挿話. ジークフリート(その2)

 俺は無事、村に戻っていた。


 どうやらあの灰色の悪魔は、俺の“闘気”を辿っていたらしい。

 逃げる途中でそれに気付き、気配を消し霧に紛れた俺を悪魔が追って来る事は無かった。


 一日が過ぎ、俺はまたあの場所へ向かった。

 そこにマイルークの姿はもう無かった。


 小さな村だから、誰かが結婚するとなれば村中で式の準備を進めるものだ。

 俺は村中の皆に、結婚式の取り止めを、つまりマイルークの訃報を伝えた。 

 特にマイルークの婚約者とその家族には、目も併せられなかった。

 

 それからというもの俺の心には、あの婚約者の泣き声がいつまでもこだましていた。

 俺はその声から逃れたくて、消したくて、毎日を酒に溺れる様に過ごした。

 

 月日は過ぎ、そんな吞んだくれの俺を、『屠龍英雄ドラゴンスレイヤー』と呼ぶ者は、最早誰も居なくなった。



 その日も早くから俺は、酒を吞んでいた。


 こんな小さな村の傭兵稼業など、その稼ぎはたかが知れている。

 黄金谷の蛇竜を倒した時の報奨金は確かに凄かったが、それでも毎日を高い酒に費やせば容易く底をつくもんだ。


 だがどうでも良かった、この先どうなろうと。

 酒も、喰うものも無くなって、野垂れ死ぬのも悪くない。


 そんな風に考えていた俺だから、正直今のこの状況には頭がよく回っていない。

 俺は酒を呑みながら目の前の、大金の入った袋とにらめっこし、今朝の出来事を思い出していた。


 早朝、傭兵ギルドの受付の男が引っ張る様に俺を連れ出した。

 何事かと尋ねると、なんとあのアヌービスから成功報酬が届いているという。


 そう言えばここ数日、村は近隣の町からも人が訪れる程、彼のサーカスで大賑わいだった。

 

 受付が持ち出したのは、大金の入った袋だった。

 そしてアヌービスはもう昨日の夜には、この村を去ってしまったらしい。


「何が成功報酬だっ! くそったれ!!」


 俺は初めその大金を突き返したが、受付の男にこう諭された。


「なぁジーク。依頼主のアヌービスさんはこう言ってたぜ。その報酬にはマイルークへの弔いも含まれているんだって。それをどう使おうがお前の勝手だが、ありがたく受け取るってのが筋じゃねぇか? それにな、アヌービスさんはお前の腕を非常に高く買っていたみたいだぜ。きっとお前のその腕が、必要になるってさ」


 そうして俺はその大金の入った袋を持って帰って、何かもやもやとしたこの心をスッキリさせようと、酒を呑み始めたのだった。


(この村に残る以上、俺の腕が必要になる事なんてあるまいさ。例えあの“悪魔”が村を襲っても俺に出来る事なんざ何一つ無いしな)


 俺は今日、二度目の杯を空けた。

 その時だった。


「た、大変だーーっ! 黄金谷の蛇竜が復活しているぞ!!」


(バカなっ!)


 気付くと俺は家を飛び出し、黄金谷へと向かっていた。



 GYAAAAAAAAAAA!!


 大気を震わす咆哮と、口から吐いた火炎の熱風が肌にビリビリと伝わっていた。

 俺の目の前には、あの蛇竜【ファフニール】が復活を遂げていたのだ。


 谷には多くの鉱夫たちがファフニールから逃れ、その様子を見ていた。


「あっ! あんた、『屠龍英雄ドラゴンスレイヤー』ジークフリートだよな?! あの蛇竜をまたやっつけてくれ!」


 近くの鉱夫が俺に気付いた様だった。

 だがすぐにその言葉を後悔した事だろう。

 何せ俺は呑んだくれで、酒の匂いをプンプンさせていたに違い無かった。

 案の定、他の鉱夫からこんな言葉が漏れ出した。


「やめとけ。今のソイツじゃあれを倒すのは無理だ……」


 その通りだ。


 例えこの、竜殺剣『バルムンク』を持っていたからって、

 そしてこの、隠遁外套『タルンカッペ』を持つからといって、

 鍛錬もせず、酒に溺れる日々を過ごした今の俺では敵う筈も無い。


 それにだ。そもそもなぜファフニールが復活したのか、その原因や理由を突き止めねば、例え『屠龍英雄ドラゴンスレイヤー』ジークフリートであったとしても、倒せるかは分からない。


「フッ、まぁそう言う事だ」


 俺はそう言ってその場を去り、家に戻りまた酒を呑む事にした。

 

