水で魚が溺れるように
古川暁
狼と臆病な羊
【ノックの音がしたのである一匹の子羊は、その小さな小さな時計台のお家に鍵をかけてしまいました。もう二度と優しいふりをして誰がやって来たとしても決して家の中には入れないと決めていたからです。
ある日のこと。再びノックの音が聞こえました。叩いているのは狼です。
「開けてくれ」
ガラガラ声のその言葉に子羊は震えながら答えました。
「お前はオオカミだろう。オオカミは羊を食べるんだ。だから開けない。」
狼は言いました。
「俺は肉は食べないんだ。それに俺は鍵師だ。その気になればこちらから開けられるぞ。」
すると子羊は言いました。
「この鍵は絶対に開かない。」
その言葉を聞いて諦めた狼はとぼとぼと帰って行きました。
次の日。
また狼がやって来ました。昨日の狼です。
「開けてくれ。綺麗な花を摘んできた。」
すると子羊は、開いていた小さな家のカーテンを閉めながら言いました。
「花は嫌いだよ。オオカミもね。それにこのドアは外からは開かないよ。」
真っ黒な手の狼はまた諦めて帰って行きました。しばらく経った日、またその狼は子羊の家にやってきました。
「甘い物を持って来た。開けてくれ。」
「甘い物は嫌いだ。それにこのドアは壊れてるんだ。僕にも開けられないんだよ。」
「そうか、悪かったな」
次の日狼はご飯を持ってきました。その日から狼は毎日毎日ご飯を二人分持ってきては窓際に一つ置いていきました。
そんなある日、時計台にもたれながらご飯を食べていた狼は、子羊の小さな小さな家の壁を壊してしまいました。体の大きな狼には家は小さすぎたのです。
泣き出した子羊に狼は言いました。「家に来るといい」と。困った子羊は仕方なく狼について行きました。体の大きな狼は壊してしまった子羊の家も一緒に担いで帰りました。
狼はとても大きな家に住んでいました。狼の家は沢山の部屋がありました。片付けの苦手な狼の部屋はどこもかしこもぐちゃぐちゃです。しかし子羊は一つだけとても素敵な渚色の部屋を見つけました。その部屋にはドアがありませんでした。それでももう塞がった鍵穴があったので部屋だとわかりました。
「この部屋は?」
子羊は狼に訊ねました。しかし狼はどうしても教えてくれません。子羊はその日から部屋の鍵を探し始めました。そしてある日子羊はその部屋は自分の時計台の部屋と同じように鍵が壊れてしまったんだと気が付きました。
「鍵をなくして悲しくないの?どうして作らないの?鍵師なんでしょう」
狼は何も答えてはくれませんでした。
それから子羊は狼の家ですくすくと育ちました。やがて子羊は小さな時計台の家には入れない大きさになりました。それでも不器用な鍵師の狼は部屋を修復し一生懸命扉を開けようとしました。月日は流れ、子羊が一人前の大きさになった頃、狼は死んでしまいました。
子羊は狼が持っていた鍵の中から一番大事にしまわれている鍵を取り出して、あの渚色の部屋にいきました。鍵を近づけると鍵穴が現れました。鍵穴の中は狂いのない黒でした。鍵を刺そうとした時突然鍵が喋り出しました。
『ここの鍵は開かないよ。開けられるのは時計台だけだ。』
子羊は鍵を握りしめた。
「どうしてこの部屋は開かないの?僕のと違って壊れてないんでしょ」
鍵は答えました。そのドアはもう誰かが開けていて狼はそこで笑っていたと。そしてもう二度と開かないことも。それから子羊はその狼の残した鍵で時計台を開けました。
「何もないんだこの部屋は。」
『見ようとしてないからさ。』
鍵が再び話し出しました。
「じゃあ何があるって言うんだ?」
子羊は鍵を怒鳴りつけました。
『だって気がつかなかったんだろう?彼は狼でなくて本当は狼の皮を被った羊だったことに』
子羊は鍵にたずねました。
「君はなんなの?」
『僕は彼が作った君だよ』
そう答えると鍵は光の粒となって散って行きました。
それからというもの、子羊は窓の隙間に見つけたお花の種を育てました。お花はどんどん増えていき、お花畑を作りました。その花びらの一つ一つはたくさんの景色が色づいていました。色とりどりの花に囲まれた子羊は幸せに暮しましたとさ。】
ページを捲ると綺麗な絵で縁取られた真ん中に美しく飾られた筆記体が描かれていた。
【 "Love is the key to open the gate happiness" by Oliver Wendell Holmes Sr. 】
もう1ページめくる。
【おくりもの 著者 和泉結稀 挿絵 和泉結稀】
ひらりと足元に何かが落ちた。拾い上げて紙を開いてみた。そこには鉛筆で綺麗な文字が綴られていた。
『花が枯れることを怖がらないで。私たちならきっと大丈夫。この世にはまだまだ幸せなことが沢山あるってことを、家族を持つ幸せをあなたにも知って欲しいの。もう一度子供を持つことを考えてくれない?結稀』
ありがとう。でももう知ってるよ。もう俺は充分なほど知ってるよ。そうだ、ちゃんと知ってた。
紙の裏っ側に少し考えたあと、OKと走り書きをして妻の書斎に絵本をそっと俺は置きに行った。
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