第二話 人間じゃない(1/5)

 ポーク・カリーはひとりっ子である。


 家族と呼べる人は二人だけ。

 母親のポニータと育ての親ライガードだ。

 ポークを含めた三人家族で雑貨屋ウゴウゴを営んでいる。

 ポークを毛嫌いする客もたまに来るが概ね今の生活に満足していた。


 豚そっくりだといわれる自分の容姿も決して嫌いではない。

 個性的でかっこいいわとポニータが褒めてくれたからだ。

 それが嘘でもかまわなかった。

 愛されていると実感できたから。

 一方でポークの容姿を悪口の種にする者もいる。


「豚が二足歩行してんじゃねぇよ」


 ライチェ村に引っ越してきたナマハムは初対面でそう言い放った。

 ポークはそのとき初めて村の外の視線を受けたのだ。

 その場でポニータが短剣を突きつけ笑顔で威嚇したため、以来ナマハムはウゴウゴに来なくなった。

 その日の夜、ライガードからアルノマについて教わった。

 魔素の異常、外見的な違い、ハンディキャップ。

 それはまだ幼いポークにとってあまりにも残酷な事実だった。

 それからポークは家族以外の人間との接触をなるべく避けるようになった。


 疑心暗鬼になったのだ。

 ウゴウゴにくる客はみんなポークによくしてくれた。

 世間話をして、大きくなったらうちに来いと仕事にも誘ってくれた。

 彼らが内心どんな気持ちで自分に接していたのか考えると不安になってしまった。

 ポニータやライガードが近くにいるからポークを無視できなかっただけかもしれない。

 思い起こせばポークにだけ愛想の悪い客もいた。

 考えれば考えるほど怖くなっていき、なるべく家族とだけ過ごそうとポークは決めた。


 しかし変化は訪れた。

 同じ村に住む少女ココロ・マックローネが大人ぶって文字の読み書きを教えに来るようになったのだ。

 たしかにポークは以前から読み書きを覚えたいと思っていた。

 いつもライガードが店の売上や仕入れた物品を書類にまとめているが、ポークにはそれが読めないのだ。

 今後店の仕事を覚えていく上で読み書きと計算のスキルは必須である。

 けれどもどうせ覚えなければいけないならばココロでなくライガードから教わりたかった。

 理由は明確である。


 ポークはココロが嫌いだった。


 ココロはすぐに手を出す。

 勉強を始めたばかりの頃は口喧嘩で負けそうになる度に肩を殴られたものだが、十日もすると暴力への抵抗が薄れたのか勉強中に文字を読み間違えたくらいで脛を蹴られるようになった。

 暴力を振るってはいけないとライガードから厳しく言われているため、ポークは悪口でしか反撃できない。

 そのせいか「ブス」の他にも「馬鹿」「ゴミ」「弱虫」と悪口のレパートリーが増えた。

 ココロの吐いた言葉を覚えたのである。


 一緒に勉強するようになって五十日以上が経つが、ココロの粗暴な性格は改善する兆しがみえなかった。



 夏のライチェ村は湿度が高い。

 村の家屋の大半は修繕の利く木造建築なので換気が楽にできるように出窓が取りつけられており、この時期は開けっ放しにしていることが多い。

 雑貨屋ウゴウゴも例に漏れず窓全開、入り口全開、裏口全開で営業しているため、外から店内が丸見えだった。


 ライガードが座る店主用の机の奥、裏口近くにある木製の長机にポークは突っ伏していた。

 眠気ではない。

 疲れでもない。

 暑くて溶けたのだ。

 毛穴から吹き出たものか空気中の水気がついたのかわからないが、腕がぽつぽつと濡れている。

 このままの気温が続くならば床に水たまりができるだろう。


「あら蒸し豚じゃない。本に書いてあったやつね」


 聞き覚えのある声がしたので顔を上げた。

 肩にかかるくらいの黒髪がばさばさと揺れている。

 ココロが自分の顔を薄い木の板で扇いでいるのだ。


「来ちゃったか……」

「あんたに読み書き教えるために来てあげてるのに!」

「蒸し豚ってなんだよ」

「東のほうでは豚を丸ごと蒸して食べるんだって。今のあんたみたいね」


 ココロが隣の椅子に座った。

 ここで読み書きを教える報酬としてたくさんの本を読んでいるせいか、ちょくちょく知識をひけらかしてくる


「食えるもんなら食ってみろよ」

「どうしたの、元気ないじゃん。いつもならブスブス言って泣くくせに」

「暑いんだよ。喋るの疲れるからほら始めるぞ」


 ココロが持ってきた『文字を覚える本』を机の上に開いた。

 文字の形状と読み方は何度も繰り返し声に出しているうちに自然と覚え、二十日も経たず簡単な文章であれば読めるようになった。

 書きは読みよりも難しく、単語のスペルがなかなか頭に浮かんでこない。

 そのため最近は書くほうを重点的に勉強している。


 ポークは薄い木片を机に乗せた。

 紙はったいないのでかまどの燃料に書いて練習するのだ。

 ポークは羽根ペンをインクに浸す。


「じゃあこれからあたしの話したことを文章にしてみて」

「うん」


 ココロは嫌いだが勉強は好きだ。

 知識の幅が広がるとライガードが褒めてくれる。


「私はペンを持っている」

「私は……ペンを……持っている……」


 復唱しながら木片にインクを刻んでいく。

 ココロがペンを目で追っている。


「あなたはとても美人です」

「あなたは……とても……美人です……」

「私はあなたに尽くします」

「私は……あなたに……尽くします……」


 なぜか満足気に微笑むココロ。

 合っているようなので続ける。


「冷たい水が飲みたい」

「冷たい……水が……飲みたい」

「水のスペルが間違ってる」

「水の……スペルが……何?」


 ココロがペンをとりポークの書いた文章を訂正した。

 単語にはたまに発音しない文字を加えることがある。

 文章のルールは不明確で難しい。

 なぜという疑問が通用せず、そういうものだからと納得しなければならない。


「あんた死んだよ」

「は?」


 ココロが唐突に物騒なことを言い出した。

 眉間にしわを寄せて睨んでくる。


「考えてみて。もし喉が渇いて死にそうなとき、水を持ってる人に会ったとする。水のスペルが書けなかったらどうなるの。……死ぬんだよ」


 どうだといわんばかりに腕を組むココロ。


「いや水くれって言うし」

「喉カラカラなの! 喋れないの! 常識でしょそんなの!」

「えっ……ええ……痛っ!」


 ポークが指摘すると機嫌が悪くなったのか肩を殴ってきた。

 理不尽な暴力である。


「まったく屁理屈ばっかりなんだから。あたしは真剣味が足りないっていいたいの。読み書きって村を出たら絶対必要になるんだから。あんた、将来の夢とかあるの?」

「夢ってなんだ」

「どこかに行ってみたいとか、どんな仕事がしたいとかそういうの。こうなりたいっていう未来の自分よ」

「未来の自分……」


 ポークはアルノマである。

 ナマハムやアブリハムのように悪意をぶつけてくる人間がいるかと思うと、村を出るなんて考えられない。

 この村でできる仕事……雑貨屋ウゴウゴを継ぐか、森林の伐採、運搬、加工の仕事に就くかである。

 未来なんてあやふやすぎて具体的なビジョンは浮かばないが、薄ぼんやりとライガードの机に座る自分がイメージできた。

 惰性に流された未来である。


「どんな仕事であれ、生き方であれ、読み書きは必ず武器になる。そうね、あんたの場合、まず目標を立てたほうが良いんじゃないの。そうすればもっと真剣に勉強するはず」


 ポークとしてはいつも真剣に勉強しているつもりだが、反論しても殴られるだけだ。


「お前は将来どんな仕事に就くんだ。今みたいに農家やるなら読み書きは使わないんじゃないのか」


 ポークは話題を逸らすため質問を投げ返した。

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