5話 夜は涙が多い

*****


分かり合えない。


それは男と女のように


それは天国と地獄のように


それは天使と悪魔のように


*****




——17:00


「音ー

早くおいでー。

ちょっと早いけどお店閉めちゃった。今日の晩ご飯はカレーだよ。因みに自信作。」



日向はどうだと言わんばかりの嬉しそうな顔をして、テーブルいっぱいに料理を並べる。


音羽は冷蔵庫から炭酸水を取り出し、レモンを半分に切ってグラスに注いだ炭酸水に無造作に絞り入れた。



そして、腰に手を当て、その勢いで半分ほどを飲み干すと音羽もようやく席に着く。



「3人揃うのは1週間ぶりかな?ちょっと早いけど、それでは、いただきます。」


音羽とダンはシンクロするようにカレーをかき込む。


「「おいひぃーっ!」」


再び2人の声がシンクロした。


日向は完全に母の顔つきになり



「そう?それは良かった。

2人とも本当に美味しそうに食べてくれるから作り甲斐があるよ。

どうかな?カフェの新作でメニューに追加しようと思うんだけど。いける??」


口一杯に含んだ音羽は食い気味に


「もうちょっとココナッツミルク効かせてもいいかも!いや、美味しいのよ?今でもすっごく美味しいんだけど」


音羽に被せるようにダンが


「俺はココナッツミルク多過ぎると思うな。

ちょっとくどいって言うか…


あぁ、いや、兄貴違うんだ。

美味しいんだけど俺の好みの話だから!」


2人の意見を笑顔で聞きながら、日向がゆっくりと口を開く。誰も日向の心を読めないが、2人もゆっくりとスプーンを置いた。



「そっか。2人の意見を合わせるとこのままで美味しいって事で良いのかな?

それとも…」


2人は三度シンクロする。


「「はい!このカレーが1番美味しいです!」」


「よろしい。

そう言えば音羽。

あなたはどうしてさっき血だらけで帰って来たのかな?」




これは尋問なのか。そうなのか。音羽はそんな事を考えながら今日見た予知夢の話をする。



「今日見た予知夢はねー、ちょっぴり悲しくて、動かずにはいられなかったの。

割とすぐ行ける距離だったし。でも、失敗しちゃったな。



ダンが干渉しちゃったら予知夢の通りにはいかないし、現実におじさんに万馬券引ったくってもらえなかったし…へへへ。」


声だけは笑ってみせたが、音羽の眉毛は下がり悲しそうな表情だ。



彼女は優し過ぎる。

彼女はいつも自分が世界を背負っているかのような顔をする。


それは彼女の変わった能力のせいだ。


そして、その能力は残酷だ。



地球上の約75億分人々の未来が毎日頭の中に流れ込んでくる。



そう。音羽は世界の全てを知る事が出来る唯一の女の子。



小さい頃は毎日叫びながら、また違う日は泣き喚き、また違う日はこれでもかというくらいの大量の汗をかきながら…



来る日もくる日も彼女は夢を見て、目を覚ますたびに絶望していたのだ。


心も身体も小さい当時の少女にはあまりにも辛い体験だったはずだ。


そして音羽はある出来事をきっかけに一時一切言葉を発する事が出来なくなってしまった。



そんなことがあり、音羽はあまり夢の話をしたがらない。


何故、予知夢を見るのか、どうして自分なのか、能力の使い方も分からず、ましてや4〜5才までは能力の意味が分からず、自分の発した言葉が現実になると思っていたようだ。


故に、彼女は誰にも心を開かない子供だった。



彼女曰く、今は夢の中を泳ぐ事が出来るそうで、あまりに残酷な未来は避けているのだそうだ。



…—!!!



「ダン!ちょっとダン聞いてるの?

って言うか、今までの話聞いてた?」


はっと我に返ったダンは何食わぬ顔で2杯目のカレーを日向にお願いした。



2杯目のカレーを一口食べるとようやく話始める。



「万馬券だろ?あれ、おっさんにちゃんと渡したぞ?お前、競馬場行ってたんだな。

あと、音、お前酒臭かったけど競馬場で酒飲んでたな?って言うか、お前未成年のくせにどうやって券買ったんだよ。

ほんと、悪さばっかりして。兄貴として恥ずかしいぞ」


音羽はこの瞬間、恐ろしくて日向の顔を見ることができなかった。


「ちがっ…」



日向の乱雑にスプーンをテーブルに置く音が音羽の言葉を遮断する。


「競馬場?おっさん?お酒?悪さ?

ちょっと情報が多過ぎて処理出来ないな。


1つずつ整理しながら聞こうかな。


ふぅ。


音、あなた最近素行が悪過ぎますよ。

全て説明しなさい。」



『チッ。ダンのやつ、わざとひな兄の前で言ったな。今お酒の話する必要あった?いや、無かったよね?うん。無かった。わざとだ。…許さない!』




音羽は瞳の奥に炎を灯し、ゆっくりと視線をダンの方に向ける。


ダンは気付かないフリをして、今度はアボカドサーモンサラダを口一杯に頬張っている。

口角がいつもより上がっているのを音羽は見逃さなかった。



「さっきも話した通りだよ。おじさんと夢で会ったの。娘さんの手術の治療費が払えずに苦しんでいて、彼自殺して保険金で払おうとしていたの。

そんなのって辛過ぎるよ。

私が助けなきゃって思ったんだ。

私だけがおじさんを救えるって思ったの…。


だから夢の中で、絶対助けに行くから待ってて。って言ったの。スキップの変な女の子が万馬券を持ってるから引ったくってって。夢の中でおじさんに暗示をかけた。

でも、今日の今日だったから、手っ取り早くお金を渡さなくちゃいけなくて、予知夢で見た競馬場に行ったってわけ。

たまたま、天皇杯やってて良かったー。


あれ?でも、万馬券いつ渡したの?おじさんに。

誰にもこの話してなかったはずだよ?」


音羽は不思議そうに納得のいかないような顔でダンの方を見た。


ダンは表情を変えずに当たり前だと言わんばかりの顔で音羽と日向にこう説明した。


「今日の朝、家で寝てる俺のところに来て競馬場の行き方聞いてきただろ。


音が競馬に興味あるなんて聞いてないし、何か悪さするんじゃないかと思ってGPS見てたら案の定!

