第31話 修学旅行その3
「それは僕も聞きたいな」
星明かりの下、秋山が微笑むのが想像できた。
「眠れなくてさ。考えごとしてたら、目が冴えちゃったのかな」
「同じよ、私も」
「星を見ようと思ったのは、さすが地学部と言うべきだね」
「お互いね」
偶然に感謝しながら、公子は笑みを返した。
「そっちに降りていいかな」
秋山が言い出した。
「危ないわよっ」
「手すりを乗り越えようってわけじゃない。非常用のはしごって、一度使って、また簡単に戻せるものなのかなって思って」
よくよく見れば、非常用らしきハッチがあった。秋山のいる階にも当然ある。これを開けば、縄ばしごが下の階のベランダに垂れ下がる仕組みなのだろう。
「さあ……。やめといた方が」
「元に戻らないときはそのとき。はしごの真下から離れてよ」
「え?」
公子が何か言う間もなく、金属がきしむ音と共に、ハッチが下向きに開かれた。
「……何だ。自動的にはしごが下がるんじゃないんだ」
と言って、白っぽい縄ばしごを落とす秋山。公子は両手で口を覆い、状況を見守るしかなかった。
「スリッパ、落とすから、外に飛び出ないように見てて」
「は、はい」
ぱさっと、塊が落ちてきた。重ねられたスリッパ一足。それに手を伸ばそうとした公子に、また秋山の声。
「あ、いいから。今から降りる」
最初にゆらりと、縄ばしごが大きく揺れた。どきっとした公子だったが、秋山は何ともないように一歩ずつ、足を動かしている。
「よっ、と」
はしごを半ばまで下りたところで、秋山は飛び降りた。ずん、という鈍い音が少し響いた。
「っと、やばいかな」
「足、大丈夫?」
「え? ああ、平気だよ、これぐらい」
スリッパを履いてから、足を軽く動かしてみせた秋山。
「きれいだね」
出し抜けに言って、秋山は公子から視線を外し、空を見上げる。
(あーっ、びっくりした! 私の方を見ながら、『きれいだね』なんて……星空のことよね、うん。体操服着た女の子なんて、珍しくも何ともないんだから)
それでも高鳴っている胸を左手で押さえ、いっしょになって、夜空に意識を向けた。
最初のほんの少しの間、何か喋らなくちゃと話題を探していた公子だったが、星を眺める秋山の楽しげな、満足したような横顔を前にして、気持ちが変わった。
(しばらく、このままでいたい――)
手すりに腕枕を作り、星を数える。分からなくなったら、そっと隣の秋山を見て、そしてまた星を、星座を探す。ずっと続いていそうな時間。
「あ」
静寂を破ったのは、公子の方だった。天を走った光の筋に、思わず、声を上げてしまった。
「見た、秋山君?」
「見たよ。流れ星」
横を向いて、秋山は少し不思議そうにしている。
「流れ星なら、もう何度も見てるでしょ、公子ちゃん」
「う、うん。だけど」
あとは続けなかった。
(だけど、あなたと二人きりでいるときの流れ星は特別。願い事を三度、唱えたら、本当にかなえてくれそう)
それからしばらく待ったが、流れ星は見られなかった。
「よく見えるよね、本当に」
秋山がつぶやいた。
「折角ここまで来たんだから、種子島の宇宙センターにも行ってみたかったな」
「そうよねえ」
鹿児島県の種子島には、日本唯一のロケット発射場があり、それに付随して宇宙に関する一種の科学館があるのだ。
「昔ね」
思い出し笑いしながら、公子は語り始めた。
「私、星がよく見えるから、鹿児島からロケットを打ち上げるのかって思ってたわ。南になればなるほど、打ち上げの燃料が節約できるからだって教えられたときだって、何のことかよく分からなかった。今は分かったけれど」
「赤道に近い方が、地球の回転を利用できる。だから、例えばオーストラリアだと、なるべく北にロケット発射場を作るはずだね」
「そうだわ、ラジコンの飛行機、どうなっているの?」
「一機、最初からできてるのを買った。手作りは、資金の都合で、ほぼ断念」
お手上げのポーズをする秋山。
「そう、残念ね」
「うん、そうでもない。貯金して、他に使いたいことができたから」
「何?」
「天体望遠鏡がほしいなって思ってさ。高いからなあ」
大きく伸びをして、秋山は苦笑した。
「まだまだ目標には遠いよ」
「大変ね。地学部にあるのだと、だめなの?」
「もう少し、いい物で見たくなったんだ。そしたら、どうせ買うならなるべくいいのを手に入れようと思って、どんどん、目標額が上がってしまって。ははは」
「買ったら、覗かせてもらえないかしら」
「もちろん」
公子に応えて、振り向いた秋山の目は輝いているように見えた。
「さて、と。そろそろ戻ろうかな」
秋山は腕時計をかざした。時刻は三時二十分ぐらい。
「こうして会ったこと、秘密だよ」
「もちろん」
笑みを送る公子。そこへ、何気ない調子で、秋山から質問された。
「あ――好きな奴、できたんだってね」
「えっ」
耳を疑った。
秋山は笑顔のまま続けた。
「頼井に引っ付いてた畠山さんと剣持さんが話していたの、聞いたんだ。前の学校にいるって」
「それは……」
公子の内に、迷いが生じる。
(正直に言うべきなの? 嘘だって。でも、もう秋山君はカナちゃんと……。このままそういうことにしておけば、もしも秋山君が私にまだ何かを想っていても、吹っ切ってくれるかもしれない。それがカナちゃんのためよ。……だけど……)
抑えがたい、自分自身の気持ちがあった。
「話を合わせちゃったの。みんな、しつこいぐらい聞いてくるから、もう面倒になっちゃって、前の学校に好きな人がいたってことにしてさ。写真を持ってないのかって言われたときは、焦っちゃったけど、何とか言い逃れできたわ」
「本当に?」
秋山の声が、心なしか弾んで聞こえる。顔を見れば、ほっとしたような、がっかりしたような、複雑な表情を浮かべていた。
「本当だってば」
公子が言い切ると、今度は、秋山は寂しそうに笑った。
(いつか見た表情……。何を意味しているの?)
「楽しかった」
無理にしめくくるように言うと、秋山は先に公子を促してきた。
「はしごを登って帰るなんて、格好悪いな。公子ちゃん、先に戻りなよ」
「うん。また明日ね」
「最後の日、思い切り楽しみたいな」
ベランダから戻り、ガラス戸を閉めてからも、公子はしばらく手を振った。
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