挿話. ジークフリート(その2)
俺は無事、村に戻っていた。
どうやらあの灰色の悪魔は、俺の“闘気”を辿っていたらしい。
逃げる途中でそれに気付き、気配を消し霧に紛れた俺を悪魔が追って来る事は無かった。
一日が過ぎ、俺はまたあの場所へ向かった。
そこにマイルークの姿はもう無かった。
小さな村だから、誰かが結婚するとなれば村中で式の準備を進めるものだ。
俺は村中の皆に、結婚式の取り止めを、つまりマイルークの訃報を伝えた。
特にマイルークの婚約者とその家族には、目も併せられなかった。
それからというもの俺の心には、あの婚約者の泣き声がいつまでもこだましていた。
俺はその声から逃れたくて、消したくて、毎日を酒に溺れる様に過ごした。
月日は過ぎ、そんな吞んだくれの俺を、『
◇
その日も早くから俺は、酒を吞んでいた。
こんな小さな村の傭兵稼業など、その稼ぎはたかが知れている。
黄金谷の蛇竜を倒した時の報奨金は確かに凄かったが、それでも毎日を高い酒に費やせば容易く底をつくもんだ。
だがどうでも良かった、この先どうなろうと。
酒も、喰うものも無くなって、野垂れ死ぬのも悪くない。
そんな風に考えていた俺だから、正直今のこの状況には頭がよく回っていない。
俺は酒を呑みながら目の前の、大金の入った袋とにらめっこし、今朝の出来事を思い出していた。
早朝、傭兵ギルドの受付の男が引っ張る様に俺を連れ出した。
何事かと尋ねると、なんとあのアヌービスから成功報酬が届いているという。
そう言えばここ数日、村は近隣の町からも人が訪れる程、彼のサーカスで大賑わいだった。
受付が持ち出したのは、大金の入った袋だった。
そしてアヌービスはもう昨日の夜には、この村を去ってしまったらしい。
「何が成功報酬だっ! くそったれ!!」
俺は初めその大金を突き返したが、受付の男にこう諭された。
「なぁジーク。依頼主のアヌービスさんはこう言ってたぜ。その報酬にはマイルークへの弔いも含まれているんだって。それをどう使おうがお前の勝手だが、ありがたく受け取るってのが筋じゃねぇか? それにな、アヌービスさんはお前の腕を非常に高く買っていたみたいだぜ。きっとお前のその腕が、必要になるってさ」
そうして俺はその大金の入った袋を持って帰って、何かもやもやとしたこの心をスッキリさせようと、酒を呑み始めたのだった。
(この村に残る以上、俺の腕が必要になる事なんてあるまいさ。例えあの“悪魔”が村を襲っても俺に出来る事なんざ何一つ無いしな)
俺は今日、二度目の杯を空けた。
その時だった。
「た、大変だーーっ! 黄金谷の蛇竜が復活しているぞ!!」
(バカなっ!)
気付くと俺は家を飛び出し、黄金谷へと向かっていた。
◇
GYAAAAAAAAAAA!!
大気を震わす咆哮と、口から吐いた火炎の熱風が肌にビリビリと伝わっていた。
俺の目の前には、あの蛇竜【ファフニール】が復活を遂げていたのだ。
谷には多くの鉱夫たちがファフニールから逃れ、その様子を見ていた。
「あっ! あんた、『
近くの鉱夫が俺に気付いた様だった。
だがすぐにその言葉を後悔した事だろう。
何せ俺は呑んだくれで、酒の匂いをプンプンさせていたに違い無かった。
案の定、他の鉱夫からこんな言葉が漏れ出した。
「やめとけ。今のソイツじゃあれを倒すのは無理だ……」
その通りだ。
例えこの、竜殺剣『バルムンク』を持っていたからって、
そしてこの、隠遁外套『タルンカッペ』を持つからといって、
鍛錬もせず、酒に溺れる日々を過ごした今の俺では敵う筈も無い。
それにだ。そもそもなぜファフニールが復活したのか、その原因や理由を突き止めねば、例え『
「フッ、まぁそう言う事だ」
俺はそう言ってその場を去り、家に戻りまた酒を呑む事にした。
ところが家の前には誰か人が待っていた。
近づいてそれが誰だか判ると、俺の足は重くなっていった。
マイルークの婚約者と、その父親だ。
「二人して、俺に何の用だ?」
「……蛇竜が復活したの」
「あぁ知ってる。今、見てきた所だ」
「おぉ、では倒してくれまいか?」
「無理だ、諦めろ」
そう言えば、彼女の父親は鉱夫だ。
だが、どうでも良い。
俺は早く酒を呑みたかった。
「なんで無理だなんて言うの?」
「無理なものは無理だっ!」
俺は、逃げたかったのだ。
あの忌まわしい悪魔の記憶からも、
自分のせいで弟を亡くしたという事実からも、
この婚約者の娘の悲しみの声からも。
『
「誰かの為になれ……」
婚約者の娘が呟いたその一言に、俺は雷に打たれた様な衝撃を覚えた。
「あの人ならきっとそう言うわ、『誰かの為になれ!』って。ねぇそうでしょう!!」
懐かしい顔が思い浮かんだ。
そしてあいつは笑顔でそう言うんだ。
(『誰かの為になれ!』 だぜ。兄さん!!)
