第29話 修学旅行その1
五月病になることもなく、公子にとって、この一ヶ月はあっという間に終わりそうだ。
こちらの学校に来て初めての定期試験をうまく乗り切ったあと、待望の修学旅行となった。九州半周である。
男女別でそれぞれ五ないし六人で一つのグループになり、そのグループ単位で行動する。もちろんグループはクラス内の者同士に限られる。公子は結局、富士川や工藤、
「ねえ、公子」
この高校に来てから友達になった相手からは、公子はそのまま名前で呼ばれるか、そうでなければ「さくら」と呼ばれることが多い。「朝倉」の「あ」が取れたらしい。
「なーに、ミナ?」
ドライヤーを使っていた公子は、大きな声で富士川美奈に聞き返した。それからスイッチを切る。
宿に落ち着いて今、夜の九時ちょうどだった。グループ全員、布団の上。服装は寝巻き代わりの体操着姿。
「昼間、白木さんともめていたみたいだけど」
富士川は豊かな黒髪を揺らしながら、言葉を重ねた。茶道部という先入観もあるだろうが、和服が似合いそうな雰囲気をまとっている。
「あ、あのこと。心配ないよ」
手にドライヤーを持ったまま、首を振った公子。乾かす途中の髪が、ぱらぱらぱらっと広がった。
「本当にそう?」
心配げな富士川。
波長が合うのか、公子が一番最初に新しく友達になれたのが、富士川美奈だった。その性格も似たところがあるらしく、特に気遣い性なのはかなり似通っている。もっとも、富士川のそれは気配りといった方が適切かもしれないが。
「大丈夫だってば」
「秋山君のことなんでしょう?」
話題をかぎつけた畠山と剣持が、公子ら二人のそばに寄ってきた。男女の仲だの三角関係だのの話に目がないのは、女子一般にある程度共通しているものだろうけど。
(何か、話さざるを得ない雰囲気……)
まずいなと感じて、公子は笑みでごまかしながら、ドライヤーのスイッチを入れた。
が、すぐに止まってしまう。コードの先を見ると、一人、窓辺で本を読んでいたはずの工藤が、コンセントからプラグを引っこ抜いていた。
「だーめ。私も聞きたいな」
「ユリちゃんってばー」
意地悪そうに笑った工藤由里恵に、公子は弱り顔を向けた。
それから他の三人に目を向ける。富士川以外は、どう善意に受け取っても、好奇心が上回っているに違いない。公子は内心、ため息をもらした。
「……せめて、髪、乾かしてからにさせてちょうだい。ね?」
「ま、それならいいか。髪は女の命」
工藤は、今はほどいてある髪を、いつもしているポニーテールの形にまとめる手つきをした。そしてプラグを元のように差し込む。
(どうしてこうなるのかなあ)
心の中で、しきりに首を傾げながら、公子は髪を乾かし終わった。
みんなの方を見れば、さあ、と待ちかまえるような視線が返ってきた。
「しょうがないな。本当に、大したことじゃないのに」
「いいから、いいから」
「……昼、阿蘇で、自由にお土産を買う時間があったでしょ。あのとき、秋山君や四組の友達二人といっしょに、色々見ていたの。それが終わって、みんなのところに戻ろうとしたら、白木さんが」
「何て言ってきた?」
畠山が言葉を差し挟む。一番、興味深そうにしている聞き手だ。
「『中学のときのお友達を引き込んで、うまくやってるみたいね』って。四組の友達って言うのは、私と同じ中学なの」
「嫌味ね」
工藤が、窓の桟に片肘をついたまま、そんな感想をもらした。
「元からあんまり好きじゃないけど、ますます嫌いになりそう、あの子のこと」
「白木さんって、男子には人気あるから」
剣持の言葉。男子にもてる女子は、同性から嫌われるものだという意味か。
「それで公子は?」
「それでって?」
聞かれても何のことか分からない。
対して、尋ねた畠山の方は、さも当然という表情をして、唇を尖らせた。
「決まってるじゃない。言い返したんでしょ? がつんと」
「そ、それは」
言い淀む公子は、みんなから視線をそらした。
