12話.閑話_バルのルール(ヴァルツ編)

「やぁヴァルツ君、こっちに来給え!」

 

 軍での訓練を終え、俺は街のバル、ムイピカン亭に来ていた。

 ここには同期入隊の同僚と何度か訪れた事がある、ワインが美味いんだ。

 そして今日は魔術医療班の特性検査担当官、<マリオット>さんに呼ばれたのだ。


 実は今日、俺は軍の特性検査を受けて初めて知った事がある。

 自分が魔力を持つ事、つまり魔術士って事だ。


 それを指摘し確認してくれたのがこのマリオットさんだ。

 今まで全く親から知らされていなかった事に随分興味を持ったらしい。

 今日はそのマリオットさんから誘われたのだ。

 しかも奢りで、だ。


 俺はカウンター席に居る彼の隣に着いた。

 マリオットさんは赤ワインを2つ頼み、つまみに何かお勧めは無いか聞いていた。


「今日は新鮮で良い海産物が入ってるぜ! エビ、タコ、イワシ……」


「そいつは良い! じゃあGambas al ajilloエビのアヒージョとBoquerones en vinagre背黒イワシの酢漬け、あとPulpo a la gallegaタコのガリシア風は出来るか? 僕はそこの出身なんだ」


「任せときな! お客さん。 あんたの故郷の味、しっかり再現してみせるぜ!」


 マリオットさんは見た目、俺とあまり年が変わらなそうに見えた。

 金髪で眼鏡をかけ、如何にも賢そうな顔つきだ。変わっているのは目。

 白目の部分が紫がかって少し怖い……。


「さて、ヴァルツ君。この世で一番崇高な物、それが何か判るかい? それはさ。この世の謎はこので説明出来る、いいね?」


 な、なんだ突然……。


「例えば、この赤ワインの美味さ。それは葡萄を潰し時間が経つと進む発酵という過程がこの神秘の香りと味を生み出しているのさ。これが、いいね?」


「……はあ」


「さて、では君が今日初めて魔術士の才能を持つという事を知った事実、この謎を君はどう思う?」


 魔術を使える者が魔力を持つ、それは一般常識だ。

 そしてそれは血によって引き継がれる、それも一般常識だ。

 と言う事は、父か母のどちらかが魔術士の才能があるという事だが……。

 俺はどちらも魔術を使っているところを見た事が無い。


 だが、まぁ……母だな。


 さて、だとすればあの母の事だ。

 それはきっと……、


「母が、教え忘れたのだと思います」


「プ……アハハハハ! そうだな、そういうロジックも確かにあり得る。君という奴は本当に面白いな。ロジックは遍く謎を解く道具だが、君という奴を知るにはまだまだヒントが必要そうだ。ところでバルにはよく来るのか?」

 

 あぁこのGambas al ajilloエビのアヒージョ、旨いな。

 赤ワインともよく合う。


 俺には謎なんて割とどうでも良くて、結果さえ良ければestá bienオーライだ、このつまみと赤ワインみたいにな。

 それに……何を考えているか判らんあんたの方が、俺にはよっぽど謎だらけだが俺にはそんなのどうでも良い。


「いや、同僚と数回来ただけです」

「じゃあ、“暗黙の了解バックルール”は知ってるか?」

「? なんですか、それ」

「よし、じゃあ今日はそいつをで説明するか」


 マリオットさんはゴクリとワインを飲み干し店内を見回した。

 するとその顔がニヤッとした。


「ヴァルツ、お前、女の子に声かけた事、あるか?」

「え?」

「いやな、赤ワインをあの子に届けてやって欲しい、奢りだとな」


 マリオットさんは自分のと別にもうひとつ赤ワインを注文した。

 そしてそれを俺に手渡し、あるテーブル席を指差した。


 そこには一人の女性が座っていた。


 いや少し体が小さいのか確かに女の子にも見える。

 店内はランプの灯りだけで薄暗くなりつつあったが、ショートヘアで緑色の長いチーフを首に巻いている、そんな後ろ姿が確認できた。


 まぁ、自警団に居た頃は、商店街の娘達に挨拶くらいはしてたかな。

 それに妹とはよく話している。

 女性に飲み物を渡す、という所作に何か深い意味があるのだろうか?

 まさかプロポーズ……と言う事ではあるまいな?


「プロポーズ……では無いですよね?」

「ハハハ、僕からの奢りと言えば良いさ。どんな子か気になると言ってな」


 俺はグラスを片手に、その席に向かった。

 テーブルの脇まで来て立ち止まると、その女性はチラと俺を見て言った。


「あいにくここはasiento reservado予約済みだ。他を探しな」


 男勝りなその口調、ポルトゥール訛りが少しある。観光か?

 そんな事を思いながらグラスをサッと差し出した。


「なんだい? これは。俺は注文してないが?」

「あぁ、これは奢りだ。あの……」


 カウンター席に座ってこちらを見てるマリオットさんを紹介しようとしたその時だ。


「おや、キトゥン。誰だい、こいつは?」

「あぁ姉御」


 見ると紫色の綺麗な髪の女性がいつの間にかテーブルの脇に立っていた。

 生粋のポルトゥール語、こちらもどこか芯の強そうな口調だ。


「いきなりワインを差し出して話しかけてきたんだ」

「ふーん……キトゥン、暗黙の了解バックルールは知ってるね? で、どうするんだい?」


 姉御と呼ばれた女はやたらニヤニヤしながら聞いていた。

 見るとマリオットさんもニヤニヤしているみたいだ。


「そうだな。じゃあ、遠慮なく……」


 するとそのキトゥンとやらが急に、俺に向かって殴り掛かった!


