第二話 人間じゃない(4/5)

「俺は冒険者時代、槍使いでな。今も魔物を狩るときには槍をメインに使っている。それと火の魔術が得意だったから『炎槍』のライガードと呼ばれておった。とはいえ火の魔術を使える人間は珍しくない。なぜなら」

「知ってる知ってる。基礎魔術だからでしょ。勉強すれば使えるようになる魔術」


 ココロが話に割り込んで答える。

 本を読んでいるだけあってココロは魔術に詳しい。


「そうだ。基礎魔術は四つ。一つは身体能力を向上させる、強化魔術。これは大なり小なりすべての人間が無意識に使っている。高度にコントロールするには技術がいるが習得自体は容易だ。二つ目は治癒魔術。君のおばあちゃん……失礼、ババアの得意な魔術だ」

「失礼って、おかしくない?」


 ココロが指摘するも、ライガードは何事もなかったかのように話を続ける。


「治癒魔術にも種類がある。自然治癒力を高めるものや毒素を消すもの、病を治すもの。術師によって得手不得手があるが、ババアはすごい。俺も長く旅をして多くの術師を見てきたが、その中でも二番目の使い手だ。ほとんどなんでも治してくれる。こんな辺鄙な村にいていいババアじゃない」

「おばあちゃん、そんなにすごかったんだ」


 身内が褒められてココロは誇らしげだ。

 ココロの父親と母親は魔術が苦手だと聞いたことがある。

 魔術の先生であるサキに対しては両親へ向けるものとは違った尊敬の気持ちがあるようだ。


「三つ目と四つ目は熱気の魔術と冷気の魔術。体内の魔素を熱や冷気に変換する。これも訓練次第で使えるようになるが、ほとんどの人間は片方しか覚えられない。右利きと左利きみたいなもんで、両方使えたら天才肌だな。以上の四種は生きる上で有用なんで、古くから優先的に研究されてきた。おかげで現在では習得の方法が確立されている。それをこの国では基礎魔術と呼ぶようになった」


 ライガードの話はなかなか興味深い。

 しかし気になる点もある。

 ポークは疑問をぶつけた。


「強化と治癒はわかるよ。魔物から身を守ったり治したりで昔から必要とされてきただろうし。でも熱気や冷気ってあんまり生きる上で使い道がないような気がする」

「いい質問だ。たしかに熱気や冷気の魔術は温度を操るだけだが、うまく使えば火や水を創り出すことができるんだ。人間にとって火や水は欠かせないものだろう?」


 火は体温の保護や調理に、水はそのまま生きるために必要だ。

「なるほど」と納得するとライガードは続きを話す。


「話が長くなっちまったが俺は強化と火の魔術を併用して超高温の槍を作り出せる。魔物退治なんかにはそこそこ便利だが魔術は本来、生活を豊かにするために使うべきものだ。たとえばそう、こういうときに」

