19話.アーロンの秘密
ザグレヴ街道沿いにある、とある小さな村。
周囲には畑と小さな林、そして家々が点在する。
その街道沿いの、この村にあっては不釣り合いな大きさの広い食堂にジーク、ルイ、アーロン、グレースの4人は食事をとっていた。
久し振りのお客達に食堂の主人が嬉々として話しかける。
「あんたらどこから来たんだい?」
主人の話すヴィネツィ語は少し訛りがあるものの、アーロンに聞き取れぬ程では無かった。
「えぇ、私達はセビーヤから来ました。船でヴィネツィに渡り、ザグレヴを経由、そこからこの街道を歩いてきたんですよ」
「ほぅ、しかし確か国境のズリーニヒド橋には大層強い化け物がいて通れなかったはずだが……?」
「あぁ、その化け物ならもう居ませんよ。こうして私達もそこを通りやって来たのですから」
「するってぇとあんたら、その化け物をやっつけてくれたのか!」
「まぁそんなところです」
「いやー大したもんだ!助かるぜー。あんたら強いんだなぁ。おかげでまたザグレヴやヴィネツィとの行き来が出来る様になる。昔みたいにまた賑やかになる!」
主人はそう言うと在りし日の様子を話し出した。
ブダベズドとザグレヴを繋ぐこの街道はヴィネツィからの物流と人とでごった返していたらしい。
この食堂も以前は宿屋も兼ねて繁盛してたそうだ。
「そうだ! あんたら今日はどこかに泊まるんだろ? だったらうちに泊まれば良い。すぐ用意してやっから」
久し振りの割に、提供された食事は素晴らしく、しかも気前の良いお誘いにアーロン達は喜んで甘んじた。
主人は早速、準備が済んでる部屋の一つを案内しようと、アーロンを連れ二階に上がる。他の部屋は準備が出来次第主人が呼びに来る事になった。
ジークは外で待機してるカタリーナとクレイの様子を見に出た。
ルイはトイレに向かって席を立つ。
テーブルではグレースが一人、食後のワインを嗜んでいた。
◇
「さぁここがあんたの部屋だ。いつでもお客を泊められる様、この部屋だけは準備が行き届いてんだ。で、これが部屋の鍵だ。ゆっくりしてきな」
2階の一番手前の部屋を案内されたアーロン。
部屋はベッドと机だけがある簡素なものだ。
窓には小洒落たカーテンがかけられている。
アーロンはちらっとカーテンをめくり外の景色を見た。
夕闇が迫る街道沿い、東の空には明るい月が昇り始めていた。
(さて……明日はいよいよブダベズド入りですね。何もなければ良いですが……)
アーロンはベッドで横になり、少し休もうと瞼を閉じた。
◇
アーロンは夢を見ていた――そこは、とても奇妙な礼拝堂だった。
幅は両腕を広げた程度、奥行きは三~四歩程の細長い部屋。
左右の壁には踊る骸骨、或いは楽器を演奏する骸骨の絵が並ぶ。
一番奥の壁絵だけが左右とも綺麗な女性が舞い踊る絵だった。
しかしその女性の顔はどこか狂気を孕んだ笑みをして、しかも彼女の周りにはなぜか人々が倒れていた。
その女性の壁絵が飾られている正面には、大人と等身大の木彫りの像が掲げられていた。その像の真下は小さな祭壇になっていて、そこには、一人の少年が目を閉じ必死に祈りを捧げている。
「アーロン、どこだっ! もうこの国は終わりだ! 出てこい!」
「あなた、もう止めて! あの子は見つかりませんわ!」
外から聞こえる男性の怒号、それを必死に止めようとする女性の声。
「あぁ、■■■様! どうか僕を、そして父母をお救い下さい!」
祭壇の少年が呟いた。
外から2人の言い争う声がしばらく聞こえた後、銃声が2回、鳴り響く。
静寂が辺りを包む。
少年はガタガタ震えながら必死に祈りを捧げ続けていた。
◇
(おや……少し眠ってましたか。しかし今の夢は一体……)
アーロンは目を開けて上体を起こした。
(そういえば……聖ラピス教会で神父様に育てられた以前の幼い頃の記憶がどうしても思い出せないんですよね)
アーロンはしばし、自分を育て上げてくれた神父の顔を思い出していた。
(例え実の父母が居たとしても、私にとって大切なのはこの育ての親の神父様だ。さっきの夢は私の深層に眠る記憶の欠片が齎した物でしょうか……)
アーロンは幼き頃、慈愛に満ちた神父様との思い出にしばし浸った。
(さて、すっかり目が覚めてしまいましたねぇ、これではすぐに寝付けそうにない。暫く黙想するとしますか……)
アーロンはベッドの上で上体を起こしたまま目を閉じ、心を落ち着け静かに神への深い祈りに没入した。
◇
(ふむ……こやつに封印されたこの記憶。なんとか引き出せぬか、試みたがやはりかなり強力な封印だ)
アーロンが見た夢は、黒い影で封印された記憶の片鱗。
ルシフェルは、この封印が【
そこでこの封印を解かずしてその中を覗き見る、別の手段を試みたのである。
結果は、まずまずであった。
そこには彼の生い立ちについての手掛かりが秘められていた。
それはルシフェルをかなり考えさせるものだった。
まずこの礼拝堂の作り。
カリクティス教に属するものでこの様な造りはまず見られない。
狭く窮屈で、祭壇には木彫りの像が掲げられているなどあり得ない。
そして壁に並び飾られた絵。
恐らく、これが意味するは“死の舞踏”。
“死”は貴賎無く訪れる――そんなモチーフを飾り並べるなど異常だ。
せいぜい、戒めの為に1枚程度あるくらいがまともというものだ。
この記憶の封印はかなり強力で、その影響で尚も曖昧な部分があった。
まず木彫りの像が何を象っているのか、ぼやけて見えぬ。
そしてアーロン少年が呟いた言葉が、やはりぼやけて聞き取れない。
ただルシフェルには、その曖昧さが逆に彼の生い立ちを伺い知る最大のヒントであると感じていた。
乃ち、彼は元々カリクティスの教えを信じる信徒では無い家庭に生まれたのだ。
しかもそれはエウロペに古来より親しまれた土着の信仰とも違う。
そう、これは……
ただルシフェルはこれまで辿って来たアーロンの記憶、そして彼の振る舞いを思い返していた。
(彼の行動原理……それはひとえに育ての親である神父に依るところが大きい。悪魔を抱えたカタリーナへの深い憐れみと慈愛、彼の者を助けようとするその姿勢はまさにこの神父の教えの賜物だ)
ルシフェルは
そこから、アーロンには影で封印された怪しげな記憶があるものの、今の彼を形成しているのは育ての親である神父の教え、則ち純粋なる天界の者への賛美愛慕と恭敬崇拝だと確信した。
そこにカタリーナの悪魔をどこかで復活させようなどという邪な考えは無いだろう、本心から救おうと考えている、そう断定したのだ。
(さて……そろそろここも不穏な空気に満ちてきたな。丁度こやつの体も
(続く)
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