ってわけ。


その後は音羽の説明した通りだけど。」


話すことまだある?というジェスチャーで話を終わらせるダン。


「だがらいつ万馬券渡したのよ!」と詰め寄る音羽。



「だから、あの時だよ。

あの…おっさん殴った時…」


今度はダンが日向の顔を見られなくなってしまった。


「ダン?殴ったって?いい加減にしないと2人とも外出禁止にしますよ?」


冷凍庫からハーゲンダッツを3つ取り出していた日向は2人の小さくなっている背中を鬼のような形相で睨みつける。


見なくても分かる。


日向はキッチンで最近お気に入りのアールグレイの茶葉をティーポットに入れ、ゆっくりお湯を注いでいる。


「殴ったって言っても音に怪我させた分1発だけだぞ。」


『—カチャン。』


椅子に座り直した日向は音羽に苺味、ダンにはバニラ味、自分には抹茶味のアイスを手際良く分けた。


紅茶を注ぐ手は穏やかで、アールグレイの上品な香りが部屋の空気を和らげる。



「まぁ、音を血だらけにしたんならそれぐらいしょうがないね。

…ダン分かったよ。」


そういうと日向はティーカップをダンの前に置いた。


「だろ?その時に万馬券をおっさんのポケットの中に入れたんだ。

で、これは治療費だ。貰っとけって言っといた」


音羽はきょとんとした顔をした、次の瞬間にはクシャクシャな笑顔で微笑んだ。




音羽が笑うと世界が幸せになる。

そう。僕たち3人の世界が華やぐ。



そして2人の心がほころぶ。

まるで初恋の人を見るような目で一瞬よりも少しだけ長く心臓が止まったのはダンと日向の2人たけの秘密だ。


「さすが双子の弟だね!

私がやろうとしてた事全部知ってたみたい。

ダンってもしかして超能力者??


ありがとう。大好きっ!」


ダンの顔が耳まで真っ赤になった。


「兄貴は俺だってば!!!

ったく!」


そんな事気にも留めない音羽はとても嬉しそうだ。

小さい鈴のような声色でふふふ。と笑う。


ホッとしたように音羽は苺味のハーゲンダッツの蓋を開ける。


「音、とてもいい事をしたのはお兄ちゃんとして誇らしく思います。」


忘れていた。

鬼はもう1人居たのだった。

こういった時のひな兄はしつこい。

ここは先手必勝。



音羽は自分のハーゲンダッツを半分差し出す仕草を見せた。

もちろん、“要らない”待ちだ。


「要らないよ音。」


かかった!


間髪入れず、日向は続ける。



「反省のハーゲンダッツ、半分じゃ足りない。

全部置いていきなさい。」


音羽は椅子に崩れ落ちた。

今日はひな兄が優しくない。



「冗談だよ。

その代わり反省として、1ヶ月間このカフェのお手伝いをしてもらいます。

分りましたね?

女子高生が、お酒なんて以ての外です。

そんな子に育てた覚えはありません。

そして、良い事をするのは素晴らしい事です。

が、今後自分を犠牲にするような真似をした場合外出禁止令を出します。


心を入れ替えて1ヶ月間お手伝いするように。」


隣でクスクス笑うダンを横目に


「ダン。あなたも連帯責任です。

人を殴るなんて乱暴な行為は見逃せません。

本当に2人とも母さんが帰国した時になんて説明したらいいか…」


泣き崩れるようにアイスを口にする日向。



贖罪のアイスクリームは半分じゃ足りなかったようだ。


*****




…そしてまた、長い長い夜が来る。





「これ以上、何にもいらないよ。


この些細な幸せが一生続くといいのにな…


そうでなくとも大好きな2人がずっと笑っていられますように……。」



広い部屋に音羽の声だけが小さくこぼれ落ちる。



大きなソファで寝ている2人にそっと毛布を掛けながら音羽は涙が止まらなかった。




「大好き。2人とも。大好きだから

お願いだから死なないで…


私が守ってあげるからね。」




『グスンッ—。』




—彼女は世界の全てを見ることが出来る。—




「ふふふ。


はぁ。今日もとってもいい日だったな。

今夜は暖かい未来が見られますように—。


おやすみ。ひな兄。ダン。」


反対を向いて寝ている2人の間に入り、ソファで3人仲良く川の字に並んで、そっと間接照明の灯りを消した。


————。


日向とダンは音羽に気付かれないようにひっそりと息を殺しながら泣いていた。



こんなに近くにいるのに誰にも彼女の本当の孤独を分かってあげられない。



計り知れない恐怖。—

受け入れ難い、残酷な運命を誰も、世界中の誰も分かってあげられない。


—眠る事の苦痛を———。

未来を知る恐怖を。



それでも一番近くで音羽を守ると誓う2人。



この日、3人は久しぶりに夜更かしをしてたくさん話した。

たくさんたくさん笑って

そして一緒に夢の中へ落ちていった。



—next.→











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