「どういうとき?」

「洗濯物を早く乾かしたいとき」


 急に話が家庭的になった。

 ライガードは焚き火にあたるような手つきを洗濯物に向けた。

 手に魔素を込めたのだろうか、元々太い腕の血管がさらにくっきりと浮いている。


「これが基礎魔術、熱気だ」


 並べられた洗濯物から透明な湯気が上がった。

 この炎天下で湯気である。

 よほどの高温なのだろう。


「よし、どうだ、乾いたぞ。触ってみろ」


 しばらくしてライガードは手を下ろした。

 ポークは洗濯物に触ってみる。


「激熱ぅ!」


 ぐつぐつに煮込んで柔らかくなった玉ねぎが皮膚に張りついたときくらい熱い。

 何せまだ湿っている。


「あんま乾いてねーよこれ」

「風がもうちょっと吹けばなぁ。熱気だけじゃどうにも」

「意味ねーじゃん」

「あと二、三回やれば乾くさ。どうだ、魔術は便利だろう」

「実感沸かねぇなぁ」


 ちょっと早く洗濯物が乾く魔術。

 便利ではあるが活躍の場が多いとは思えない。

 しかしココロは興味を持ったようだ。


「ねぇねぇ、その魔術を使えば、靴もすぐ乾く?」

「ん、ああ」


 ココロは熱気魔術を受けた靴を指で触り温度を確かめている。

 靴は服よりも乾きにくい。

 外気にさらすだけでは水分が飛ばず、簡単にカビが生える。

 服はともかく、靴がすぐに乾くのであればたしかに便利な魔術といえるかもしれない。


「じゃあさ、あたしの靴も洗っていい?」

「かまわんがそれを洗うとなるとしばらく裸足だぞ。この辺りの石は熱い。火傷するぞ」

「川で遊ぶからいいもん。靴なんて洗ったことなかったから、綺麗になればいいな」

「いつから履いているんだ」

「一年とちょっと」

「一年!」


 ココロは太ももまである布と革のブーツを履いている。

 靴は高価なためこの辺りでは複数持っている者は少ない。

 補修しながら使い潰すのだ。

 だからこそ普通は定期的に洗う。


 病は足元からやってくる。

 日常的に接地している唯一の部位であり、物を踏んだり長く歩いたりするだけで容易に傷つく。

 さらに厚い革で密閉されているため、病原菌が繁殖しやすいのだ。

 ライガードの実体験から足の病の悲惨さを教えられたポークは、年に五回は綺麗に洗って天日干ししている。

 一年もの間洗わないなんて考えられない。


「じゃあ洗ってくるね」

「臭そう」

「あんたと一緒にしないでよ」

「だって一年だぞ。そんなに熟成させてどうすんだ。葡萄酒じゃねぇんだぞ」

「あんたなんかお腹の中が腐ってるじゃない!」


 ココロが腕を振り上げたのでポークは頭を隠した。

 その様子を見たココロは「まったく」と攻撃を止め、靴を脱ぐ。

 ポークはさりげなくココロの足に目をやった。

 ところどころ皮が剥けていて、親指の腹がぷっくらと水ぶくれしている。

 これは。


「病気だろ」

「病気じゃない!」

「すげー臭そう」

「うるさい!」


 舞踏のような美しいハイキックだ。ココロの脚は弧を描きポークの顔面に決まる。

 ポークのトレードマークである豚っ鼻にココロの水ぶくれした親指が突っ込まれる。


「ピギィィィィィィィィ!」


 ポークは鳴いた。

 鼻から脳天に危険信号が突き抜ける。

 痛みではない、臭みだ。

 人間の出汁を鍋で万倍に煮詰めたらこんなにおいになるだろう。

 嗅覚を殺しにきている。

 ポークは悶絶して石の上を転がりながら、両指を鼻に突っ込んで掻き出した。

 何もない。

 だが掻き出した。


「ちょ、鼻くそ飛ばさないでって」


 ポークが仕返しに鼻くそを飛ばしていると思っているようだ。

 己の持つ凶器に自覚がなさすぎる。

 ポークは川で鼻の穴を洗った。

 皮膚をこそぎ落とすつもりで爪を立てた。


「マジで、お前さぁ」

「ちょっと蹴ったくらいでうるさい」

「お前、マジで、お前、お前、マジで。もうやだ、ライガード診てくれ。こいつの足おかしいぞ」


 もう怒るのも疲れた。

 ライガードに押しつける形で人間凶器から距離をとった。


「すまん。ちょっと足を見せてくれ」

「いいけど、病気じゃないよ」


 ココロは大きな岩に座り、足をぶらつかせた。ライガードが屈んで診察する。


「これは水虫だな。いや、水虫なんだが。あまりにも、おーう」

「えっ、病気なの?」

「ああ、水虫はババアに相談してみろ。たぶん治る。でも普通、水虫程度じゃここまでにならん」

「ここまでってなに?」

「その、あれだ。いい勝負なんだ。ポークの屁と。ずばり、足が臭い。尋常じゃないぞ。村一番だな」

「う、嘘。そんなはずない!」


 ライガードが無念そうに首を振った。

 そして自分の顔を指さした。

 目が充血して腫れている。

 涙が一粒、零れ落ちた。

 ポークの屁を嗅いだときと同じ現象である。


「嘘だぁぁぁぁ!」


 ココロの叫びは水音に消えていった。

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