 ところが家の前には誰か人が待っていた。

 近づいてそれが誰だか判ると、俺の足は重くなっていった。


 マイルークの婚約者と、その父親だ。


「二人して、俺に何の用だ?」

「……蛇竜が復活したの」

「あぁ知ってる。今、見てきた所だ」

「おぉ、では倒してくれまいか?」

「無理だ、諦めろ」


 そう言えば、彼女の父親は鉱夫だ。

 だが、どうでも良い。


 俺は早く酒を呑みたかった。


「なんで無理だなんて言うの?」

「無理なものは無理だっ!」


 俺は、逃げたかったのだ。


 あの忌まわしい悪魔の記憶からも、

 自分のせいで弟を亡くしたという事実からも、

 この婚約者の娘の悲しみの声からも。

 

 『屠龍英雄ドラゴンスレイヤー』ジークフリートから俺は逃げたかったのだ。

 

「誰かの為になれ……」


 婚約者の娘が呟いたその一言に、俺は雷に打たれた様な衝撃を覚えた。


「あの人ならきっとそう言うわ、『誰かの為になれ!』って。ねぇそうでしょう!!」


 懐かしい顔が思い浮かんだ。

 そしてあいつは笑顔でそう言うんだ。


(『誰かの為になれ!』 だぜ。兄さん!!)


 それは紛れもない、マイルークの口癖だった。

 その言葉に、俺の中で何かが変わり始めていた。


(あの時、あいつは邪気に冒されながらも俺を助けようとしてくれた……)


 霧のお陰で、俺は助かった。


(『誰かの為になれ!』 だぜ。兄さん!!)


 あいつは死ぬ間際まで、その信条を貫いたんだ。


(『誰かの為になれ!』 だぜ。兄さん!!)


 俺に出来るかな……。

 

(『誰かの為になれ!』 だぜ。兄さん!!)


 自堕落でどん底まで落ちた俺の心は、マイルークが笑顔で言うその言葉の光に照らされて、ふわりと浮かび出したのだ。


(『誰かの為になれ!』 か……よし!)


 俺は何度も心の中で、『誰かの為になれ!』と呟いた。

 そして決心した。



 ここは森の中。

 そして俺だけの秘密の場所だ。


 俺はここで森の妖精と知り合い、バルムンクとタルンカッペを手に入れた。

 黄金谷が出来た由来も、あの蛇竜の名が“ファフニール”だと知ったのも、ドラゴンの力を手に入れる術を知ったのも、あの悪魔の放ったものが“邪気”だという事も、みんな、この妖精から聞いたのだ。 


 俺は、あのファフニールの謎を妖精から教わろうとやってきたのだ。


「ファフニールが復活したんだがなぜだ?」

「ウフフ知りたい? じゃあ、『ある人、1人も殺さず12人殺した』これなーんだ?」


 こいつはいつもこんな調子だ、俺を困らせたくてしょうがない。

 けれど、それさえ乗り切れば、俺は知りたい事を知れるのだ。

 だからこう切り返す。


「知ってるか? とある王子が毒入りの水を貰うがそうとは知らず、乗っている馬が飲み死んだ。死んだ馬をカラスが啄み、それも死ぬ。そのカラスを拾った悪党、仲間と一緒にそれ食べ、皆死んだ。その悪党は全部で12人だったそうだ」


「むむー正解……ファフニールに復活する力は無い。あれは人でない人の力。魂は鳥籠の中。じゃあね~」


 こいつの話は一事が万事、こんな調子だ。

 はっきり判った試しがない。


 だがこの時なぜか俺の頭には、アヌービスの顔が思い浮かんでいた。


(まさか……な)


 結局、妖精の話はそれ以上ピンと来ず、俺は数日の鍛錬と瞑想を経て蛇竜ファフニールに挑んだ。

 結果は、俺が難なく斬り殺した。

 特に強くなったわけでなく、前と同じ倒し方で済んだのだ。

 だが違ったのは、


「オイ! 蛇竜が復活しているぞ!」


 俺が討伐して2日目、ファフニールは再び復活を遂げていた。

 俺は再びそれを斬った。

 だがその結果だけは繰り返された。

 俺が斬り倒してから1日置いて、2日目には完全に復活するのである。


 結局、村人全員の合意で黄金谷の魔石採掘は、放棄する事になった。

 キリが無いので諦めたのだ。

 だから俺は旅に出る事にした。


 俺はどん底から這い上がれたんだ、あの言葉のお陰で。


 一度は廃れた看板も、幾度も蛇竜を屠った事でかつての、いや、かつて以上の輝きを取り戻していた。


 俺の名はジークフリート。

 紛れもない『屠龍英雄ドラゴンスレイヤー』だ!


 くじけそうになっても何度だって立ち上がってやる。

 あの魔法の言葉でな。



(挿話. ジークフリート‗終)

 



 

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