第六話信念と信念

やらかした探偵

 ズズズッ。ズズッ。


 夜半。寝静まりつつある六番街の裏通り。しかしそこには、時ならぬ麺を啜る音が響いていた。もっとも、犯人は俺と連れに他ならないのだが。


「……誘っといてなんだが、もうちょい風情ってものを考えないのかね」


「嫌だね。これがボクの食べ方だ。ましてやこの異郷で、ソバ・ヌードルが頂けるときた。やりたいようにやらせてもらうよ」


「そうかい」


 ズズッ。


 連れ――サワラビの手によって唐辛子とネギが大量にぶち込まれたソバ・ヌードルを横目に見ながら、俺は最低限度のトッピングのみが添えられたラーメン・ヌードルを啜る。

 「マシマシ」とか「全部乗せ」とかいう文化もラーメン・ヌードルの界隈にはあるらしいが、俺の考えとは相容れなかった。ラーメン・ヌードルは、イタマエからお出しされたものこそが、最高のバランスだ。師匠の受け売りだが、俺は強く信じていた。


「……イタマエ。腕を上げただろ」


「またまた。お世辞が上手で」


 一息ついたところで、俺はイタマエと言葉を交わす。彼は長らくこの辺りで車引きの屋台を営んでおり、俺との付き合いも長かった。俺が師匠に連れられていた頃は、彼もまた、先代のイタマエに拳骨を浴びせられていた。竹馬の友と言っても、差支えはないだろう。


「いんや、上がった。こう、アレだ。滋味深くなった」


「久しいからですよ」


「そういうもんか」


「そういうもんです」


 イタマエからの返しに俺はうなずき、またヌードルを啜る。細く縮れた麺に、濃いめのショーユスープが良く絡んでいた。これなら、ライスにも合うかもしれない。


「もごもご。誘っておいてもごもご。ボクは放ったらかしかい。もごもご」


「せめて口の中を空にしてからしゃべれ」


 俺とイタマエの間の空気に耐えかねたのだろう。サワラビが頬張っているソバ・ヌードルをもごもごさせながら横入りしてきた。だが俺は、そいつを一瞬で跳ね除ける。こんなところで込み入った話ができるわけもないし、そもそも誘った理由からしてそうではない。あの話――サワラビの正体開陳――の後から漂う、妙な緊張を解きたい。それだけだった。


「もご。てっきりなにか話があるのかと思ってたんだが」


 数分掛けて口の中を空にしたサワラビが、再度口を開く。彼女の提示した語句は、一言一句俺の予想通りだった。まあ、誰だってそう思う。俺だって、逆の立場だったら同じ言動を取るだろう。


「あると言えばある」


「なんだい。ボクは自論を曲げる気はないよ」


「……ソイツは構わん。俺も曲げる気はない」


「ほにゃ?」


 俺が和解案、ないしは折衷案でも持って来ると踏んでいたのだろう。サワラビは麺を頬張ったままに目を丸くした。なかなかに驚いてくれたようで、俺は少し嬉しくなった。いつでも冷静沈着というのは、時には少々気に触るものなのだ。


「だが、だ。俺たちが俺たちであること。この一点だけは崩す気も折れる気もない。これだけは伝えたかった」


「……先日の体たらくからすれば、随分な言いようだねえ」


「だろうな。俺は折れても崩れても立ち上がる。それだけが取り柄だ。だから、成し遂げるまでは何度でも折れてやるよ」


「やれやれだよ」


 サワラビは呆れたように息を吐くと、丼を掴んで一息にツユを飲み干し始めた。おいおい、ツユなんて塩分たっぷり、身体にバッドでおなじみなシロモノじゃねえか。いや、コイツに言ったところで、なんら変わりゃしないか。