「まさか、何も言い返してないの? そんな嫌味を言われたのに」
「何も言わなかったわけじゃ……」
公子は話したことを後悔し始めていた。
(本当は言いたくても、『秋山君とは単なる幼なじみ。好きとかどうとかいう感情は持ってません』ってことにしておかないと)
「じゃあ、何て?」
「『ただの友達よ』って」
「へ? それだけ? 弱気な」
「本当のことだもの」
「それなら、公子。地学部に入ったのはどうしてよ。白木さんに独占されないようにするためじゃなかったの?」
工藤が聞いてきた。公子が地学部に入ったことは、彼女だけでなく、他の三人も知っているところ。
「それはやっぱりさ、秋山君がいるクラブだと、助けてもらえるから、気が楽かなと思って」
「それだけなのかな」
畠山は大きな目で、公子を見据えてきた。別の答を引き出そう、そんな意図が見え隠れする笑みを浮かべて。
「それはまあ、星座に興味あるけど」
「そういうんじゃなくてぇ。本当に、本当に、ほんとーに、秋山君のこと、何とも思ってないわけ?」
がくっと来た畠山だが、気を取り直したように両手で握りこぶしを作った。「親切にしてくれて、感謝してる」
あっさり返事した公子。
(ユカ達を前にしてるときよりは、神経を使わなくて助かるな。みんな、昔のことも、カナちゃんのことも知らないから)
「……こうなったら、はっきり聞きましょう」
意を決したようにつぶやくと、工藤は立ち上がって窓際から離れた。そして公子の真正面に座る。
「公子って、好きな人、いるの?」
質問が出た瞬間、まただわと思う公子だった。
「答えてもいいけど……みんなもあとで答えてよ。いるかいないかだけでも」
「仕方あるまい」
どこか自信ありげにうなずきながら、工藤は他の三人に目をやった。
「いいよね? 美奈も答えてね」
「私も?」
ずっと黙って話を聞くばかりだった富士川は、戸惑ったような顔になった。珍しく、あわてている感じ。
「当然。さあ、公子」
「――いることはいるよ。片想いだけど」
いつもの通り、用意していた答を口にする。
「誰よ。名前は言えないの?」
「それは勘弁して。その……私からは遠い人だから」
「前の学校の人なんだ?」
公子の言葉を、畠山がうまく誤解してくれた。
本当は、もう手の届かない人だという意味で言ったのだが、公子は誤解の訂正はしなかった。
「そう、そうなの。転校するとき、泣いちゃって。えへへ」
「ほー。そんな人がいたか」
皆一様に、疑いもなく感心する。
「写真、持ってないの? 生徒手帳に挟んでるとか」
剣持の問いかけに、少し焦った。
(持ってるけど、秋山君のだ。見られちゃ、まずい)
気になって、ハンガーに通して壁のフックに掛けてある自分の制服を、公子は肩越しにちらりと見た。
「持ってないわよ、今は。肌身離さずなんてしてたら、見られたときに冷やかされるの、目に見えてるもん」
「そうかもしれないけど、寂しくない?」
この話題になってから初めて、富士川の方から口を開いた。
「平気。――秋山君がいるから。あははっ」
最後に冗談めかして付け加える。こういう形でも言っておかないと、全部嘘になってしまって、落ち着かない。そんな気がしたから。
「さ、これぐらいで許して。みんなの番よ」
公子が話を振ると、四人は一瞬、互いに顔を見合わせたが、やがて自信ありげな工藤から始めた。
「それじゃあ、まあ」
鹿児島は桜島。やたらと灰が積もっていた。
「タクシーの運転手も大変だわ」
店先から外を見ていた悠香が言った。
「頻繁に火山灰を落とさなきゃいけないのね」
「毎日、降るわけでもないだろ」
頼井は、早くも土産の物色にかかっていた。小物をたくさん買い込んでいるところを見ると、後輩に買って帰る分であろう。
(頼井君、人気あるなあ)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます