第三話犬を追うだけだったのに

不運とかち合う探偵

 私立探偵という稼業は、娯楽小説にあるほど格好の良いものではない。むしろ地味な依頼と作業、そして空虚極まりない暇の繰り返しだ。ここしばらくは少々イレギュラーが続いちゃいたが、俺にとってもそいつは同じである。


 故に。


「なぜ起こした」


「八時まで寝ておいてなにを言ってるんですかジョーンズさん」


 半月かそこらで家政婦ヅラを見せるそばかす娘に、惰眠を妨害される謂れはない。空虚極まりない暇とは、転じて英気を養う時節だ。俺は重ねて主張する。


「うるせえ。俺は暇な時に寝溜めするんだよ」


「寝溜めは健康に悪いんです! 外を歩くとかしてください!」


 俺に掴みかかり、サーニャ嬢は言い返す。やめろ、腕を引っ張るな。寝間着は一張羅ほど丈夫じゃない。しかめっ面して、勢いよく引っ張……あ。


 ビリッ!


「おい」


「ごめんなさいっっっ!?」


 まさかの破損である。俺の堪忍袋が、とうとう音を立ててブチ切れた。


 ***


 チン。


 トースターが食パンを二枚打ち上げると、俺はひったくるようにして自分の皿に乗せ、マーガリンを塗りたくった。ちなみに事務所の長机ではなく、奥のキッチンに用意した小机が舞台である。つまり、俺達は向かい合っていた。


「そんなにムキにならなくても。何度も謝罪してるじゃないですか」


「ごめんで済むなら警察も探偵もいらん」


 マーガリンを塗り終えたら、二枚重ねで口いっぱいに頬張る。サーニャ嬢に隙を見せるつもりはない。今日という今日は言ってやる。さっきの一件で、俺は決めたのだ。


「そもそもだ。人の部屋を勝手に片付け、カップや食器も入れ替えていき、挙句の果てに家政婦ヅラと来た。誰が頼んだ? 俺がいつ依頼した? いつもなら言わんが、今日はついに腹が立った。もう許さん」


 一息つくなり、俺は言い放つ。隙を見せる気はないが、取っ掛かりをなくしてやるつもりもない。そこまでやると、彼女がここを出ていく恐れがある。気苦労をやたらめったら重ねられるほど、俺の背中は広くないのだ。


「申し訳ありませんでした」


 しばしの対峙のあと、少女がまっすぐに頭を下げた。その姿に、俺は手打ちをどこにするか考える。一昼夜ここにいられても面倒だし、かと言って先日みたいにコトに巻き込まれるのもゴメンだ。


「あー」


 頭をかきながら考える。整えてないので、未だボサボサだ。ともかく、今はサーニャ嬢と向き合う気になれない。ではどうするか。俺は追加のトーストを差し込み、サラダのトマトを飲み込んでから、腹を決めた。


「罰をくれてやる」


「罰ですか」


「ああ、罰だ。明日の朝まで、俺にそのそばかすツラを見せるな。以上」


 サーニャ嬢は即答しなかった。即答せず、わずかに考え込んだ後、まっすぐに俺を見て。はい、と答えて。それから。


「ただし、朝食の洗い物だけは終わらせますね。一日ほっとかれても、嫌ですので」


 実に事務的に、一つだけ注文を添えたのだった。


 ***


 朝食が終わってサーニャ嬢が隣室へ去ると、部屋がガランとした感覚を得た。あまりにも唐突な感覚に俺は慌てて首を振り、古臭いラジオの電源を入れた。しばらく動かしていなかったが、こうなると賑やかしが欲しくなる。人間のさがだ。


「畜生、無駄に片付けるからこうなるんだ」


 ぼやきながら手慰み用の資料を探す。いつぞやのチップもそうだし、例の【製薬会社】絡みの件もある。もっとも、後者はサーニャ嬢にもかかわる。今日のところは気にしたくなかった。