「げふっ」


「はしたねえな、おい」


「今更隠すまでもないだろう?」


 少々お下品が過ぎる仕草に茶々を入れるも、彼女は恥じらいもなく言葉を返す。これもコイツの性分かと、俺は諦め……いや、改めて諦め直した。きっとこれからも、互いに曲げられないものをぶつけ合うのだ。そう信じて、俺はラーメン・ヌードルを啜っていく。そうして、終わりが近付いた時。懐を探って、俺は気付いた。気付いてしまった。


「おい、どうした。キミが奢ると言うから、ボクは来たんだぞ」


 血の気が引いていく俺の肩を、サワラビが揺する。わかっている。わかっちゃいるが、コイツは。俺はやむを得ず、両の手をテーブルに付けた。そして、頭を下げる。足が椅子の下にある以外は、おおよそ土下座に近い寸法だ。俺は断腸の思いで、しかし単刀直入に、最低最悪の一言を絞り出した。


「イタマエ、済まねえ! 金を忘れた!」


 ***


「……で、初恋の人探し、と。見付かるかね」


「うるせえ、皿洗いよりかはナンボかマシだ」


 翌朝、俺たちは眠い目を擦って六番街の市場に来ていた。行方知れずの人間を探すのであれば、下層こちらでも一際人口の多いこの場が最適だからだ。


「期限は三日。無理なら倍額。倍額持ってかれるなんざ、探偵のプライドにかかわる」


「だったら皿洗い二日で手を打つべきだと思うけどねえ」


「冗談じゃねえ。その間、探偵稼業ができねえじゃねえか」


「無銭飲食よりはマシだと思うけどねえ」


 語らいつつも、俺たちは周囲に目をやる。今回お目当てのツテは、姿を隠す傾向にあるからだ。もっと表に出てもいいと思うのだが、ヤツの性分がそれを許さないらしい。ところが。


「ビンゴ。今日は運のいい日らしいぜ」


「本当かい?」


 それは目の前、およそ百メートル先で起こっていた。人混みの中に、間隙が一点。時ならぬ騒ぎと、遠巻きな観衆がそこにはあった。


「あい、ちょっとごめんよ」


「おい、せめて押すなや」


「すまんね」


 俺たちは人混みをかき分けながら、騒ぎの地点をを目指す。こんな機会はめったにない。ここで奴さんを捉えられなければ、期限を守れるかどうかさえおぼつかない。倍額払いなんざ、意地でもお断りだ。


「なんの騒ぎだね、これは」


「奴さんの名物だ」


 眼の前で繰り広げられているのは、口論だった。二人の男が向かい合い、一人が間に立っている。主役は二人で、間の一人が仲裁役だろうか。


「オメエ、ウチの品を盗みやがって! ただじゃ置かねえぞ!」


「ちょ、だから盗みじゃねえって。後日支払うって言ってるだろう?」


「そこをなんとか、今にできんかね」


 よくよく聞けば、口論というよりは説得に近しい状況か。サワラビは三人を見ながら俺に向かって耳打ちする。


「仲裁役がお目当てかね?」


「いんや」


 俺は首を横に振る。そして、今度はしっかと携えた財布を手に、口論現場へと躍り出た。


「どうやら、俺の知り合いが迷惑を掛けているようだな。いくらだい?」


「ジョン、邪魔をすんじゃねえ!」


 すかさず、追い詰められていた側が俺に向かって口を挟む。伸び切ったボサボサの髪に、浮浪者じみた格好。変わらない姿に、俺は安心さえも覚えた。


「マッサ。お前にはこんなところで油を売って欲しくないんだよ」


 奴さんの言葉を無視して、俺は支払いを代行してしまう。売り手は不承不承と言った体。だが、仲裁役に促される形で俺のカネを受け取ってくれた。普段からの顔繋ぎが、こういうところで効いてくる。実にありがたい。


「なんだなんだ。用のある時だけ良い顔しやがって」


 確保してそのまま滑り込んだ裏通りで、奴さんは俺に喚く。だが、コイツは必要経費だ。俺は、態度を変えることなく言い放った。


「そうだ。用があるから来たんだよ。失せ物探しのマッサ」

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