「おっと危ない! ワインが零れてしまうぞ!」


 俺は慌ててグラスをテーブルに置いた。

 しかし攻撃は止まらない。


「うらぁっ!」

「くっ!」


 こいつ! 何か体術を修めているな!

 華奢で小さな体が余計にを際立たせる。


 回し蹴りからのコンビネーション、次々と繰り出されるパンチとキックの連続技に俺は防戦一方だ。


 おいもうクタクタなんだ、勘弁してくれ!

 

「待ってくれ! 俺が何をした? 何が何だかさっぱり判らん!」

 

 俺は力を振り絞り、闘気を纏う。

 すると姉御が「待ちな」とキトゥンを制し、俺に聞いた。


「お兄さん、ポルトゥール語が上手だね。ところで暗黙の了解バックルールは知ってるかい?」

「一体なんなんだ、そいつは! ワインを差し出すと決闘の合図なのか?」


 すると姉御とキトゥンは互いに見合わせ、やれやれとジェスチャーを見せた。


「どうやらこのは、何にも知らずにあのカウンター席の先輩にそう指示されたみたいだねぇ」


「かーっひでぇ、腐れ外道だなお前の先輩は。じゃあこの落とし前はあっちに持たせるか?」


 すると俺のすぐ横にスッと体格の良い男が立ち、姉御とキトゥンに頭を下げた。

 あれ? 見た事があるな。ひょっとしてこの方は……。


「俺はエスパニル国王軍、陸軍大佐スパルタクス。事の経緯にさっき気付いた。あなた方へのご無礼、この俺に免じてどうか許してやって欲しい」


 な、なんて事だ! 陸軍大佐殿が俺の為に自ら頭を下げるとは!

 俺はマリオットさんを見た。彼は慌ててこっちに来た。


「ぼ、ぼ、僕の計算が正しければ、全ての責任は僕にあります! お二方、それにスパルタクス大佐殿、そしてヴァルツ君! どうもすみませんっっ!!」


 マリオットさんはテーブルに頭を擦り付けてるんじゃないかってくらい頭を下げた。

 俺もなんだか良く分からんが頭を下げた。


 すると姉御が、


「ふぅ、全くしょうがないねぇ、頭を上げなよ。坊や、何だか怪しい依頼には納得するまでしっかり聞いて鵜呑みにするんじゃないよ。あとあんたたち、この坊やにはしっかり暗黙の了解バックルールを教えてあげる事、頼んだよ」


「かたじけない。お詫びと言っちゃなんだが、ここのお代は俺達が持つ」

「いいのかい? 思いっきり高いやつ、注文するよ?」

「構わぬ、なあ、マリオット?」


「ひいぃぃ……ぼ、僕の計算が正しければ、お代は100%僕が持つ…持つ?……持つのかー?! う、うわーロジックが成立するっ! 助けてヴァルツ!!」

 

 抱きつこうとする先輩をひらりと躱し、とりあえず俺は暗黙の了解バックルールとやらを教えてくれと言った。

 すると大佐殿が一言、ひとまずカウンター席に戻ろう、と。


 スパルタクス大佐はバルのマスターと話していた。 


「マスター。済まんなぁ、うちの連中が騒がせて」

「なあに、慣れたもんさ」

「あとついででなんだが、うちの新人に暗黙の了解バックルールを教えてやってくれないか」

「あぁ良いぜ」


 バルでの暗黙の了解バックルール

 それは、バルに来ている女性への声掛けに関するルール。


 『声をかけた男性は、女性から何をされても容赦する事』


 因みに女性は、


 『男性が声をかけてきたら、問答無用で何をしても良い』


 しかもそれは殺人すら許されるらしい。

 なんて恐ろしいルールだ。


 元は娼婦と間違えられた女性の態度や行動を、無礼をかけたお詫びとして許そうというエチケットだったのだそうだ。


「因みにこの暗黙の了解バックルールはどこの国でもそうだぜ。あとな、バルに居る女ってぇのは大抵娼婦か、或いはさっきのお客みたいにかのどっちかさ。酔っ払ってつい下心で……なんてしない方が身の為だぜ」


「さて……と言う事で君には随分と面倒をかけたわけだが、どうかこのマリオットの事も許してくれまいか?」


 大佐殿がマリオットの頭を手で下げさせる。

 まぁ俺は暗黙の了解バックルールの意味も分かったし、別に怪我したわけでもないからな、結果良ければestá bienオーライだ。


「俺は別に、気にしてませんよ」

「うわーん、ヴァルツ君、ありがとーっ!」


 マリオットが俺に抱きついてきた。


「因みにマスター、あの客の注文は幾らくらいになりそうだ?」

「あぁ、どうも周りの連中も仲間らしくてな。全部つけてるみたいだぜ、えーっと」

「ひょええぇー、ヴァルツ君、助けてーっ!」


 はぁ~、Pero ufやれやれだぜ。


 

 (続く)

 

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