それは紛れもない、マイルークの口癖だった。
その言葉に、俺の中で何かが変わり始めていた。
(あの時、あいつは邪気に冒されながらも俺を助けようとしてくれた……)
霧のお陰で、俺は助かった。
(『誰かの為になれ!』 だぜ。兄さん!!)
あいつは死ぬ間際まで、その信条を貫いたんだ。
(『誰かの為になれ!』 だぜ。兄さん!!)
俺に出来るかな……。
(『誰かの為になれ!』 だぜ。兄さん!!)
自堕落でどん底まで落ちた俺の心は、マイルークが笑顔で言うその言葉の光に照らされて、ふわりと浮かび出したのだ。
(『誰かの為になれ!』 か……よし!)
俺は何度も心の中で、『誰かの為になれ!』と呟いた。
そして決心した。
◇
ここは森の中。
そして俺だけの秘密の場所だ。
俺はここで森の妖精と知り合い、バルムンクとタルンカッペを手に入れた。
黄金谷が出来た由来も、あの蛇竜の名が“ファフニール”だと知ったのも、ドラゴンの力を手に入れる術を知ったのも、あの悪魔の放ったものが“邪気”だという事も、みんな、この妖精から聞いたのだ。
俺は、あのファフニールの謎を妖精から教わろうとやってきたのだ。
「ファフニールが復活したんだがなぜだ?」
「ウフフ知りたい? じゃあ、『ある人、1人も殺さず12人殺した』これなーんだ?」
こいつはいつもこんな調子だ、俺を困らせたくてしょうがない。
けれど、それさえ乗り切れば、俺は知りたい事を知れるのだ。
だからこう切り返す。
「知ってるか? とある王子が毒入りの水を貰うがそうとは知らず、乗っている馬が飲み死んだ。死んだ馬をカラスが啄み、それも死ぬ。そのカラスを拾った悪党、仲間と一緒にそれ食べ、皆死んだ。その悪党は全部で12人だったそうだ」
「むむー正解……ファフニールに復活する力は無い。あれは人でない人の力。魂は鳥籠の中。じゃあね~」
こいつの話は一事が万事、こんな調子だ。
はっきり判った試しがない。
だがこの時なぜか俺の頭には、アヌービスの顔が思い浮かんでいた。
(まさか……な)
結局、妖精の話はそれ以上ピンと来ず、俺は数日の鍛錬と瞑想を経て蛇竜ファフニールに挑んだ。
結果は、俺が難なく斬り殺した。
特に強くなったわけでなく、前と同じ倒し方で済んだのだ。
だが違ったのは、
「オイ! 蛇竜が復活しているぞ!」
俺が討伐して2日目、ファフニールは再び復活を遂げていた。
俺は再びそれを斬った。
だがその結果だけは繰り返された。
俺が斬り倒してから1日置いて、2日目には完全に復活するのである。
結局、村人全員の合意で黄金谷の魔石採掘は、放棄する事になった。
キリが無いので諦めたのだ。
だから俺は旅に出る事にした。
俺はどん底から這い上がれたんだ、あの言葉のお陰で。
一度は廃れた看板も、幾度も蛇竜を屠った事でかつての、いや、かつて以上の輝きを取り戻していた。
俺の名はジークフリート。
紛れもない『
くじけそうになっても何度だって立ち上がってやる。
あの魔法の言葉でな。
(挿話. ジークフリート‗終)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます