を向けたままずっと話している。

 沸騰したのを確認して野菜を投入する。多すぎたかと思ったが、どうせ水分が出てかさも減るだろう。

 廊下に置いていた貰い物の牛肉と鶏肉を持ってくる。秋先にバーベキューだということで焼いた物をそれぞれ食べたが、今まで食べたことがないほど美味しかった。これなら鍋にしても美味しいことだろう。

 ようやく暖まったのか彼女がこちらを向いた。

「話を聞いてた?」

 いつの間にか砕けた口調になっている。こちらとしてはただ適当に相づちを打っていただけなのだが。

「何をしているの?」

 興味を示した彼女は膝立ちでテーブルに近づいてくる。しっかりとストーブに一番近い場所を維持したまま。

「鍋だよ。具材を入れるだけで出来上がる簡単なものだけど、食べると体の芯まで暖まる最高の料理だ」

 鍋の蓋を上げると湯気が一気に吹き出す。程良くしなり色味がより鮮やかになった野菜。鶏肉もほろほろと崩れそうな程柔らかくなっている。

 牛肉を入れつつ食べ頃な部分を器によそい、彼女に差し出す。

 ふと、雪女という存在に熱いものを渡すのはどうなのだろうかと思ったが、自分から器を手に取ったところを見ると特に問題はないのだろう。

「……」

 まじまじと器と鍋を見る彼女をよそに、私も鍋の中身をよそう。くたっとした葉物から滴るスープが空腹も相まって食欲をそそる。

「いただきます」

 私が手を合わせると、彼女も同じような仕草をして箸を持ち上げる。どうやら箸の使い方は知っているようだ。

 少しでも冷めないうちに一気に口に運ぶ。

 野菜と肉、そしてスープのうまみが口の中に広がる。葉物の繊維を噛みしめるのが、鶏肉のほろほろとした触感を楽しむのが、豆腐が舌で崩れるのが、全てが鍋の醍醐味だ。

 すぐに火の通った牛肉を取り出し、これも冷めないうちに急いで食べる。舌にからみつくような味が絶品だった。

 一通りの具を食べ終え、ふと彼女の方を見ると、たっぷりとよそった器は空になっていた。

「暖かくて美味しいねこれ」

 笑顔を向ける彼女の頬は、ほんのりと赤くなっていた。その表情に一瞬だけ心が揺らいでしまった。

「そろそろ行くね」

 二杯目をとろうとお玉に手を伸ばすと、彼女は立ち上がった。

 気のせいだろうか。白かった着物がほんのりと色味を帯びているように見える。

 玄関へまっすぐ進む彼女の後ろを、鍋の火を弱めてからあわててついて行く。

「寒いならもう少し食べていったらどうだ」

「十分に暖まったからもういいや。それに」

 少し古めかしい靴を履くと、彼女は振り返った。

「寒くなったらまた暖を取りに来るから、そのときにまたお願いね」

 いたずらっぽく笑い、玄関の扉を開ける。

 靴に足をつっこんで外へ出ると、吹雪はやんでいた。

 いつの間にか顔を出していた日の光が、辺り一面の白面をまばゆい光で輝かせていた。

 私はほっとしたような、すこし残念なような気持ちを胸にしまい、家の中へ入った。

 鍋を食べ終えたら雪かきをしなければいけない。

 次に来たときは、どんなもので暖めて上げようか。

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冬と鍋と雪女 蒼狗 @terminarxxxx

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