「ちぃ、ちゃっかりその手の雑誌マイコレクションが処分されてやがる。掃除を人任せにするもんじゃねえな」


 資料棚を探り、若干の後悔を漏らす。今後は隠し場所を考えねばなるまい。これでも一応、そういう欲望は持っているのだ。必須事項で……。


 プルルルル。


 机の上から、安っぽい着信音が俺を呼び出す。手にとって見れば、電話の主は着信履歴の九割を占める人物――サワラビだった。


「俺だ」


『ボクだよ』


 ほとんどいつもどおりのやりとりをして本題に行く。しかし今回の本題はそこそこに大概なシロモノだった。


『ボクのところに、キミへのつなぎを頼んでくる人がいてね。例の四番街の家から、噂を聞いたんだと』


「断れ」


『キミが手一杯であると称して断っても良かったんだが、どうも先方も訳ありのようでね。どうしてもと言って聞かないんだ、コレが』


 俺は一旦電話を遠ざけ、ため息を吐いた。ガッデム、絶対に厄ネタじゃねえか。しかも四番街経由だから、ほとんどの確率で上層案件だと。チップを全部賭けてもいい。ろくなネタじゃない。


「分かった。話は聞いてやる。先方の要求はなんだ」


『一応、【犬を探して欲しい】らしいことだけは聞いた。詳しくは先方との会合で頼むと』


 チップの山が崩れ去り、ディーラーにさらわれていく音が、俺の脳内にが響いた。どういうことだ。あまりにもしょうもないぞ。たまらず俺は、疑問を口にした。


「オイオイ。仮にも上層なら、そのへんに事件屋とかいるだろ。警察が動かんにしても、こんな場末に持ってくる話じゃねえだろ」


『たしかに。でも事件屋は、もっと後ろ暗い話で動く連中だよ。ペット探しごときで、出て来やしない』


「チッ」


 俺の舌打ち音は、期せずして口から漏れ出していた。全くもって俺らしくない。今日は朝からアンラックがすぎる。厄日かなにかか?


『どうしたどうした。キミらしくもない。さてはサーニャくんとやらかしたかね?』


「うるせえ。それはこっちの問題だ」


『問題。つまりそういうことか。まあそれはいい。いずれにせよ、先方はなんと二番街の人間らしい。念には念を入れて小細工をするから、ちょっと我が家まで来てくれないかい?』


 おいおい。さらにアンラックな話が聞こえたんだが。ジョークだろう? ジョークと言ってくれ。もしくはドッキリかなにかだ。そうでもなけりゃ、俺がもたねえ。言い当てられてカチンと来たが、そっちは許す。タチの悪いジョークであってくれ。


『ああ、そうだ。どうせ今頃キミは現実逃避を試みている。だから逃げ道を封じておこう。【これは演習ではない】。どうだ、目は覚めたかな?』


「一世紀近くも前の、しかも微妙にマイナーなネタを持ってくるな」


『どうやら、無事にお目覚めのようだ』


「チッ。少し待て」


 芝居がかった声が返ってきたのは、正真正銘読み切られた証拠だ。自分に腹が立つ。いくら不運まみれとはいえ、いただけない。俺は電話を離し、いったん深呼吸した。


 師匠も言っていた。荒れている時はまず落ち着け。探偵はクールが第一。俺は脳裏に教えを浮かべ、呼吸音に耳を傾け、間を置いた。そして再び電話を手にする。一分足らずの間だったが、腹は決まった。


「わかった。依頼は受ける。先方からの信頼ある連絡手段を確保してくれ。話はそれからだ」


『OK。その程度なら恐らく話も通るだろう。一時間後に、マイハウスで落ち合おう。それじゃ、顔と首をしっかり洗って出て来てくれ。また』


 唐突に始まった電話は、嫌に物騒な言葉で締めくくりを告げた。俺は携帯を自分の机に置き、リクライニングに背を預けた。数秒だけ汚れた天井を仰ぎ、直後身を起こした。


「チッ。ヒゲも汚れも、全部落としていくとするか」


 タオルを手に、シャワーへと向かう。少し遠くでラジオが、俺の運勢を最下位だと告げていた。


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